いい子


ワーム共闘



 温度は感じない。それが忍鬼のはずだった。先生の翼が大きく広がって影を作る。地面にいるはずのワームなど気にならなかった。視線が先生の明かされた目元に釘付けになり、体全体が熱を帯びていく。
「いい? 亞、逃げちゃダメよ。今は貴方しかいないの」
 言葉がひとつひとつの音となって脳の奥へ植えつけられていく。意味を理解する前に、なにか、酔っ払ったかのようなぼんやりとした感覚が頭の中を支配した。
「私の加護が貴方を守るから、貴方が私を守るのよ」
 先ほどまで感じていた恐怖はどこかへ消えた。僕が先生を守る。どんな魔法よりも強力で、驚くほど簡単に僕の行動を決めてくれた。僕がやるべきことは一つだけ。
「はい、先生」
 薄く微笑んだ先生から視線を外して背後のワームをにらんだ。ゆっくりと、羽が落ちるように地面へ降ろされた僕の背中を先生がトン、と押した。
 ああ、今なら、なんでもできるような気がする。
 こちらが見えてるのか否か、ワームはゆらりとその首をもたげ、その巨大な口の中を見せた。ここで戦えるのは僕と先生の二人、否、僕だけに等しい。先生をおいて逃げるなんて絶対にできない。それどころか、先生に傷一つつけてはいけない。
 そしてなによりも、先生に軽蔑されるわけにはいかないのだ。
 息を吐く。瞳に熱が集まってきた。白い息がゆっくりと、ワームの口から体内へと入っていく。
 僕にも先生にも外的な攻撃手段はほとんどない。僕はやっぱり武器を持っていないし、使えるのは周りよりも弱い魔法だけだ。それでも僕には……あんまり使いたくはないけれど、生き物を弱らせる息がある。
 僕の力は強くない。だからこそ、立ち回りを考えなくては。先生の方をちらりと見やる。安全な空中へとすでに移動していて安堵のため息を漏らした。先生に危害が及ばないのなら、いくらでも力を使うことができる。
「っ、わぁ!」
 未だ動きが鈍らないワームから、転げるように逃げた。いつもは重い体も、先生の強化のおかげで驚くほど軽い。見られていると思うとほんの少し動きは硬くなるが、それもさして気にならないほどだ。
 息を吐き続けた。僕の息には弱体化の効果が付与されている。普段、生活する分には制御しているためなんとかなるものの、そのリミッターを外せばそれなりの力を発揮してくれる。僕には、これしかない。
「ハァ……ッ」
 木陰へ駆け込んだ。息が切れている。はやく、はやく効いてくれ。ずるずるとワームの動く気配がする。きっと僕の居場所は割れている。息を吸い込んだ。もう少し、もう少しだけ頑張ってくれ。そう、願った時。
 ワームが僕の横を通り過ぎた。
「……え……?」
 その矛先は空に浮かぶ先生に向かっている。嘘だ、なんで、どうして? ハッとする。僕の中から魔力が外に出すぎている。くわえて魔力をワームの中に注いだから、境目がなくなっているのだ。今あのワームにとって餌となるのは先生の姿のみ。
「ま、まって、ダメだ……!」
 先生の方に向かったワームへとっさに駆け出していた。策なんてない。でも先生を傷つけさせるわけには行かない。
 貴方が私を守るのよ。
 先生の言葉が頭の中に蘇った。言われたのだ、確かに、はっきりと。僕が先生を守る、と。やらないわけにはいかない。だってこれまで、そんなこと言われた試しなんてないのだから。
「先生、さらに上空へ!」
 声が届いていたのかはわからない。僕を見ているのかすらわからない。ただ、僕にとっての神様は翼をはためかせて漂いながら後退している。
 ワームは未だ僕に気づいていない。やるなら、今しかない。
 自身の魔力をたどる。ワームの腹の中に充満したそれらはそろそろ効果を発揮するはずだ。移動しているワームの体ががくん、と動きを鈍らせた。
 残りの力を振り絞って魔力を強めた。ワームの体の器官、皮膚ひとつひとつを弱らせていくように。できるだけ集中して体の中を破壊していく。ここで死んでもらわなければ困る。僕にこれ以上の攻撃手段はない。
「……僕が」
 喉の奥が開き、息が魔力とともに吐き出される音がする。耳に響いたその音は他の雑音全てを消した。ここではないどこかにいるかのような、目の前の景色が現実ではないような、夢見心地の感覚へ陥る。
「守る」
 その言葉は呪いにも祈りにも似た、不思議な魔力をまとったもののように思えた。
 徐々に死んでいく体でもがきながら、ワームはなおも生きようと蠢く。もう無駄だというのにその体は本能のまま動きをやめない。ひときわ大きく体が跳ねたあと、その巨体の首が地面に落ちた。
 そしてあたりは静寂に包まれる。
「……は、お、おわ……」
 夢から覚めたように意識が覚醒した時、体が震えているのに気づいた。立っていられなくなりその場に座り込む。声も出ない、足に力が入らない。遅れてやってきた恐怖が僕の体を硬直させた。先ほどまで確かに動いていたワームの亡骸が、また動くのではないかという不安にも駆られる。
 ふと、頭上が陰って顔を上げると先生がゆっくりこちらへ向かってきていた。地面に着地し、翼がしまわれていく。せんせい、と呼びかけようとしても、絞り出された声はなんの言葉にもならなかった。
「よく頑張ったわね」
 先生の、大きな手が頭に乗る。どんな名誉も、財宝も、きっとその言葉にはかなわない。僕が生まれてから一度も与えられなかった、僕が最も欲しい言葉を先生は容易く与えてくれる。

「亞、貴方はいい子よ」 

 先生にそう言われたのなら、きっと僕もその通りになれる気がした。

ピスティさん( @_sr0p )お借りしてます
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