パタン、と読んでいた本を閉じた。フゥと一息つく。
本を読むのは好きだ。昔からたくさんの本を読んできた。テトイに入ってからも図書館にほぼ毎日のように通っている。
図書館ではいつも目的を決めた本と本棚を眺めていて直感的に選ぶ本の二種類を借りている。今読み終えた本は後者の本。直感的に選んだ本だった。
一つのテーマに沿って書かれている世界の作家たちのアンソロジーだ。ただ。
ジムシが出現する季節ということを忘れていた。奇跡的に本の内容に関してはおかしいところはなく、ジムシの被害を抑えられてはいたが、大事なタイトルの一部が抜けているのだ。おそらく抜けている部分がテーマなのだと思うのだが、どうにも内容から推測できない。
仕方ないか、と腰を上げ、窓枠に置いてあった瓶を一つとった。
学園のジムシを取ってこよう。その中に答えが書かれているだろう。
*
文字の形をしながら奇妙な動きを繰り返すジムシたちが無数に瓶の中で蠢いていた。こうして集めてみると気持ち悪さが増す。図書館へ辿り着き、戸を開けた。
中は案の定生徒たちで賑わっていた。普段ならこんなに騒がしくもないのだが、ジムシの季節は仕方ない。図書館のカウンターはジムシを捕まえた生徒たちでごった返していた。
ひとまずジムシを返すのは置いといて、本とにらめっこしながらジムシを探している生徒たちを見やる。ふと、見知った顔を見つけ近づいていった。
「ヒイラギさん、お疲れ様です」
特に騒ぎ立てることもなく本を眺めていたヒイラギシュウに声をかけた。彼はすぐに気づいて顔を上げ、俺だと気づくと少し笑った。
「ジムシですか?」
「ああ。どうにも逃げ出してるみたいで中にはいないようだ」
だいぶ探したのだろう、本の背表紙には開き癖がついていた。瓶の中で一匹のジムシがもぞもぞと這い上がり蓋をつついている。ジムシは一度逃げ出すが、元の本が近くに来ると戻る習性があるらしい。
蓋を開け、本の近くにジムシを下ろしてやると数匹のジムシたちが本の中へと戻っていった。
「おお……! ありがとう。おそらく脱字部分は問題ない」
「偶然ですが良かったです。ところで何を読んでるんですか?」
彼は少しためらいがちに表紙を見せた。『泡沫姫』というタイトルが可憐に踊っている。
「これ、読んだことありますよ。確か人魚のお話でしたよね」
「まぁ、その、知り合いにいるんだ」
恥ずかしそうに微笑み、それ以上語ろうとしない彼には深く追求せず、その場で別れる。ふと目の端にまたも知り合いの姿が映る。今度はヒイラギさんよりだいぶ苛立っているようだ。
「パトリック、どうした?」
「っ、あなたでしたか……。驚かせないでくださいよ」
「ごめん」
彼の手元を覗き込むと難しい数式と電卓が並んでいた。
「何読んでるんだ?」
「魔法科学と物理法則の相関性について」
「また難しそうなの読んでるんだな」
本の横にはメモが散乱していて、何度も同じ数式を計算し直しているようだ。苛立ったようにぐしゃぐしゃっと消した部分が多く見受けられる。
「ジムシか」
「そうですね。その数字部分を出そうとはしてるんですがなかなかうまくいかなくて……ああもう」
瓶の中を覗く。”7”という数字が蠢き蓋をつついていた。本の脇で瓶の蓋を開け、逃がしてやるとその数字はあっさり数式の空欄に埋まる。
「……腑に落ちません」
むすっとしたパトリックの横顔に少し笑みが漏れる。こういうところが彼らしい。
「まぁ何はともあれ、ちゃんと当てはまったんだからいいだろう。そんなイライラするなよ」
「別にイラついてません!」
はいはい、と受け流して早々にその場を立ち去った。可愛い後輩だ、とほくそ笑む。ふとカウンターを見ると先ほどまでの人だかりが一度引いている。今持っていけばそれほど待たされずに申請が済むだろう。
ジムシは図書室の本へとゆっくり戻っていく。が、借りられている本だけは遠すぎて戻ることができないのだ。瓶の中には数匹のジムシが取り残された。
「……おや。レイか」
後ろから声がする。振り返ると目線に姿はなく、下にずらすとその正体が現れた。
「サリー」
図書館に住んでいると言っても過言ではない本当の"本の虫"。サリヴァンがこちらを見上げていた。手には一冊の本を持っている。
「何をしてるんだ?」
「ジムシを捕まえたので届けに来ました。サリーは何を?」
「これを読んでいた」
スッと差し出された本のタイトルは『ホル=ティンド史』。しかし随分と薄い本だ。国の歴史本はもう少し分厚いものだと思っていたのだが。
「最近の出来事しか載っていない、駄作だなこれは。ある一定の年から前の歴史が一切書かれていない。あそこに存在しているということは必ず歴史があるというのにな」
不思議そうに手元の本をパラパラとめくると少し背伸びし、返却だ、と伝えてカウンターの上に本を置いた。
「クロンツェさん、残りのジムシはこちらで預かりますが」
「ああ、すいません少し待ってください」
司書に手を差し出されたが服の中に入れて置いたタイトルの抜けた本の存在を思い出して取り出した。『誰が為の 』と書かれた表紙に受けてジムシの入った瓶の蓋を開けた。
瓶の中からゆっくりとジムシが這い出る。そのまま表紙の上を滑り、あるべき場所に収まった。なるほど、そういうタイトルだったのか。物語の内容を思い出しながら心の中の霧が晴れたように清々しい面持ちで残りのジムシと本を返却する。
そのタイトルはもう揺れることなくそこにある。
『誰が為の願い』
ヒイラギシュウさん (@ponrete)
パトリック・グレイさん(@inuinu_1111)
サリヴァンさん(@wocarinas)