いつか本当の恋になる種 ピピッ、と小さくアラームが鳴った。このアラームが鳴ったということは待ちに待った休憩時間である。すぐさま机の中から取り出したスナック菓子の包装紙をベリベリ雑に破れば中原幹部に睨まれた。このような目つきをしておいて、この男おれよりずっと背が低いのである。それを口に出せば生きていけないのですいませんと謝っておいた。然し手は止めない。おれはこのポテトチップスの為に仕事をしていたのだ。 後ろの同僚からも舌打ちされた。 だが許して欲しい。おれは皆ほど綺麗な生い立ちではなく、飢えた幼少期の経験から、食こそが一番の楽しみなのだ。然し、一人で食べるのは幾らか忍びないので一緒に消費してくれないかという期待を込めて中原幹部に熱視線を送る。 「中原幹部も如何です?」 「要らん。其れより書類を出せ」 「えぇ、今休憩時間ですよ?後からちゃんとしますって」 もう一枚チップスを口に放り込む。恨みの篭もった舌打ちが聴こえたが気にしない。表に溶け込むこのビルジングの中ではあくまで労働基準法が適応されているので正しいのはおれである。別に仕事していないわけではないし。仕事の手を止めない中原幹部こそ頭が危ない。仕方ない。ここはおれが一肌脱いでやろう。 「中原幹部ー。お悩み相談いいですか?」 「ア?」 「だから、お悩み相談です」 「…手前が、俺に?」 「ですです」 やっと中原幹部はペンを置いた。署名なんて何時でも書けるのだから、ちゃんと休憩を取るべきだ。 彼は頬杖を着いておれに続きを催促する。思ったより乗り気なようだ。別に軽口叩き合えればそれで良かったのだが、何気に優しい中原幹部はちゃんと相談に乗ってくれるらしい。 特に相談の内容を考えていた訳では無かったが、どうしようか。強いて云えばこれかと一つ口に出した。 「おれ、めちゃくちゃ男にモテるんすけど」 「…へぇ」 「まぁおれ的には全然嬉しくないんですね」 「…真逆、悩みって其れか?」 「あはは。そして最近それが顕著でして」 「はぁ?」 中原幹部が顔全体でなんだその話はという顔をする。この人は意外にも表情が豊かだ。特に帽子を褒めた時なんかとても誇らしそうに照れている。五大幹部だなんて畏れられているけれど、なんだかんだ優しい人だし。話が逸れた。 おれは昔から男によくモテる。顔はまあ整っている自覚はあるが、筋骨隆々でも線の細い美男子でもない。何をしていなくても誘われたりするのは孤児として貧困街を生きていた時からだ。おれは貞操の危機と常に隣り合わせで生きてきたわけだ。幸い戦闘特化型の異能だった為大人にも負けることなくケツの処女も(男に対する)童貞も守り続けられたが、最近簡単に手出しできないような一般人にも声を掛けられるようになってきてしまった。流石に殴って道に放り出すなんてこともできず、お茶に連れて行かれ終始熱っぽい目で見つめられておれの心の体力がゴリゴリ削られて未だ癒えていない。 もしかしておれの異能って男を虜にするとかだろうか。死ぬほど嬉しくない。 「もう懲り懲りなんですよね」 「…どうしようも無くねぇか?」 「其れ云っちゃ終わりですよー。身を固めるとか…否でもなー、縛られたくないしなー」 「もういいか…休憩が終わる」 「うっす」 ベラベラ喋っているあいだに30分ほど経過していた。また昼休みまで待たなければいけない。もっと食べたかったが、仕方ない。湿気ってくれるなよ。一応開け口を留める為にセロハンテープを探していると、中原幹部から声が掛けられた。机の下に潜り込んでいたし彼の声がやけに低かったので目だけを出して応える。こわい。どれだけ若くて優しいところがあっても、この人はおれの命を物理的にも社会的にも一瞬で殺せる力を持っているのだ。 「手前の男の好みは?」 「…中原幹部ぐらい強い人ですかね!まぁそうそう居ませんけどね!」 え?男に好みとか無くない?おれ女の子じゃないと無理よ?男もいけるんだったら今まで死ぬ気で避けてなくない?え? そういう思いを全部胃の中に押し込んで笑顔で答えをでっち上げる。わかんないけどヨイショしたし、申し分無い答えだろう。知らないけど。 少しの沈黙の後、中原幹部がニヤリと笑った。どうやらお気に召したらしい。何のテストか判らないが正解だったようだ。おれの部下っぷりも板についてきたようである。結局セロハンテープは見つからなかった。 ───────── 今日は休日だから昼まで寝た後美容院に行ってレストランで美人と夕食という最高にお洒落な一日にしようと思っていたのだが、美容院を出た瞬間に全ての予定が消え去った。(因みに美人はこれから引っ掛ける予定だった) 知らない男に手を取られずっと話しかけられている。