夜空に浮かびたい 今日は十二時を過ぎても同棲している家に治くんは帰って来なかった。まぁ、そういうことだろう。 私がお付き合いをしている治くんは、とんでもない女好きである。私なんかにも声をかけるぐらいだ、その美貌に掛かる女性だけでは足りないようで私と付き合った後もまあまあの頻度でナンパをしている。そこからホテル、なんてことも多いようで私は嫉妬の炎に焼かれ灰になった後もさらに燃やされているような気持ちだ。何度やめてと云っても変わらないその振る舞いに、それでも私は別れようとは云えないのだから、変わるべきは私だろうが。 今更だからなんとも思わない、と云えば嘘になるが初めの頃に比べればかなり落ち着けるようになっていた。 しかし気分が落ち込んだことに変わりはない。明日は休みなのに、どうしてこんな気分にならなければいけないのだ。もう寝ようと二人が寝るのに充分な広さのベッドに体を滑り込ませれば、がちゃん、と玄関のドアが開いた音がした。心臓が嫌な音を立てだしたが、この早鐘はこれから浮気男と顔を合わせる苦悩かはたまた期待か、どちらにせよすぐにわかることである。 寝室が開かれ差し込んだ光が顔にかかり目を開ける。急な眩しさに、気を遣えよと思ったけどきっと起こすためにそうしたのだろう。「もう寝た?」わかってるくせに。眠れるわけがない。 「…なに?」 「只今」 そう云って治くんの顔は逆光で見えなかったが、きっと笑っていた。だって声があんなに楽しそうだった。 おかえりと返すのが癪だったから「今まで何してたの」と云う。言い訳をするか、それともはっきりと伝えてくるか。もしも女を抱いてきましたなんて云ってきたら殺してやろう。そこまで私は安い女じゃない。少しの沈黙の後、楽しそうな声が云ったのは予想外の言葉だった。 「ずっと、君のことを考えていた」 治くんがベッドに歩み寄って、私の頬を撫でた。その手を掴んで睨みつければ距離が近くなったおかげでその顔がよく見えた。 「嘘ばっかり」 そんな言葉が信じられるか、馬鹿。 恍惚としか表現できない美しい顔が私を覗き込んでいる。掴んだ手を軽く引けば平均よりも随分大きな体でも容易くベッドに引っ張り込めた。ごろりと力の入っていない体を横たわらせて、治くんは私を見つめている。腰の上ぐらいに馬乗りになって首元の包帯に指を引っ掛けた。しゅる、と音を立てて包帯はやけに簡単に解けて白い喉が廊下の光に晒される。 「嘘じゃないさ」 「…嘘だよ。本当なら、どうして私は悲しいの」 「君は悲しんでいないよ。だってこんなにも、」 最後まで云わせたくなかったからキスをして口を塞いだ。治くんの差し出そうとしていた根拠はどうせ嘘っぱちなので。 二人の間に隙間を無くせば女物の香水の匂いがした。ほらね、やっぱり私のことなんて考えてないじゃない。悔しいし、悲しい。これをどういう心算で否定するんだ、この男は。却説、今日はどうしてやろうか。 「ちゃんと、云うこと聞いて」 そう、これは仕置きだ。二度と浮気したくならないように。私を置いていかないように。治くんが他の女の元に行った夜は大体こうなるのだ。結局治くんの行動が変わることはなかったけど。 少しだけ抵抗を見せた唇もその一言で開かれ、真っ赤な舌が這い出てきたから、人差し指と中指の間で挟み込んで喋れないようにする。顔や身体だけでなく舌まで美しいとは、まさに彼こそが神の創造物である。しかし、この舌は私以外に愛を吐く罪の舌だ。指を離してすぐにぱくりと食んでやれば少しだけ治くんの体が震えた。されるがままなのに腹が立つ。私に声を掛けた時は全部リードしていたのにね。 「治くん、こうされたかったんでしょ。だから浮気するんだもんね」 「ん…」 「それは否定?肯定?」 いつも不快なぐらいよく回る舌が淑やかな振りをしている。もう喋っていいんだよ、と云っても私を見上げるだけだ。 剥き出しになった白い喉仏に噛み付いてやれば小さな喘ぎが漏れた。このまま食いちぎってやれば、私以外に愛を吐くことは無くなるのだろうか。 壁にもたれ掛かり私を見上げる治くんの顔に背筋がぞくりと震える。いつも私を見下ろすその顔が乱れ、乞うように長い睫毛が震えていた。 「これからどうして欲しい?」 「……キス、がいいな」 「その後は?」 「なまえがすきなように」 幼児のように頭をぐり、と押し付けてそう云った治くんの後頭部を優しく撫ぜる。キスを強請るなんて本当に小悪魔という言葉が似合う。私よりもうんと背が高くて、声も低いのに。少しだけ優しくしてやろうかと思ってしまった。 ちらりと下を見れば、上目遣いで私を見る治くんと目が合う。その角度から見られたくないのと、私の言動全てが把握されているようなのが嫌で強く胸に押し付けた。大きくない胸では鼓動が直に聞き取られてしまうが、構わない。 「じゃあ、二度と浮気なんてしないように、酷くしないとね」 「怖いなぁ」 ふふ、と笑うテノールが暗い部屋に響いた。いいんだ。どうせ私がこう云うのも治くんはわかってるだろうし。私は知っているから。 そう、私は知っている。治くんがそれはそれは頭が良いことを。私がこういう女だとわかって付き合っていて、むしろこうなるようにし仕向けているのだ。それぐらい頭がいいんだ。言葉の一つひとつが私を駆り立てる浮気されて腹を立ててお仕置きすることも、全て治くんの手の上で踊らされているだけだって。 でもいいのだ、それを治くんが望むなら。それぐらい治くんのことが好きだし、この時間は最高に気分がいいので。 「君が一番好きだよ」 キスで塞いでしまうのが勿体ない甘い言葉だ。でもどうせ嘘だから口の中に指を突っ込んでやった。べろりと舐められたから、舌根を掴んで動けないようにする。軽く嘔吐いているが構わず奥に入れる。そうして全部吐き出してしまえばいい。頭がからっぽになって、私以外何も判らなくなって、そうして云われた好きの言葉なら信用できるから。 「私も、大好きだよ」 許せないけれどね。笑みの深まったその顔は、どこまでいっても美しかった。 Top |