おやすみなさい。よいゆめを


眠れない日々が続く中、玄関からノックの音が聞こえたから扉に飛びついた。緊張しているのか鍵が上手く開かない。ガチャガチャ五月蝿い手元と反対に、頭はインターホンを押してくれたら良いのに、インターホンなら絶対に気づけるから。でもたった今ノックでも気づいたのだから別にいいかな。なんてだらだら考えていた。でもおれがノックに気づけたのは、治の帰りをずっと待っていたからだ。「外に出てはいけないよ。終わったら会いに行くから」とだけ伝えて出て行ったあの日から。
なんとか押し開けた扉の向こうには治が立っていた。その疲れた顔と少し草臥れた服に我慢できなくて抱き寄せたが、いつものコロンの匂いはしなかった。回された腕もどこか力が無かったからその分おれが力を込めた。
魔都と呼ばれている所以だが、横浜は不思議な事件やら変わったニュースやらが異常に多い。それでも最近は平和だったのに、また横浜がおかしくなっていた。異能も無い一般人はただ逃げ隠れるしかできず、怯えてただ事態の収束を願うだけだった。おれもその一人だ。
でも、治が帰ってきたということはもう大丈夫ということだろう。彼らが全て終わらせてくれたのだ。息を吸い込めば、コロンの代わりに何か香辛料や甘いお菓子の匂いがした。どうやら食事も済ませているらしい。ならば、おれがすることは治を休ませることである。

「おつかれさま。もう寝る?」
「……あぁ、そうするよ。シャワーはもう浴びてきたから」
「匂いでわかるさ。着替えを取ってくるからソファで休んでいて」
「うん。あぁ、亮」

呼び掛けに振り返れば、治が優しい笑みを湛えていた。ただいまの声も優しくて、おれは脱ぎかけた靴もそのままにもう一度抱き締めておかえりと云った。もう休んでいいんだよ、って伝わっていたらいいと思う。

テレビでは治たちが解決してきたであろう事件についてのニュースが流れていた。街はボロボロだし、死傷者もきっと最小限に抑えてくれたのだろうけど、それでもいることに変わりはない。悪質なコメンテーターもいる訳だし、治に見せないほうがいいんじゃないかと思い治の表情を窺ったが、治は無表情で画面を眺めていた。

「着替え持ってきたよ。包帯も変える?」
「ありがとう。頼んでもいいかい」
「勿論」

もう一度ありがとうと云ってくれたその目は闇のないもので、おれは自分の心配が杞憂だったことを知った。そう云えば治は昔相当やんちゃだって云っていたし、今だって大きな事件を幾つも解決しているのだ。画面越しの臆病者が云う罵倒になんか傷つくわけがない。傷ついていたら、おれがその傷を埋めればいいだけだ。おれの手に負えるものかは別として。
そうっと解いた包帯の下には傷が増えていた。これも事件のせいなのかな。治は自殺嗜好を自称しているし、よく傷を作って帰ってくるけど、これは良くない。責めるように見つめたけど笑顔で返された。なんのダメージも無いらしい。ちくしょう。仕返しに強めに巻いておいた。

「本当に、生きていてくれて良かった」
「私が死ぬと思った?」
「真逆。でも怪我も危ない思いもして欲しくないんだよ」

口から漏れたこの言葉は本心だ。茶化すような治の言葉に是と答える訳では無いが、治は常に死と隣り合わせなのだ。暗い世界についてそう知っていることはないが、ここまで目立てば屹度治の命を狙う人も増えるはずだ。
おれは治を守れないし、むしろ守ってもらう立場なのは彼氏として本当に不甲斐ないが、それだけ治が強いということだ。戦いの場でも、人としても。こんな超人がおれに恋なんて未だに信じられないが、まぁ、選ばれたのはおれということだから素直に喜んでおこう。話が逸れた。
つまり強い治は簡単には死なないのである。望んでいてもこうなのだからよっぽどだ。それはおれにとっては嬉しいことだ。どれだけ治が死にたいと思っていても死なないでいてくれる。

それでもおれは治を生に縛り付けたい。おれのために生きてくれたらおれが死んだっていい。この気持ちはまだ伝えていないけれど、治のことだし知られているかもしれない。
巻き終わった包帯の余りを救急箱にしまう。治に寝ようと云うが、治はソファから動こうとしない。仕方がないから背負って寝室まで行った。治に勧められたこの部屋は広いが、ドアが多くていけない。行儀悪く脚を駆使してベッドに寝かせた。

「……治? おーりーて」
「やだ」
「一緒に寝るから大丈夫だよ」
「どうせ朝が来たら直ぐに仕事へ行くんだろう」
「そりゃあね。明日も平日だから」
「じゃあ、だめだ」

今日は何故か甘えただ。本当は辛かったのだろうか。然し仕事も簡単には休めない。無理やりベッドに転がして毛布を掛けてやる。ポンポンと腹を一定のリズムで叩いてやれば、やはり眠そうにしている。普通の人間らしくて少し安心した。

「治、死なないでね」

聴こえていなくて良かったのだが、治が薄く瞼を持ち上げた。そして少し笑って云った。

「……君なら一緒に死んでくれると思ったんだが」
「もっと後なら良いよ。ずぅっと後にね」
「具体的には?」
「治が女を口説くのをやめられるようになったら」
「じゃあ一生無理だ」

もう寝ようね。おれより大きい治を子供扱いして部屋の電気を消した。いい夢を見て欲しいと思う。幸せで、辛いことなんて何もない夢。あわよくば、そのなかにおれがいますように。





Top