素晴らしき日々のための一手


ドクターの執務室のドアからひょっこり顔を出したのはコロセラムだった。ドクターはペンを動かす手を止めて、誰かが休憩用に置いていった一人掛けのチェアを進めた。ドクターの机のインスタントコーヒーを一杯分拝借したあと、コロセラムは腰を下ろし足を組んだ。

「ちょっとした提案をしたいんですが、お時間は空いてやがりますか?」
「かまわないよ」

にっこり笑ってコロセラムはビジネスバッグから書類を取り出した。そこに載っていたのはレイジアン工業の一人の履歴や功績をまとめたものだった。コロセラムが履歴書の隣に並べた写真の中には若いサヴラの男が仏頂面でこちらを睨んでいた。

「この男はレイジアン工業で私とは違うチームにいる技術者なんですが、こいつはそこそこやる男でして……ロドスにどうかと思った次第です」
「彼とは親しいのかい」
「それなりには、ですかね。それよりもこの優秀な男が箸にも棒にも掛からねープロジェクトで疲れ切っちまってるっていうのが我慢ならねーんです」
「戦闘経験は?」
「さあ……聞いたことはないですが、背丈はありますよ」

ドクターはコロセラムの話を聞きながら履歴書に目を通した。筆跡はコロセラムのものであるため、カナタという名前の彼が本当にロドスに来ることを望んでいるのかまで、ドクターには推測することができなかった。彼の学歴や実績は申し分なく、ロドスは常に人手不足だ。特に最近はみな戦闘に慣れてきたせいで手入れが必要な武器が増えてきている。そしてレイジアン工業は信頼に足る企業だ。

「彼はロドスに来てくれるかな」
「もちろん。私がいますからね」
「そうか」
「雇ってくれやがるんですか?」
「彼にその気があるならね」

書類を纏めて手早く鞄に仕舞ったコロセラムは満足げに笑って席を立った。「じゃあ決まりだ。きっとあなたのお気に召しやがりますよ」フィディアらしい尾がゆらゆら揺れている。

「ついでに外出許可をもらえますか? 二週間ほど」
「んー……ま、いっか」

コロセラムが任務の達成に余念がないことは知っている。最近はプロジェクトを試せるような任務もないし、ドクターは軽い気持ちでその申し出を受け入れた。ケルシーに怒られたときは、まぁそのときだろう。




コロセラムがレイジアン工業の本社に到着したのはロドスを発って四日後の深夜だった。警備に話を通し、レイジアン工業の三階の研究室のひとつ、こんな深夜になってまで灯りをつけている部屋へ歩いた。いくらコロセラムがロドスに馴染んだとはいえ、社内のルートを忘れることがあるわけがなく、最小限の灯りだけでも十分だった。無機質な番号の書かれた部屋のドアのにIDカードをかざせば重厚な扉がその重さを感じさせずに開く。目的の人物が背を向けて座っていた。その周りには書類が散乱している。男の本業は研究であるというのに、どうしてこうなっているのか。その光景にため息をついて、コロセラムは部屋に足を踏み入れた。

「おい、起きやがれ……カナタ」

机に突っ伏しているカナタはコロセラムの声掛けにも応じず寝息を立てていた。カナタは元来生真面目な男で、職場で寝るようなことはそもそも是としていなかったが、彼ほど真面目ではない同僚の仕事を肩代わりしてやっているうちに彼自身のキャパシティーを超える仕事量になってしまいここまで堕落してしまった。堕落とはいえ、誰にも迷惑はかけていないのだが彼が自らに失望しているのを知っているコロセラムは歯痒くてしょうがなかった。
ぽんぽん、と優しく肩を叩いてやれば隈が薄くついた瞼が徐に開かれた。

「起きたか、まったくこんなところで寝たら風邪をひくだろうが」
「……コロセラムさん? あれ、出張じゃ……」
「お前を迎えにきてやったんだ。話があるから顔を洗ってきやがれ」

突然現れたコロセラムに混乱しているカナタは、それでも従順にコロセラムの指示に従ってレストルームに小走りで消えた。散らかった書類を纏めてやっているところで顔を濡らしたままのカナタが帰ってきた。コロセラムによって片づけられた書類に気づき「あ、どうもすみません」と軽く頭を下げたカナタだったが、状況を思い出したのか頭を振って言った。

「いやいや、そもそもあなたがなんでここにいるんですか。ロドスで武器のプロジェクトがあるとかなんとか言ってたじゃないですか」
「お前のために戻ってきてやったんだ。お前がこんな所で燻ってやがるから」

カナタはコロセラムに纏められてなお高さのある書類達を一瞥して、乾いた笑いを漏らした。カナタは不健康な生活で痩せたらしくコロセラムと頭一つ分違う身長がより際立っている。いくら嫌いでないといえど、レイジアン工業が取り組むプロジェクトなんて、コロセラムに言わせれば須らく"つまんねー"ものである。そんなものに珍しく気に入った部下が使い潰されるなんてことは全くもって気に食わないのだ。

「でも、プロジェクトはまだ途中で……」
「レイジアン工業の技術を舐めてやがるのか? お前がいくら優秀でもひとり欠けたからって滞るようなシステムでやってねーんだ」

まだ迷っている、というよりただ困惑しているカナタにコロセラムは畳み掛けた。「私が来いって言ってんだから、黙ってついてきやがれ。絶対に損はさせねーし、お前もきっと気に入るから。お前はこんなところで止まってていい人間じゃねーんだ」
「……そんなふうに思ってもらえてたなんて、嬉しいなぁ」

カナタは薄く頬を染めてそう言った。

「それにしても、どうしておれにここまでよくしてくれるんです? チームも違うのに」

カナタが口にした当然と言えば当然の質問に、コロセラムは答えられなかった。
コロセラムとカナタの接点は、コロセラムがカナタの教育係であったことしかなく、一年も経たないうちにカナタはコロセラムと違うチームへ移った。仕事ができることからロドスとの共同プロジェクトを任されたコロセラムと違い、カナタは実力がどれほどであろうと雑用を押し付けられてしまう程度の男だ。カナタの疑問を抱くのも自然である。コロセラムだってそのことは重々承知していた、はずだった。
先ほどのカナタの淡紅など比にならないほど赤くなったコロセラムの顔に気づいたカナタがえ、と声を上げる前にコロセラムは部屋を飛び出した。

「あッ、コロセラムさん!?」

制止の声も聞かずコロセラムはなんとか自分の部署まで走った。デスクまで歩く余裕もなく壁にもたれかかり、ずるずると蹲る。ドクターに話をつけることも、これから起こるカナタの業務変更に係る作業も苦だとは思わないのに。

「……言えるわけねー……」

ずっとお前のことが好きだから、一緒にいてほしいなんて。




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