おいしい晩餐にありつくために いいにおいがして目を開けた。ソファで横になっていたらいつの間にか寝てしまっていたようだ。匂いにつられて顔を向けると、キッチンに直が立っている。そういえば、火村さんに習っているとかなんとか言っていたような記憶がある。やわらかいクリームの香りを肺いっぱいに吸い込み名前を呼べば、青い頭がぴょこんと動いた。立ち上がって直の背中から鍋を覗きこむと、とろとろの乳白色のなかに緑やオレンジが見える。 「おはようセンパイ! 疲れてたでしょ、火村さんがガトーショコラを冷蔵庫に入れてるから食べなって言ってたよ」 「……何つくってるの、シチュー?」 「正解! センパイが好きだって聞いたから」 匂いだけでも旨いことがわかる。おいしそうと率直な感想を言えば直は満面の笑みを浮かべて礼を言った。 「今日の晩御飯は直の手料理かあ」 「だ、だめ!」 「え?」 シチューなんていつ以来だろうかと夕飯を待ち遠しく思っていたが、どうやらその権利はおれにはなかったらしい。おれが余程傷ついた顔をしていたのか、焦った様子で直が補足をする。 「いじわるじゃなくて……その、具材の大きさバラバラだし、胡椒入れすぎちゃったし、こんなのセンパイに食べさせられないよ」 「……でも、その量はひとりで食べるには多くない?」 「あ、う、空田さんに手伝ってもらうから、大丈夫! そこまで味は悪くないはずだし……」 「じゃあおれが食べてもよくない?」 「センパイには完璧なの食べてほしいから! だから、ダメ」 こういうところはあまりよろしくないと思う。具材の大きさが揃っていないからなんだという話だし、空田さんに食べさせておれに食べさせないなんてもはやいじめられているような気分だ。おれは直よりも年上で体だってでかいのに過保護すぎる。今までの直のことを知っているからこれが好意からくるものだと理解できるがここまで頑固なのはよくない。実によくない。直はおれを特別だといってくれるのに、おれだってそうだということを受け入れないのはどういうことなんだ。 「直はおれのこと好きでしょう」 ストレートなおれの言葉に、目尻を薄紅に染めた直がこくりとうなずく。 「おれだって直が好きだよ。おれのためのじゃないものを無理に食わせろとは言わないけど……でも食べられたらうれしいな」 「う、でもおいしくなかったら……」 「そんなわけないって。おれのはじめてのおでかけの相手は直だったのに、おれは直のはじめての料理もらえなかったんだから、そもそも不平等だよね」 「え、あぅ、でも、おれだってお出かけはセンパイと……」 わたわた慌てながらこの話題から逃げようとするよく光る眼に「すなお」やさしく名前を呼べば、その動きが止まった。そんな話をしたいわけじゃない。おれの目的は旨い晩御飯のみだ。もうすこしだと確信して、頬から形のきれいな耳まで指を滑らせれば肩がびくりとはねた。先のはにかみなんて比にならない真っ赤な顔だ。 「ね?いっしょにご飯たべよう」 その誘いに、直がこくりと頷いて―—— 「おいー、なにやってんの」 「あ、所長」 「うわ! しょ、所長……」 間延びした声に振り返れば、われらが所長がキッチンの入り口で寄りかかり、腕を組んでこちらを見ていた。そう、何を隠そうここは事務所だ。なにか不都合なことを言わないように、細い肩に腕を回す。こわばった体を安心させるよう軽くたたきながら、所長に向き直る。所長はちょっと呆れた顔をして言った。「別に細かく言いやしねえけど」 「カナタ、あんまり直をいじめてやるなよー」 「そんなことしませんよ。ねえ?」 真っ赤な顔のままコクコク首を縦に振った直に、所長はあからさまにため息をついた。特におれたちに用はなかったらしく、棚から妙な味のインスタントラーメンを取って所長は部屋に消えた。 所長がいなくなりまた二人きりになったキッチンで、直が深く息をつく。心なしかげっそりした直から手を放す。 「なんか、疲れちゃった」 「ふは、じゃあご飯にするか。おれもなんかデリバリーしようか、な?」 いじめるなと言われた手前、これ以上ちょっかいを出せば所長に怒られてしまう。シチューが惜しくないわけではないが、直が自分から振舞ってくれるのを待つしかないだろう。おれは料理ができないし、年下にこれ以上ねだり続けるのも無様だ。 ──と思ってのデリバリーという発言だったが、途中で袖を引っ張られて語尾が変な上がり方をしてしまった。上目遣いでこちらを見る直にどきりと心臓が鳴る。 「あの、ほんとに美味しくないかもしれないんだけど……よかったら、センパイに食べてほしいな」 あまりにも可愛い後輩にときめいて熱くなる顔を隠すため空色の頭をぐしゃぐしゃにかき回した。 火村さんお手製のパンと食べたシチューは最高に美味しかった。謙遜は美徳だが、直はもっと自分の長所を自覚するべきだと思う。 Top |