定期試験の報せにざわめく廊下を足早に歩く。どうせ進級できない僕にとって、定期試験など関係ない。こんなに人が多いところにいたくない。まるで自分が異端であることをまざまざと見せつけられるようだから。
前をほとんど見ずに、人混みから逃げるように歩いていたせいか、顔を上げた頃には生徒の姿がほとんど見えなくなっていた。昼下がりの陽の光が穏やかに中庭を照らしている。前髪の隙間からじっと見つめていると、中庭のカフェスペースに見知らぬ生徒……らしき人がいるのに気づいた。
座ってカップを持っているものの、僕よりは明らかに背が高いのがわかる。体もだいぶ豊満で、何よりも背中から生えた桃色の翼がその大きさを助長している。その瞳は小さな翼で覆われていて見ることはできない。
「あら」
あまりにも見すぎていたのかもしれない。こちらに気づいた彼女の声がはっきりと耳にまで届いた。慌てて逃げようとしたものの、翼の下の瞳がこちらをじっと見つめているようで動けなかった。
「そんなところで立っていないで、よければこちらで一緒にお茶でもどうかしら?」
声はひどく澄んでいて、脳髄に響くような音の羅列だった。言われるがままに彼女の元へと足を運ぶ。最低限の音だけを立ててカップにポットからハーブティーを注いだ彼女が着席を勧めた。
「あ……貴方は、定期試験、受けないんですか」
到底興味もないことが口から出る。まだ熱すぎて口をつけられないカップを両手のひらで包み込んだ。違うんです。貴方が定期試験を受けるかどうかなんてどうでもよくて、本当はもっと他に聴きたいことが。
口元に運んだティーカップの隙間から彼女の赤いルージュののった唇が微笑んだ。
「さぁ、どうかしら。貴方は?」
「ぼ、くは、別に」
手のひらが熱い。そっと口にカップを運ぶと、ほどよい温度のハーブティーが喉を通っていった。
「お、名前を聞いても……」
上ずってつっかえる声を必死で押さえながら、尋ねると彼女の口元がまた微笑みにゆがんだ。
「ピスティ。ピスティ・フォス・イエロ・イドロ。貴方は?」
「つ、亞です! 亞……」
反射的に名前を叫んでしまったがあまりの恥ずかしさに俯いた。ピスティ。ピスティ・フォス・イエロ・イドロ。まるで何かの魔法の呪文みたいで、心の中でなんども反芻した。ピスティさん。ピスティ様。なんか違う。こうじゃない。
「亞? そう、いい名前ね」
きっと目の前の人には見えていないのだと思うけれど、僕の目はこれでもかというほど見開かれた。いい名前。言われたことなど今まで一度もない。忌み名として僕につけられた名前の本当の意味は、『二番目』だ。この人はもちろんそれを知らないのだろうけど、それも当然、社交辞令のようなものなのだけど、ああ、もう、どうしよう。
「ピスティ……さ、いや、あの、先生って呼んでも、いいですか」
口から湧いて出たのはびっくりするほど関係のない言葉で自分を殴りたくなった。今度はおかしそうに彼女が笑って、こくこくと頷いた。
「ふふ、ええ、構わないわ。おかしな子」
恥ずかしくなったけれどその笑い声が歌みたいで心地よかった。嬉しくてせんせい、と無駄に呼ぶ。笑い声が止んでなにかしら? と呟いた彼女に、言いようのない感情が沸き起こった。
「先生、その、先生はいつも何を?」
「私? そうね……」
先生の口元にティーカップが運ばれた。途切れた言葉の先を聞き漏らすまいとその口元に注目する。
「救いを与えているわ。貴方のような、迷える者たちに」
すくい。
僕はこの人についていけば救われるんだろうか。どうしようもないこの輪廻の中から。死にたくても死ねない、死ねたとしてもそんな勇気などない、どうすることもできずずっとその場で足踏みしかできない僕を、先生は救ってくれるんだろうか。
「僕……は、どうしようもなくて」
「ええ」
「生きている意味もなくて、愛されるわけもなくて、ここに送られてきたんです」
「あら……愛することはできるわ。貴方がいい子であれば」
いい子? いい子ってどうやったらなれるんですか? 強くなればいいですか? どうすれば、どうすればいいですか?
「ところで、定期試験は受けないのかしら?」
弾かれるように立ち上がった。少し驚いたような先生の、ほんの少しだけ見えている表情に向かって息を吸い込んで言う。
「う、受けます。貴方のお役に立つために」
表情はゆっくりと変化した。口元が三日月に歪む。声は麻薬のようだった。
「そう、いい子ね」
ピスティ様(@_sr0p)お借りしました。
これを機に定期試験やら魔物棟やらを頑張るようになります。