名も知らぬ人


問いかけ




「わ、」
「きゃっ」
 寮へ向かう途中の曲がり角。お互いに前を見ていなかったせいか生徒とぶつかってしまった。可愛らしい声が聞こえて顔を上げると、女性らしき生徒が苦笑いに困った表情を混ぜてこちらを見ていた。
「すいません」
「こちらこそ、ごめんなさい」
 儚げに笑うその表情がなんともいえなくて、今回のこの投票が生徒たちに与える影響をひしひしと感じてしまった。皆、迷う。当然とも言えるその思考は生徒たちの精神を疲弊させる。
「あなたはもう投票は終えたの?」
「はい」
 彼女はそう、と小さく呟いたまま黙ってしまった。
「君は……」
「まだ迷っているの。投票しない、って手もあるかと思って」
 目から鱗のような返答に思わずえ、と声を上げていた。投票しない、か。確かになくはない選択肢だ。僕に思いつかなかったのはきっと、不思議な義務感からだろう。それは周囲が投票するからだとか、先生に言われたからだとか、そういう些細なことだ。自分で考えることをしていない。投票先だって僕の一存ではきっと決まらないから適当に選んだと行っても過言ではない。だって僕はどっちになったって僕自身が変わらないのだから。
「あなたはどっちに……」
「どっちだと思いますか?」
 自分の手の内を明かすのはなんだか惜しいような気がして、否、自分が選択したことを誰にも悟られたくなくて、思わず濁してしまう。彼女は困ったようにまた笑うと、そうねぇ、とため息をついた。
「敵、かしら」
「どうしてでしょう」
「なんとなくよ。でも、そうね、あなたは急いでいるように見えるから」
 死に急ぎってことですか、と返す前に、彼女は僕の横を通った。
「それじゃあ」
「……はい、名前も知らない人」
 ぱちくりと目を瞬いた彼女が今度はなんの感情も含まずに笑った。心底楽しそうに、嬉しそうに、可笑しそうに。僕の言葉は皮肉に聞こえただろうか。
「ティアーマットよ。また会えたらいいわね」
 僕の名前は聞かなかった。

ティアーマット・ドラクルちゃん(@homu_o)お借りしました
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