全てが始まった日

クオリア
テトイに入学する前の話


 夢を見る。
 俺は誰かの腕の中にいる。体はまだ小さい。視界は霞んでいる。雨が冷たい。体はひどく揺れるのに、しっかりと抱きしめられている。豊満な胸の感触。けれど抱えた腕は今にも折れそうなほど細い。
 荒い息遣いがする。どこかへ向かっている? 誰かに追いかけられている?
 何も見えない。聞こえるのは雨音と息遣いだけ。……いや、これは鳴き声だ。赤子の泣き声が遠くで聞こえる。ひどく眠い。
「−−−!」
 雨音に紛れて、俺を抱いているからだが叫んだ。なんといったのかはわからない。次の瞬間、揺れていた体は停止して声の主の体が遠ざかった。別の人間の腕の中に収まる。暖かい。雨が止んだ。揺れる視界の中で桃色の髪が揺れた。何か言っている。誰だ? お前は……俺の、なんだ。
 眠気はピークに達する。目を開けていられない。ああ、なんだかもう、全てを遠ざけたい。あの人を知っているような気がした。嗅ぎ慣れた匂いがある気がした。意識は保ってくれなかった。



 飛び起きた。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。身の回りの、数少ない荷物を確認する。何も取られていない。四肢もついてる。大丈夫、生きてる。ここは冥土じゃない。
 瓦屋根を叩く雨音がうるさかった。だから夢を見たんだろうか。空を見上げるとどんよりとした灰色の雲が広がっている。今が一体何時なのかもわからなかった。
 とっさに転がっていた鉄パイプを取る。騒々しい空の泣き声の中、別の音が聞こえた。
 ひさしの中から飛び出すと同時に音の主も現れた。四足歩行の魔物が数匹。いい食事になりそうだ。体を打つ雨の中口角が上がった。
「……こいよ」
 わっと飛びかかってきた魔物へ鉄パイプを振りかぶった。鈍い音が響く。

 のした魔物たちの息の根を一つ一つ潰していく。小型ナイフを取り出して肉を剥いだ。これだけあれば二週間は生きていける。ちょうど食料が尽きかけていたからちょうどいい。
 雨が血を洗い流していった。
「誰だ」
 脇に置いた鉄パイプをつかんで振り返る。人の気配があった。雨はまだ降り続いている。張り付いた洋服と髪の毛が視界の邪魔をする。
「……クオリア。クオリアだね?」
「あ? ……テメェは誰だよ」
 目を凝らした先にいたのは傘もさしていない、小綺麗な車椅子の男だった。こんなスラムにたった一人で高そうな服のままでいるなんてよほどの強者かあるいはただのバカだ。魔法を使われれば勝ち目がない可能性もある。鉄パイプを握りしめる手に力がこもった。
「シュヴァリエ・エルベール。君を引き取りに来た」
 耳を疑うセリフに、すぐ反応はできなかった。

捨てられた日と拾われた日は雨だった話。
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