目が見えないまま月を歩く ※死ネタ 任務で向かう途中の道に、知った顔の隊士がいた。たしか同い年の、名前は日下部といっただろうか。まだ入隊して間もない頃に任務を共にして以来、会ったことはなかった。その時の日下部は異常なまでに生に執着していて、鬼を斬るまでに随分時間がかかっていた。それに苛立った隊士も多かったようだが、結局会うことも、彼のことが話題に上がることもなかった。 今回は此奴と一緒なのか。不躾に見つめながら考える俺と目が合った日下部はにこりと笑った。綺麗な色をした唇が動く。 「富岡、だろう? よろしく」 「……よろしく」 話すことが見つからず黙る俺に、日下部が困ったように眉を下げた。 それから誰とも会うことはなく、二人だけで歩いていた。鴉が言うには二人きりの任務だそうだ。日が暮れるまで時間はあるため任務に支障はないが、そのせいで長い時間会話しなければならなくなった。任務先が自分の故郷と近いことや、この前柱を見かけただの他愛もない話ばかりだが、まぁ、退屈はしなかった。 「富岡はさ、なんで鬼殺隊に?」 「……姉が、殺された」 「……そっか。頑張らないといけないな」 申し訳なさそうな顔をして、日下部は前を向いた。やっと会話が終わったのに、俺の口は勝手に動いた。その悲しい目が気になったから。 「お前は」 「おれは……友人が、ね」 「死んだのか」 「いいや、鬼になったんだ」 だから探しておれが殺す。一度も俺に目を向けずに言い放たれた言葉からは本気さが窺えた。鬼殺隊には色んな事情の奴がいるが、日下部のような人間は初めて見た。そうかとだけ返して会話は終わった。 ようやく鬼が潜むという山に着いたので、二人で手分けして住処を探す。もう麓の人間が相当喰われている。もしかしたら下弦ぐらいの鬼かもしれない。暫く走り回って、ボロボロの廃寺を見つけた。暗くどんよりとした雰囲気の中、濃く血の匂いが漂う。鴉に日下部を呼ばせて刀を抜いた。扉を蹴破り、暗闇に慣れた目で中を見渡せば隅で人を喰らっている最中の鬼がいた。こちらに気づいた様子もなく男か女かもわからない死体を貪っている。軋む床を蹴り飛びかかれば、瞳孔の開ききった目がギョロリと俺を捕らえた。そこに文字はない、ならば勝ち目は十分にある。 振り下ろした俺の刀は確かに首を切ったはずなのに、少し食いこんでそれ以上進まなかった。どうやら鬼は異様に硬い皮膚を持っているらしい。鬼の手が刀を払い除けようとするのを避けてすぐに距離を取る。水の呼吸を発動させようとしたところで、後ろから足音が聞こえた。 階段を駆け上ってきた日下部が叫ぶ。 「待ってくれ! 殺さないでくれないか」 何を言っているんだろう。此奴は鬼で、俺たちの敵だ。俺が何を言いたいか分かったらしく、焦ったように日下部が叫んだ。 「分かってる、わかってるから、少し時間をくれ」 鬼気迫る表情に、一歩引いて譲ってやれば、刀も出さないまま日下部は鬼に言う。 「おれを知っているか」 「……おい、危ないぞ」 「その髪と背でわかるぞ、おれはお前を知ってる。人間の頃の記憶が欲しくないか」 俺の制止も聞かず、もう一歩踏み出した日下部に鬼が飛びかかる。動きはそれ程早くはないが先程の硬さを顧みれば安心はできない。 知能もなく跳び回るこの鬼が人の言葉を理解しているとは思えない。日下部の目的はわからないが、早く殺さねば危ない。ギリギリで避けた日下部は、まだ鬼に呼び掛けを続けている。 「わからないか! 思い出せ!」 「おい、日下部! 二人なら首を斬れるかもしれない、早くやるぞ!」 「待って、此奴が、さっき言ったやつかもしれないんだ。頼む」 さっき言った奴、とは鬼になった友人のことだろうか。髪と背は知っていると言っていたから、確証はあるのだろう。では、俺はどうするべきか。日下部はこの鬼の為に鬼殺隊に入ったと言っていたし、邪魔をされたくはないだろう。