星屑に溶かして


今日は月が明るくて、忍びたちが働くには幾分向かない夜だった。我らに休むことなど許されないが、こんなしくじりやすい時に仕事を任されていないのは僥倖だった。
寝所を出て一番高い木に上り月を眺める。今もどこかで人が飢え殺されているのに、空は、特に夜の空はいっとう美しい。高い雲が月を隠せば星たちが煌めく。静かないい夜だ。
誰もいない林に感じた人の気配に下を見れば、我が真田の忍び衆の女忍びをまとめるくのいち様が
いた。我ら女忍びには名が与えられないため、くのいちとは便宜上の呼び方だが、くのいち様は気に入っているらしい。飛び降りて膝をつけば、楽しそうな声がふってくる。

「気配に気づいても構えないなんて、ちょっと油断が過ぎるかにゃ?」
「私がくのいち様の気配を分からないわけがないでしょう。どうされたんです?」
「別にぃー?……暇だったら、相手、してほしいな」

背を向けた月の光でその顔はよく見えないが、いつもの自信なんてどこかに行ってしまったきっと情けない顔をしているんだろう。こんなこと頼んでおいて。

「構いませんよ」

笑ったつもりだけれど、多分私も同じような顔をしている。
ぬるい風が強く吹いた。どうやら雨が近いようだ。




これは私にとって聖なる儀式であり、苦痛の拷問だ。晒された白い首筋に跡をつければ、くのいち様の肩がピクリと揺れた。もう一度吸い付いてやれば「ン、」と声を洩らす。なんて婀娜っぽいんだろう。同じ里の出なのに、私には殆ど教えられなかった術だ。
こんなに色っぽく、美しくていらっしゃるのに、くのいち様はずっと片思いをしておられる。しかも主に。主である真田様のご子息は色恋にあまり興味がないようで、周りから見ればけっこうわかりやすいくのいち様の恋慕にちっとも気づいておられない。くのいち様は自らの思いと身分との間で苦しそうだ…………が、私にとっては好都合だった。だって彼女をこんな風にできるんだから。
私は優しくて、強くて、私に紫苑の名をくれた彼女を愛している。女が女を、忍びが忍びを愛しているなんて笑い話にもならない。そんなこと忘れるほど彼女に溺れた。だから時々どうしようもなく大きくなる彼女の熱をこうして散らしてやっているのだ。

「気持ちいいですか?」
「うん…………もっと、痛いのがいい」

降り出した雨に私の笑い声が混ざる。主人への恋を女で埋めようとするなんて、この人はなんて不器用なんだろう。
私はくのいち様が私なんかみていないことを知っている。幸村様と私では、何もかも違いすぎた。痛くないと頭がおかしくなってしまいそう?じゃあそうなってしまえばいい。人ひとり隠す場所ぐらい知っている。彼女が凍えないように綿のたくさん入った着物を用意して、寂しくないように家の周りにたくさんの花を植えて、そこで二人いられたら、ああ、なんて幸せなんだろう。でもこれは、私だけの幸せだ。
がり、と強く歯を立てる。くのいち様の呻き声に私も痛いような気がするが、それが彼女の望みなら私は叶えなければいけない。代用品にはこれぐらいしかできない。
今だけは私が彼女を独占している。暗い愉悦は私を悪戯に奮い立たせ、良くない性質を浮かび上がらせる。

「ふふ、痕、暫く残っちゃいますね」
「…………うん……でも、いいの」
「そうですか。人に見られないといいですねぇ」

誰とは言わなかったが、くのいち様は思った通り幸村様を想像したようで、唇をぎっと噛んだ。いつも静かに言うことを聞く部下がこんなことを言い出すんだから、いつにも増して不快か罪悪かが彼女を蝕むはずだ。それでいい。私ばっかり辛いのも不公平だし。
あ、そういえば、接吻だけはさせてもらっていないな。
そう考えた瞬間、勝手に体が動いてその唇を奪っていた。柔らかい。くのいち様は身を後ろに引いて唇を拭って私を睨んだ。一瞬重なっただけだったのに、流石に傷ついてしまう。

「……これは許してないけど?」
「たまにはお代ぐらい頂いても良いでしょう? 水を差したことは謝りますよ」

これ以上何か言われる前に押し倒して掌で口を塞ぐ。掌で触ってもその唇は柔らかくて、もう二度と口付けできないのが残念だ。
ここで私は今更、自分で自分の首を絞めたことに気づいた。 私は自らこの人からの選ばれる権利を捨てたのか。そう思うと途端に怖くなった。

「……ごめんなさい……あの……怒らないで」
「急に弱気になるんだ……いいよ、続けて」

次はくのいち様から接吻をしてくれた。掠めるような、いやらしさなんて欠片もない慈悲に満ちたものだった。あぁ、やっぱり私では、幸村様にはなれないのだ。
赤い歯型が早く消えるように、と傷跡を舐めた。くのいち様が擽ったいよと笑う。私が閨に呼ばれないのは悲しいけれど、彼女が苦しむよりずっといいな。
月の光が彼女の顔に差す。栗色の瞳は今日の夜より美しい。ぬるい風も雨も、いつの間にかどこかへ行っていた。
願わくば、あなたが幸せでありますように。




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