神様がほしい


「僕はあなたに救われたんです」

本心だった。間違いなくこの人が、僕の人生を変えてくれた。社長や太宰さんや国木田さんも、勿論僕の人生を変えた。特に、出会いの衝撃で比べたら太宰さんが一番に来るかもしれない。それでも、この人が僕の恩人で救世主で、かみさまなのだ。

誰よりも早く戦地に飛び込み、人を救う姿に憧れた。怪我だらけの身体を引き摺って、たったひとりの女の子を抱えて帰ってくるような人は、誰に感謝されても、誰に褒められても困ったように笑った。
誰よりも早く他人の悩みに気づくその姿に感動した。街中の迷子から、人手を欲する探偵社の女医までいち早く声を掛けては手を貸した。お礼にと貰ったらしいお菓子を握りしめて動かないその人に、この人は感謝されることに慣れていないんだろうなと思った。
あんなに感謝を貰っていても、それに甘んじることなく手を差し伸べ続ける。善だとか正義だとか、僕には正解は判らないけど、きっとこの人は善い人なんだろう。
入社して暫く経っても、日常の小さな事から大きな事件まで、亮さんは休むことなく駆けずり回っていた。辛そうな顔をしている時もあったけれど、それでも人を救うことに戸惑いがなかった。
仕事で失敗した僕の為に、自分の仕事があるにも関わらずフォローに回ってくれた。申し訳ないという気持ちになるけど、嬉しくもあった。この人の目に止まれたんだと。
話がしたくて、お礼をさせて下さいと頼みこんだ。また困って笑うだけの亮さんを喫茶店まで引っ張ってきて、珈琲を二つ頼む。自分の分と亮さんの分だ。いつも通りマスターのつくる珈琲はいい匂いがして、亮さんの顔も少し緩んだ。

「僕は、あなたに救われたんです」

もう一度繰り返す。

「あなたにとっては何人も救ったうちの一人かもしれませんが、僕にとってはあなただけがただ一人の……ヒーローと云ってもいいかもしれません」

かみさま、なんて言葉を使うのは憚られた。そんなことを云ってしまったら、もっと困ってしまうだろうし、生身の人間に対してそれはどうなんだと思ったから。勢いだけで此処まで亮さんを連れてきたことを今更自覚して、指先が緊張に固まった。
亮さんは湯気のたつ水面を見ながら、ぽつりと云った。

「おれは人の役に立ちたいと思っていたから、敦くんがそう云ってくれるのは、とても嬉しい」
「どうしてそう思うんですか」

ひょっとしたら、亮さんも僕と似た境遇なのかもしれない。もし亮さんが自分に価値がないと思っていて、それを覆す為に人生を費やすならば、何か手助けが出来るかもしれない。少し楽になる考え方を、一緒に太宰さんに訊いてみるのもいい。亮さんは水面から目を離し、僕の目を見た。

「神様に、なりたかったんだ」
「……かみさまに?」
「そう。清らかで、慈愛を持ち、誰もを救う、そんな神様に」
「それは、どうしてですか」

思ってもいなかった返答に、一瞬息が詰まった。かみさま、かみさまだって?そうか、亮さんは神様になりたいのか。それなら、先刻思ったことを口に出しても許されるのではないだろうか。口に出せば、亮さんの傷が減らないだろうか。袖口から覗く擦り傷の治療も、この人は拒んでしまうから。

「亮さんはもうとっくに神様みたいですよ」
「否、それじゃ駄目なんだ」

何がいけないのか、尋ねる前に亮さんが続けた。「それじゃ偽物だろう」

「いえ、これは言葉の綾で、僕にとっては、」
「おれがなりたいのは、きみの神様じゃない」

声が出なかった。僕が神様だと思っていた人は、どうやら僕の神様ではなかったらしい。

「本当に救いたい人がおれを見るまで、おれはこのまま生き続けるよ」

亮さんは一口だけ珈琲を啜って、二人分の代金よりも多いお金を置いて店を出た。
彼を神だと思うことを許される人が羨ましくてしょうがない。僕は慥かにあなたに救われたのに。





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