きっと羨ましい



 『わたべ』と『かぶらぎ』
 出席番号順の席ではいつも窓側と通路側で、大体前の方と後ろの方。席替えでも近くになったことなんてなくて、ましてやクラスが同じになったのは高校三年生だけ。お互いつるんでる友達も、趣味も好みもまるで違っていて接点なんかほとんどなかった。
 でもたまに、夕陽の落ちる校舎の端、図書室の窓際の席で本を読んでいる潮ちゃんの姿はなんとなく目に付いていて。本好きなんだ、と薄ぼんやり考えていた記憶が残っている。


 
「潮ちゃん、ただいまー」
 夜の十時を回る頃。残業を重ねてなんとか帰宅すると、だいたい部屋の明かりがついていて安心する。玄関を開けて中に声をかけると、潮ちゃんがおかえりー、という声が聞こえた。
「今日も遅かったね、お疲れ様」
「うう……お腹空いた……」
「ご飯あるよ、先食べちゃったけど」
「あーありがとうぅ」
 鞄をソファの脇において、ラップのかかった料理をレンジに突っ込む。時間を設定して温めているあいだに鞄を持って部屋に入った。
 堅苦しいよそ行きの服を脱いでいつもの部屋着に着替える。この時が一番開放された感じがして気持ちいい。スマホだけ取り出して鞄を無造作に置き、部屋の電気を消した。
「もう聞いてよ、今日こそは定時で帰ろうと思ったのに帰るぞ! ってなった瞬間に上司が仕事投げやがってほんとに……」
 テレビからはバラエティ番組の声が漏れていたが、潮ちゃんはノートパソコンを開いてソファに座っていた。あまり興味が無いらしい。
「また例の?」
「そう! さっさと辞めてくれないかな……無能すぎて」
「仕事回すのが仕事だと思ってそう」
「それなんだよー! さすが潮ちゃん」
 電子レンジができたぞ、と機械音を鳴らす。ウキウキしながら中から料理を取りだしてラップをとった。今日は野菜炒めのようだ。自分のお茶碗にご飯をよそって箸をとる。ダイニングテーブルに座って両手を合わせた。
「いただきます」
「どうぞー」
 こちらに背中を見せる潮ちゃんがパソコンに文字を打ち込みながら言う。潮ちゃんが具体的に何をしているのか私には検討がつかないし、知らなくてもいいと思う。でも彼女はだいたい、作業をしていても私のぼやきに付き合ってくれる。
「あ、そういえばあーちゃん。今度の連休、旅行行かない?」
「旅行!? どこどこ!?」
「箱根」
「温泉じゃん……!」
「うん。日頃の疲れを癒しにでも」
「行く!」
 潮ちゃんの作った野菜炒めは私の大好きな味加減で白米が進んだ。潮ちゃんは仕事柄、あんまり外に出ないけれど結構アクティブだ。彼女について行くとだいたい面白いことになるし、だいたい新しいものを発見できる。
「ただ取材旅行も兼ねてるから観光多めかも」
「全然いいよ! 私も観光したいしね」
「わかった。二泊でいい?」
「うん!」
 急に打ち込むのが早くなった潮ちゃんの指先に感心しながら口の中のものを飲み込んだ。彼女の細い肩を見ながら、彼女とどこかに出かけるのは何回目だろうかと考える。
 あのころは想像もしてなかった、と最近いつも思うのだ。
 潮ちゃんの存在を知った高校三年生の春。私たちのあいだにはそれから一年間、ほとんど会話も接点もなくてただのクラスメートだった。もう卒業しなくちゃいけない時期になって、ようやく私は彼女を知ることになる。
 大学通学のためにルームシェアをしようとしていた友人が突然できなくなり、同居人を探していた。共通の友人の紹介で潮ちゃんの名前が出た時は不安になったものの、卒業前に会ってご飯を食べただけで大丈夫だ、となんとなく理解した。
 今思えば私は潮ちゃんのような人にきっと憧れていたのだと思う。何にも染まらない、自由で、自分の道を歩ける人。でも優しさはちゃんとそこにあって、なんだか暗い道を照らしてくれるような人。
「……もう十年か……」
「ん?」
「ううんー、なんでもない」
 ポツリと呟いた声に彼女は振り向かずに反応する。指先の動きは健在で、最後にエンターキーを小気味よく押した。
「よし、予約したよ」
「やった! 次の連休まで仕事頑張る!」
「私も締め切り片付ける……」
 最後のひと粒まで白米を食べきって、両手を合わせた。潮ちゃんは律儀にお粗末さまでした、という。
 あの頃の私が今を見たらなんていうんだろう。きっと、羨ましがってくれるに違いない。

あすしお @r_playing_9

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