First
Anniversary



古びた心臓が鳴る時


任務が最高に上手く行ったから、久々にいい葡萄酒を飲もうとセラーを漁っていたら、ある一本を取り出した拍子に紙がひらりと床に落ちた。セラーの中に挟まっていたらしい紙はどうやら写真で、そこに書かれていた文字には見覚えがあった。流れるようなけして綺麗ではない文字は、然し誰のものか判らない。何気なくひっくり返して後悔した。嗚呼、拙い。引き攣るような心臓の音が聴こえる。其処に写っていたのはまだ幼い自分と、五年前に死んだなまえだった。
なまえは俺の幼馴染のようなものだった。羊の時から一緒で、あの時も唯一俺の味方をした阿呆だ。俺より少し遅れてポートマフィアに入って違う部隊に所属することになった。まだ引き返せたはずなのに、そうすれば表で生きられたのに。そう詰め寄った俺に、なまえが困り顔で肩を竦めた。

「中也ってば、今更おれに独りで生きろって云うの? ひどいや」
「……もう戻れないかも知れねェんだぞ、死んじまうかも判らねぇ」
「それなら羊にいた時からそうさ。これでいいんだよ」

間抜けに笑ったなまえに救われていたのはきっと俺の方だった。そうかよ、と返して二人一緒の部屋に戻った。一般構成員用のそこまで広くない部屋に二人で、共に食事を摂り隣に並べたベッドで寝た。酒も煙草も一緒に手を出したし、二人の間に秘密はなかった。静かだがかけがえない生活だった。
俺たちの全てを変えた抗争が起きたのは一年と少しが経った頃だった。
ヨコハマの裏の悉くは巻き込まれ、死人も多く出た。そして、なまえもその時に死んだ。潰された顔は誰かも判らないぐらいで、髪色と身長で恐らくなまえであると判断した。悲しかったし、悔しかった。だが、後処理と新しく積み上がる仕事による多忙の中で、少しずつなまえの存在は薄れていった。
好きだったのだろう、と思う。女を抱いてきたと云った俺にそうかとだけ返したなまえにそれなりに傷ついたし、それに比べてなまえは女遊びこそしなかったけれど俺に何をすることもなかった。大切にされていなかったとは思わない。ただ、仲間に裏切られた俺を哀れんでいただけかもしれないとは思っている。最後辺りなんて、何事にも淡白ななまえが料理を振る舞ってくれるあの空間が幸せだったのは俺だけだったのだとも考え始めていた。そうして思い出を汚し、やがて奥底に封じ込めた。そのことを自覚してはいなかったが、こんなにも胸が痛いなら、写真なんて捨てておけば良かった。こんな、姐さんが云うから仕方なく撮った、慣れない撮影機に二人ともぎこちない笑みを浮かべている、取るに足らない写真なんて。
葡萄酒なんて呑む気分ではなくなってしまった。詰めが甘い自分を責めたところでこの心音の乱れが治る筈もない。クソ、悪態をついてワインセラーの戸を乱暴に閉めた。結局写真は捨てられなかった。






「中也君、少しいいかね」
「はい。直ぐに向かいます」
「では三十分後に私の執務室へ。あぁ、そうそう。ちゃんと正装を着てくれたまえ」
「畏まりました」

仕事中に掛けられた首領の声に、すぐさま準備を始める。正装を求められるような仕事ならば、きっと重要な仕事だ。十五分以内に部下への指示も着替えも済ませ、予定の十分前には首領の執務室に到着した。どこも乱れていないか最終確認していると、首領が俺を部屋に迎え入れた。

「どうしても中也君に会わせたい人がいてね」
「そうでしたか」

執務室の中から繋がる部屋に行くと、一人がけのソファに、男が座っていた。此方に背を向けていて顔は見えない。だが、変な予感がした。嫌ではないが背筋が粟立つような、奇妙な感覚だ。首領が手を仰向けにし、其奴を指す。男が振り返る。

「彼のことを覚えているかね?」
「──久しぶり、中也」
「…………なまえ、か?」

そうだよと微笑んだその姿は、昨日の写真の中にいた少年とは違い、身長も伸びて身形も整えられていた。それでもそこには慥かになまえの面影があって、俺は最早頭が回っていない。

「……なまえだよな……」
「そうだよ。五年前が最後だったから、随分長い間離れていたね」
「……五年前……」

余裕がなくただなまえの言葉を鸚鵡返しするしかできない。歩みを進め、殆どくっついているぐらいに距離を近づける。あぁ、昔はこんなに見上げることはなかった。余程怪訝な顔をしたのだろう。お俺の顔を見てなまえが肩を竦めた。なまえが困った時の癖と同じだ。本当に、なまえなのか。

「……ねぇ、そんなにおれの服って変?」
「、は?」
「首領にも選ぶのを手伝って貰ったんだけど……ほら見てよこのスーツ、死ぬ程高かったんだよ」

裏に印字された文字は最高級と云っても良いほどのブランド会社名で、慥かにシンプルながら生地の良さが一目で判る高級品だった。成程首領のセンスならば納得である。

「否、いやいや、違う。そうじゃない」
「え? ……あぁ、おれがなんで生きてたかってこと?」
「そう、それだ」

なまえはなるほどとうんうん頷いている。何故そんなに平然としているのか判らない。会うのは五年振りで、しかも今迄死んでいたということになっていたのに、俺の心情をちっとも判ろうとしていない。一人で完結するのはなまえの悪い癖だ。やっぱり此奴は本物だ。こんなところで気づきたくはなかった。

「では、此処は私が説明しよう」

首領曰く、政府へ潜り込ませるスパイが欲しかった為未だ程顔の割れていないなまえを使ったということ。味方から情報が漏れてもいけないから、あの抗争を利用してなまえが死んだことにしたということ。

「ではあの死体は……」
「工作員に造らせた偽物だよ。よく似ていただろう?」
「おれも後で見たけどすごかったですね。顔がぐちゃぐちゃでしたよ」
「お前…………」

あれを見た俺がどんな気持ちでいたか、全く知らない間抜け面で首領と談笑するなまえ。大人になっても変わらない其れに、俺も少し力が抜けた。殆ど呆れによるものだったが。
首領がなまえに目配せをした。急かすような目に、なまえがくるりと俺の方を向いた。

「ほら、なまえ君。云いたいことがあるんだろう?」
「あぁ、そうでした」

スーツを整えてなまえが云う。間抜け面は何処かにいって、見たことのないキリリとした表情に変わっていた。あの時は俺より少し大きいだけだったのに、いつの間にか高くなった頭の位置がまるで接吻でもするぐらいの距離まで近づく。男らしくなった輪郭に切れ長の目に、これは、拙い。

「実はやっと仕事が終わったんだ。必要な情報は手に入ったし、後は後任がやってくれる。また昔みたいに、否、其れよりももっと近くにいたい」
「お、おい、待て、」
「本当はずっと好きだったんだ。でも中也ったら女の人に手出したりするじゃない、だから諦めてたんだけど」

五年も離れると駄目だね。そう云って笑ったその顔から目が離せなかった。俺もお前が好きだったとか、実は妬かせたかったとか、云わなきゃいけないことはあるはずなのに最早声も出ない。此奴、真逆ここで接吻でもするつもりか、首領が居ることを判って居るのか!

「もしも中也が許してくれるなら、お付き合いしてくれませんか」

嗚呼、心臓が痛いのにこの痛みすらも手放したくないなんて。







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