人生で初めてのこと

ラグレイ
創立記念日



 あげた前髪のせいで今日は前が見やすい。背中に普段からある翼がないせいか、バランスのとり方が難しい。普段の生徒たちからは全く感じ取られないほど華やかな空間がそこには広がっていた。
「レイさん」
 聞き慣れた声がして振り返る。その場に彼女がいることはよくわかるのだが、普段とのあまりの差に目を疑ってしまった。
「……どうしましたか? ラグナですが」
「あ、いえ、わかってます。その……よく似合ってます」
 普段と変わらない雰囲気でぐいっと距離を詰められた。普段よりもむき出しにされている胸が体に当たって、普段は見ない彼女の赤い瞳がこちらをまっすぐに見ていて、思わず視線をそらす。無表情はかわらず。顔の周りがすっきりとしたラグナのうなじがよく見えるのは、なんだか目に毒のような気がした。
「レイさんも素敵です」
「あ、りがとう、ございます……」
 変にどぎまぎしてしまってメガネを直そうと手を顔にやるものの、そういれば今日はコンタクトレンズに変えてきたのだと思い出した。指は本来あるはずのメガネの付け根に触れることはできず、そのまま腕は俺の髪を整えようとした。
 こうして二人で合流しようと約束して、改めてちゃんと合流したものの何をするか、だとか何を話すか、だとか何も考えていなかった。
「レイさん、次の曲が始まるようですが」
 タイミングよく先ほどまで流れていた曲が終わっていた。ラグナが行きますか、と首を傾げている。揺れる*の横の髪の毛が可愛らしかった。いつもと変わらない表情と、いつもと変わらない調子を見ているとなんだか馬鹿らしくなってくる。普段と違う場所で、普段と違う彼女を見てしまったせいでなんだか自分に余裕がなくなっていたらしい。仕切り直しに咳払いを一つ、響かせると彼女の前に恭しく手を伸ばした。
「一曲、踊っていただけますか」
 少し驚いたように見開かれた瞳孔と、見間違いかもしれないほんの少しの微笑みとともに彼女は俺の手をとった。このきらびやかな世界の下で俺とラグナもきっとただ一つのペアであるだけなのだろう。人目を気にする必要もない。誰も見ていない……否、強いて言うのなら、目の前の彼女だけが俺を見ている。

 ふと足を踏み入れると頬に冷たい眠期の空気が触れた。一つにまとめられた彼女の髪の毛がよく見える。背中がざっくりあいたドレスはいささか刺激が強すぎるような気もした。
「カクテル持ってきました」
「ありがとうございます。言ってくだされば私が持ってくるのに」
「いいんです。俺がしたかっただけですから」
 人間に擬態するドリンクをすでに飲んでいるとはいえ、彼女の体にアルコールがどんな影響を表すのかわからなかった。ノンアルコールの同じカクテルを二つ。片方を彼女に手渡すと、もう一つ握られているグラスに気づいたらしい。
「そっちのは?」
「えーっと、チェンジ・ミルキー……らしいですね。これを飲むと三十分ほど性転換の幻影を纏うそうです。俺たちには必要かな、と思いまして」
 合流と久しぶりの社交ダンスリードに考える余地を残していなかったが、そういえばこういう場ではいつもお互いの性別を変えていた。本当は不本意ながらマスカレードの時の薬を飲もうと思っていたのだが、教師に禁止されている以上そのままで参加するしかなかったのだ。
 彼女の反応は特に変わることなく、俺が男の姿でかつ翼をしまっていてもいつも通りだった。なんだか申し訳ない気持ちが膨れ上がってしまって、このカクテルを見つけた時はこれだ! と小さく叫んだほどだった。
「必要? なぜ?」
 わからないという顔をした彼女が右手に持っているチェンジ・ミルキーを一瞥して言う。
「え……だってラグナさんは女体の俺の方が好きでしょう」
 思わず本音が漏れだしていた。震えそうになる声を慌てて抑え、彼女から視線を外してベランダの手すりにもたれる。未だ、幻とはいえ女体になることは好きではないし決心もつかない。けれど彼女がその方が好きと言うのなら別にいいのかもしれないと思い始めていた。どうしようもないほど絆されているとわかっていながらも、きっとそれに甘んじてしまうのは俺が……。
「何を勘違いしているのかはわかりませんが」
 手渡したカクテルを持ったまま、彼女は姿勢を崩さなかった。
「私が好きなのはレイ・クロンツェです。性別は問いません」
 耳を疑う、と言ってしまえば失礼になるのかもしれないけれど。出会いが出会いのせいでどうしても驚かざるをえなかった。わからなかったのか、と問われれば断言はできない。わかっていたのかもしれない。それでもずっと自分に自信がなかったのだ。彼女は作られたものである以上に美しい。俺には到底釣り合わない。ずっと……ずっと、そう、思っていた。思い返せば彼女はちゃんと伝えてくれていたのだと思う。何度だって。
「ラグナさん、ひとつお願いしてもいいですか」
 持っていたチェンジ・ミルキーを手すりに置く。人生で初めてのこと。心臓は痛いほどに脈打っている。それでも、どうしても言いたいこと。ずっと前からわかっていたのに言わなかったこと。
 今度は無理矢理にでも彼女の瞳を見つめ、飛び出しそうな心臓を押し込んで口を動かした。

「俺と、お付き合いしてください」


ラグナさん( @homu_o )
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