開けられっぱなしだったドアをノックすると、窓の外を見つめていたセトの目がこちらを向き、ベッドの中でひらりと手を振った。目が合ったことが嬉しくて、浮ついた気持ちのままなんとなく手を振り返す。気の抜けた笑みは変わらず俺を惹きつけた。
「調子はどうだ」
「元気だよ。別に体が悪くなったわけじゃないんだって、何度も言ってるでしょ。病院の人たちが過保護なだけ」
「まぁ、先生達もそんな病気ほとんど見たことないだろうし、仕方ないだろ」
「そうだね」と笑うセトは、先生が勤めている病院の、人がほとんど通らないような隅の病室で治療を受けている。といっても治療法は無いも同然で、ただ病院に住んでいるという方が正しいかもしれない。
セトのベッドの上から足下まで、ピンクの花が埋めつくしていた。金持ちの風呂みたいでちょっと面白くなったが、それほどまで抱える思いが大きいということはちっとも嬉しくない。手袋を嵌めて花弁を残さずゴミ袋に放り込む。こんなものは、ゴミ袋で十分だ。俺のものにならない恋心なんか。外を眺める茶色の瞳には俺以外の誰かが映っている。
セトは花吐き病に罹っている。大量のピンクの花は全てセトが吐き出したものだ。
ほとんどの人間が病名も知らないような、奇妙な病だ。片思いしている人間が罹ると花を吐くようになってしまい、いずれ窒息が衰弱で死んでしまう恐ろしいその病気の治療法は、片思いを成就させるのみらしい。再開してすぐの時に、上手い話題も出すことができず難儀な病気に罹ったんだな、と俺が言ったらセトは困ったように同意して苦しそうに花を吐き出していた。
セトの過去に俺がいたのは高校の時だけで、今だって先生の病院にセトが居たから偶然会っただけの事だ。セトが片思いを患ったのは幼い時のことかもしれないし、大学に入学した以降のことかもしれない。どっちでもいい。事実は変わらないから。セトのチョコレート色の目に俺の恋が再び燃え上がり、しかしそのチョコレートを溶かすには至らなかったという事実は。
素朴なセトには似合わない濃いピンクの花の名前は、いつか先生に教えてもらったのに忘れてしまった。
全ての花弁を拾い終えてから丸椅子を出し座った俺にセトがへにゃりと笑った。弱々しく見えても、笑みは昔と変わらない。太陽の光に照らされたその笑顔が好きだから、今日も俺の恋心は生き延びてしまう。セトの死は確実にそこにいるのに、なんて最低なんだ。
「いつもごめんね、ありがとう」
「……これぐらいのこと、礼を言うまでもないだろ」
「嬉しいんだ、独歩がこんなに会いに来てくれて。病院ってめっちゃ暇だし、おれには似合わんって思うかもだけど、けっこう寂しいし」
「……やっぱり、相手にちゃんと気持ちを伝えたほうが、」
「独歩」
窘めるような声色で俺の名前を呼んだ。窓の向こうの秋晴れに似合わない諦念が強く浮かんでいた。
「……でも……」
「いいんだ。おれ今、すごく幸せだよ」
へらっと笑うセトに言う言葉は決めていた。諦めるな、思いは絶対に叶うからと励ますと。それなのにセトの骨ばった手を掴んで、親指を浮き出た血管に添わせても俺は一言も言葉に出来ずセトが不思議そうに俺を見上げた。
いつものことだ。課長に嫌味を言われても何も言い返せず、頭の中にだけ返答がつらつら並ぶ役立たずの脳がここでも発揮されただけのこと。
たとえ一生自分のものにならなくてもセトは大切な友人だ。俺以外の誰かとくっついてでも生きて欲しいから、自分の勝手な感情は捨てると決めたのだ。昨日の風呂場で散々考えた文言は、結局一文字も口から出てこなかった。代わりに溢れそうになった最低な言葉を飲み下すのでやっとだった。
暇があれば見舞いに来ている俺が一度も見たことがないような奴に片思いして、セトは弱っている。そんな顔して、どこが幸せなんだよ。
その花弁のひとひらでも、俺にくれたら。お前は長生きで生きるのになあ。俺は今、死ぬわけにはいかないからお前が吐いた花は触れないけど。その花を美しいと思ってるよ。だからこれを俺にくれ。この前こっそりポケットに忍ばせた花弁は、押し花にする前に萎びて色が悪くなってしまったんだ。
セトがまた花を吐いた。体内で形成されたくせに、芳香まで持っているその花は美しいのに死ぬほど疎ましい。これ以上ここにいたら、やっと封じ込めたいけない言葉が飛び出てきそうで俺は立ち上がった。
「じゃあ、お大事に」
「うん、ありがとう」
セトは俺を惑わすくせして自分からは何も寄越さない。ついには一人で死んでいこうとしている。しかし、俺の内面に責任を取れなんて言えるわけが無いし、俺に出来ることは結局営業の度にこの病室に寄って、花弁を掃除することだけだ。
自分のことしか考えてないろくでなしの感情の世迷言は、花にもなれず一生俺の腹の中から出られない。それでいいんだ。
帰り道で見つけた花屋の店先に、濃いピンクの花がガーベラという名で売られていた。セトに似合わない花は俺にも似合ってなくて、道の途中で荷物に思えてしまったからそこらのゴミ箱に捨てた。
『俺以外を選ぶなら死んでくれ』
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