清潔で実直そうな雰囲気の若い男だ。こう云うことするような人間には見えないのだが、人は見た目によらないか、それともおれが罪作りなせいか。サングラスをかけ忘れたのがおれの敗因だな。 出会い方が違ったらと心から思う。然し、どうせそんなことはないから安心して今すぐ死んで欲しい。 「素敵だ…!」 「あー…面倒くさ…」 「良ければこれからカッフェでも…」 全力で拒否したい。おれの休日をくれてやる心算は毛程も無いので手を振り払い、傷ついた顔をする男に云ってやる。ナンパしてる癖にこれぐらいで傷ついてんじゃねぇよ。 「わりーけど、どっか行ってくれない?」 「なまえの云う通りだぜ。さっさと行きな」 急に聴こえた声に思わず肩が跳ねた。つい昨日にも聞いた声で、声のする位置も同じだ。振り返らなくてもわかる…中原幹部だ。決して小さいと云っているわけでは断じてない。 中原幹部はおれの肩に手を置き、そのまま後ろに下がるよう親指を傾けた。顔が非常に怖い。どうしてこんなに怒っているのか判らないがこう云うときは素直に従うのが正解である。誰も虎の尾は踏みたくない。 男は突然現れた中原幹部に不思議そうな顔をするが引き下がらなかった。知らないとは云え、よく中原幹部に立ち向かえるのは尊敬する。どうせ勝ち目は無いから早く逃げろと云いたい。それに此処普通に道ですけど。喧嘩とも立ち話とも付かない男三人は地味に目を引いてしまっている。あー帰りたい。 今晩遊べる筈だった美人に奪われたおれの視線を、中原幹部の一言が引き戻した。 「此奴は俺んだ。手前如きが触んじゃねぇ」 「え?」 意外すぎておれと男の声が被る。そうなんですか?なんて訊けるような雰囲気もなく、曖昧な笑みしか浮かべられない。もしかして、彼氏がいるということで諦めさせようと云うことか。そうなら、なんて優しい上司なんだ。でも一寸鳥肌立ったから次はもっと上手いやり方を考えて欲しい。 自分で云ってて笑いそうにならないんだろうか、と完全に他人事の思考に浸っていたら男が小さく悲鳴を上げて走っていった。何かしたのかと声を掛ける前に中原幹部が振り返って云う。 「おい、手前も手前だぞ。ちゃんと断らねぇか」 「あ、すいません。でも、助かりました。ありがとうございます」 「フン、…おい、着いてこい」 中原幹部が外套を翻して歩いていく。結局おれのお洒落な休日の予定はおじゃんになるらしい。だが助けて貰って文句を云うような恩知らずではない。今から店に行くなら奢りだろうし、話し相手でも、酔いつぶれた中原幹部の介抱でも付き合ってやろう。 ─────と思っていたのだが。これは、一体なんなんだろう。 暫く中原幹部の後ろを歩いて着いた海の見えるこの場所は横浜のカップル御用達の、所謂デエトスポットだ。有名なのは夕焼けだが、日は高い今の光輝く海も美しい。汚れた街だったが横浜に生まれているのだ、海が嫌いなわけがない。 「綺麗ですね」 「…あぁ、そうだな」 おれの陳腐という言葉にも申し訳ないぐらいの適当な感想に中原幹部は頷いてくれた。彼もきっと海を愛している。 世間的な休日とはズレているから今日はカップルも殆ど居ない。自分一人で来たことはないが、今度来てみようか。 柵に手を置いて海を眺めていた俺の手に、中原幹部の手が重なった。手袋をしていない手はそのまま熱を伝えてくる。おれのより少し小さくて、爪が短い手。 全く意図が読めない。引こうにも手の重みがまるで枷のようで、思わず中原幹部の顔を見る。 そこには先刻の男と同じ、熱っぽい青の目があった。 あ、やばい。そう思うより早く彼の方が口を開いた。 「なァ、お前…恋人は居なかったな?」 「………居ませんね」 「先刻の野郎に、手を取られてた」 「あー…断るの、下手なんですよね。いっつも暴力に頼ってたから、はは」 おれの乾いた笑いがやけに耳に届く。本当に、おれは断るのが下手だ。どうする?手を乗せられた時に感じたのは、確かに寒気だ。 中原幹部がふ、と笑った。 「だろうな。───だが、好都合だ」 「……あ、」 「好きだ、手前のことが」 時間が止まった。光の入った青はまるで海だ。逃がさないと言外に叩き込まれている。 「青臭くてらしくねぇんだが、好きなのは本当だ。結婚したいと思ってる」 「…あは、は、中原幹部女が好きなんじゃないですっけ?」 「その筈だったんだがな。手前はどうも違う。なまえも強い男が好きなんだろ?」 おれは違わないし、好みの話も嘘ですごめんなさい。おれ女の子が好きなんです。 そう云えたらどれだけ良かったか。手の甲にキスを落とされて、もはや笑顔も作れない。 いつかの未来、マフィアの面々が並ぶ結婚式に二人で立つ様子を想像して目眩がした。 Top |