First
Anniversary
夢ぐらい見させて
アラームなしで意識が覚醒する。一瞬遅刻かと焦ったが、横にいる人間を見て起こした上体をまたベッドに戻した。そうだった、今日は休みだ。隣の体温は俺よりも低いがじんわりと伝わる熱が心地いい。痩せた腹と布団の間に手を差し込んでやれば、冷たかったのかピクリと肩が動いた。そのまま指を動かして擽るとしばらく目を閉じて抵抗していたが、とうとう半分ぐらい開かれた。
「おはよう」
「……おはよう……今の、うらみちがした?」
「何が?」
「おなかのやつ……ほら、うらみちじゃん」
俺の手を掴んで顔の前に持ってきたなまえは犯人を捕まえたぞとニヤリと笑い、手に軽いキスをした。いきなりのことに驚いて手を引っ込めようとするが、またひとつキスを落とされた。本気の力で引けばあっさり解けたのでからかわれただけだったらしい。
「ご飯にする? それともまだ寝る?」
「…………まだ寝る」
いつも眠れていないのだから今日ぐらい二度寝したっていいだろう。楽しげに笑うなまえに抱きしめられれば簡単に眠れる気がする。
ベッド横の棚の抽斗が少し開いている。あそこには替えの電池ぐらいしか入っていないのに、何か用事でもあるのだろうか。煌々と光る電球は、この前俺が替えたばかりだ。
朝食を作るのはなまえの担当だ。今日は軽めにトーストにする、と言ってキッチンに行く後ろ姿をぼんやり見る。この前、髪型を何も言わずに変えたんだよな。会社の規則が緩いからと奇抜な髪型にしてたのに、さっぱりツーブロックにして髪色も黒に戻していた。髪型変えたのかというただの質問にも、なんだか曖昧な返事しかしていなかった。
最近のなまえは何かおかしい。俺はなまえの浮気を疑っている。
以前は、髪型を変えようと思ったら切る前に相談してきた。最近はずっと帰るのも遅いし、スマホを見ている時間も長い。俺には、これが浮気した証拠のように思えて仕方ない。抽斗には浮気相手にやるプレゼントでも入れているんじゃないか。怖くて見れていないが。
「ごめん! ちょっと焦がした」
「いいよ、焦げた方俺食うから」
「残念ながらどちらもしっかり焦げております」
そして料理の失敗も増えている。この前キッチンを覗いたら、我ここにあらずといったように手元をほったらかしにしていたし。隠し事が上手いやつじゃない。やっぱり、浮気か。
お互い無言でトーストを食べきり、なまえが付けたテレビを観る。問い詰めたいが、振られるのは怖い。昨日だって一緒にいたし、何年も一緒なのだから、流石に捨てられたりはしないだろ。希望的観測に過ぎないが。飽きた、なんて言われたら終わりだ。うるさい心臓を抑えつけてなまえの名前を呼ぶ。
「……なぁ、なんか、隠してるだろ。お前」
「…………バレちゃった?」
心構えはしていたはずなのに、俺は簡単に動揺した。
いつからだ。いつから、こんなことになっていた。今度こそちゃんと恋愛ができたと思ったし、本気に好きになれたと信じていたのは俺だけだったって言うのか。好きだって初めに言ったのはお前なのに。
「その、もうちょっと後に言おうかなって思ってたんだけど」
「いい、聴きたくない。黙れ!」
そのくせ俺の手はなまえの口を抑えるでもなく、ただ耳を塞ぐだけだった。それでもなまえの言うことが気になってしまって、うっすら隙間を開けているのだからバカバカしい。なまえは頬を掻いて、困った顔をした。
「アー……結婚しようって言うつもりだったんだけど、そんなに嫌だった?」
「…………は?」
「提出はできなくても、形としてあると嬉しいじゃない」
結婚だけじゃなくてパートナーシップ制度だってあるし、そう言いながらなまえが嬉しそうにベッドルームから持ってきたのは、片方だけ埋められた婚姻届だった。字が下手ななまえの努力が見える丁寧な字が夫の方に埋められている。妻の方は二重線で消され、すぐ右上に『夫』と書かれていた。
「な、本気か……?」
なまえは強く頷いた。これは、これは、夢なのだろうか。
「正直、俺の親はなかなか保守的な人間だから、祝ってもらうことはできないかもしれない。裏道が嫌なら会わないようにする」
それからもなまえは喋っていたけど、内容はほとんど入ってこなかった。結婚なんて、今まで考えたこともなかった。なんて言えばいいかもわからないまま、口はここ最近の疑問の答え合わせを始める。
「ベッド横の抽斗は……?」
「そこに婚姻届入れてた」
「髪型……」
「プロポーズするんだからやっぱキッチリしたいなって……もしかして、プロポーズするの知ってた?
」
思考停止の脳は、考えたまま浮気だと思っていたことを話した。
「おれ浮気なんかしないよ! おれが嘘つけないの知ってるでしょ」
俺の疑念を笑い飛ばしたなまえは、椅子に座る俺の目の前に跪いて、手を取った。
「一緒に幸せになりたいって思ったの、裏道が初めてなんだ。結婚してください」
「こちらこそ」の声は、涙で滲んでちゃんと届いたかわからないが、なまえが笑って頭を撫でてくれたから、多分届いたはずだ。
「プロポーズのために予約したディナーが来週末にあるから一緒に行こうね。めっちゃ検索して見つけた美味しいところだよ」
プロポーズするからって準備してもらったから、初めての体でよろしく。二人しかいないのに内緒話のように耳打ちしてくるなまえに、俺も笑った。