失うものの痛み

レイ
地響きと警告


 経験したことのない痛みだった。何かを失うとき、きっと人はこれほどの痛みを伴うのだということをその時理解する。痛い。痛いけれど、まだ無事な右目が捉えたその光景の方が何倍も痛い。待ってくれ、ふざけるな。思考に埋め尽くされた脳内が一瞬でホワイトアウトした。どうだっていい、目なんて片方あれば生きていける。でも、ああ、でも、あなたは。
「ラグナさんっ!」
 悲鳴に似た声が漏れた。鬱陶しいかつての生徒たちだったものは構うものかと寄ってくる。何の感情なのかわからない。邪魔。邪魔だ。邪魔するな。やめてくれ。返してくれ。半身を失っている彼女のもとへ駆け寄りたかった。
「……邪魔を、するな!」
 怒りが魔力に変わっていく感覚がする。目の痛みはどこかにいってしまった。彼女の半身を食べた得体の知れない虫の魔物もこちらへ矛先を変えた。感覚は覚えている。指先をクイっと上へあげた。あたりの土が重力を無視して浮き上がる。的確に元生徒たちの土をえぐりとり、彼らの頭上に土を顕現させた。あげていた指先を下へ向けるとそれらは一斉に質量を持ったまま墜落する。べしゃ、と人間の体が潰れる音がした。何の感情も湧かなかった。
Il nostro una spada我が主の剣
 周囲の土が手のひらに集まって行く。鋭利に。ああ、できる限り鋭利に。一発であの バケモノを殺せるように。俺の大切な人を食べやがったあれを殺せるように。
 鳴き声を、あげているのだろうか。迫る魔物もどこか遠い世界のことのように思える。何時ぞやに見た彼女の笑顔を思い出した。触れた人間のような肌の熱を思い出した。声も音も聞こえない。やるべきことだけを見ていた。
「……消えろ」
 両手で握りしめた、これまでに見たこともないほど巨大になった土の剣を横に薙いだ。視界を埋めるような化け物の動きが止まって、真っ二つに砕け散るのをゆっくりと眺めていた。

「アレン! 誰か! 早く、助けてくれ!」
 彼女の体を抱える。冷たい。落ち着け、大丈夫だ。冷たいのはいつものこと。いくら揺らしても名前を呼んでも彼女の目も、口も開かない。意識がない。生きているのか? どうなる。腕の感覚がなくなっていく。全身から血の気が引いている。また失う。失ってしまう。嫌だ。むき出しになった配線が、彼女は機械であることを見せつけているのに生命がなくなって行く気配しか感じなかった。怖い。
「落ち着け。大丈夫だ、治せる」
 気づかないうちに隣に来ていた幼いアンドロイドは碧眼を静かに彼女の体へ落としている。魔法と工具を持ち出した彼が早速処置を始めた。腕の中から彼女の体が離れて行く。
「ほ、本当か。本当に、治るか?」
「治すと言っているだろう! そもそも貴様もかなりの重症だ。早く処置してこい、たわけめ!」
 言われたところで左目の痛みがぶり返した。冷たい彼女の体とは反対にひどく熱を帯びている。はねた土が傷口に入っているようだ。周囲には魔物も元生徒も、生徒の姿もない。この痛みから解放はされたいが、彼女がもう一度目を開けるまでここを離れたくなかった。
「でも……」
「……娘も望んでいる」
 その言葉にはなんだか言いようのない説得力があった。これまでの彼女の言動を思い返せば当然のことなのだけれど、父である彼の口から聞くと彼女がそう言っているような気がした。
 拳を握る。いろんな感情が痛みとともに溢れ出した。ぐっと我慢してアレンの目を見る。
「お願いします」
「当然だ」
 少し笑ったその表情は、親娘そっくりだった。

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