ならばと壁際に寄り、鬼の弱点を探すに留める。激しい攻防の中、日下部が吼えた。 「目を覚ませ! 俊郎!」 俊郎、と呼ばれた鬼はピタリと動きを止めた。すかさず日下部が言葉をかけ続ける。 「ほら、俊郎。おれがわかるか?」 「だ、れ……しらない」 「おれは日下部カナタ。お前の友人だよ」 「カナタ…………オレは、俊郎……?」 「そうだよ、思い出してくれたか」 酒に焼けたようなガサガサの声や醜く盛り上がった筋肉は日下部よりもずっと年上に思わせるが、日下部は疑うことなく鬼の言葉を肯定した。鬼は鋭い爪の生えた手で自らの目を覆い、ブツブツと呟き出した。聴こえづらい声に耳を澄ますと、なにか言葉を繰り返している。 「オレ、人間を、食べたの?」 「あぁ。だからお前を殺しに来たんだ」 「いけないことしたから……?」 「うん。罪は償わないといけないからね」 異様な光景だった。先生と生徒のような、親と子のような、優しく間違いを諭してやるその姿が月の光に照らされている。崩れ落ちた鬼の為に日下部は膝をつき、焦げ茶の髪を撫でた。その手は、その腕は鬼を殺すためにあったんじゃないのか。 人間の頃の記憶が戻ったのか、ぶるぶると震え、怯えながら泣き出した。 「こわいよぉ、カナタ、いやだ……」 「大丈夫。すぐに終わるよ」 「やだ、やだよぉ……」 鬼に対して、微かに同情の念を感じた。だが、人間を食ったことに変わりはない。早く殺さなければ、いつこの鬼の気が変わるかも知れないのだから。日下部も殺すと言っているからもう遠慮はいらないだろう。日輪刀に掛かった手を、日下部が制した。 「……何だ」 「こいつを殺すのは、おれだよ」 「殺す気が見られない」 「大丈夫。絶対に殺す」 だが、日下部の左手は尚も優しく鬼の頭を撫でている。こわいこわいと体を小さくして譫言のように呟くその姿は、人をいくらも喰ってきた鬼には思えない。そうか、鬼になる前で精神が止まっているとしたら、この鬼はまだ少年だったのか。かつての友人に、日下部が優しく言った。 「独りは嫌だよな」 「うん……」 「じゃあ、二人でいこっか」 初め、日下部が軽い口調で言ったそれの意味がわからなかった。それは鬼も一緒だったようで、きょとんと日下部を見つめていた。 「ほら、おれも一緒に死んであげるからさ」 「な、おい日下部」 「心配いらない」 有無を言わさぬ声が俺の呼び掛けを遮った。覚悟を決めた目に見つめられて動けない。日下部の口角がゆるく上がった。本当に、死ぬつもりだ。 「なぁ、また山を探検しよう。楽しいぜ」 「でも、オレ、みんなを」 「大丈夫。みんなきっと許してくれるよ、お前は皆に好かれてたんだから」 また泣きわめく鬼を立たせて、日下部は鋭い爪の生えた手を取った。大丈夫だよと言い聞かせながら。そして俺を見ないまま言った。 「もしもしくじった時の為に、麓にいてくれないか」 まだ何も喋れない俺に一つ言い残し、日下部は鬼の手を取った。 鬼はグズグズと幼子のように泣きながら、日下部に手を引かれて歩いていく。その間も、日下部は俺にはわからぬ思い出話を続けていた。そんな顔をする奴だったのか、お前は。 朝が来て、山を登れば日下部の死体と鬼が着ていた服だけが残っていた。腹と首から血が流れている。腹を切り、鬼に介錯をさせたというのか。まだ薄ら温かい死体は、夜が明けるまで鬼と語らっていたのだろうか。 日下部を止める理由なんて幾らでもあったはずだ。鬼を殺さないのは隊律違反で、鬼の日下部の言い分を守らない可能性だって十分にあったのだからあの場で斬り捨ててしまえばよかったのだ。どうしてそれができなかったのだ。俺は友を見殺しにした。日下部だって、どうしてあんなことをしたんだ。自分の命より一人の鬼を取った。誰にも遺言のひとつも残さずに。 俺はいつまでも鬼が憎い。もう顔も思い出せぬ程遠くに、仲間を連れて行った。いつまでも息がしにくかった。 Top |