初めは鋭い痛みだった。
認識したと同時にその痛みは徐々に広がって、四肢の先端の感覚が戻った。瞼をゆっくりあけると、その眩しさにまた閉じざるを得なかった。ざらざらとした感触が体の下にある。ぐっと腕に力を入れて体を起こした。
「ん……こ、こは……?」
ようやく目が開き、周囲を見回した。一面に広がる砂浜と海。少し遠いところには森がそびえ、人の姿は見当たらない。とっさに持ち物を確認したが、手元にはないようだ。血の気が引く。どうしよう。こんなところで、何も持ってないなんて。慌てて立ち上がる。どれほど倒れていたのかわからないが、海にほど近いところに倒れていたせいか服は少し濡れていた。平衡感覚を取り戻せず、転びそうになりながらも今度はさらによく周りを見回した。
「……あ!」
ほど近い砂浜に見覚えのあるカバンがある。波にさらわれそうになってはいるが、そこまで水没しているわけではないようだ。砂に足を取られながら駆け寄ってみるとまぎれもなくそれは私が持っていたカバンだった。
中を開ける。若干濡れてしまったノートはあるものの、それ以外はさほど被害を受けていない。財布も開いたが、お金はちゃんと入っていた。やはりここには誰もいないのだろうか。
記憶を手繰り寄せる。飛行機に乗っていたことはよく覚えている。そう、友人と別れて飛行機に乗って、家へ帰る頃だった。……墜落したのだ。混濁する頭を必死に冷静にしながら、海岸から森の方へそっと歩いた。日差しが強い。
そういえば日傘を持っていた気がする。出そうかとカバンに手をやった時、前方に人影を見つけた。
「あ……あ、あの!」
慌ててその人影に駆け寄ると、その人はパッとこちらを振り返った。
「よかった……。人、いたんですね、この島に」
「ええ、本当に! 目をさましたら知らない場所なんだもん……」
短い赤毛を揺らして彼女は微笑んだ。私よりはるかに軽装だ。
「ミシェル・フローレンスと申します。貴方は?」
「わたしはハンナ・メイフィールド。よろしくね、ミシェル!」
差し出された右手を慌てて握ると、彼女は溌剌とした笑顔をこちらへ向けた。さっと連絡先を交換する。ここで生きている人に会えたのは大きい。安堵の息を吐いた。彼女の大きな瞳がくるくると動き、なにやらかき集めていたものがあるようでこちらへ手招きしている。
「なんですか?」
「こういうのって結構使えるんじゃないかなって思って! ミシェルも持ってた方がいいわよ!」
指差した先には形の整った石や木材、葉っぱが雑にかき集められていた。彼女に倣って持てる分だけ持つと土を払って濡れたノートに挟んだ。
「それにしてもあなた、覚えてる? 何があったのか」
「ええ。飛行機の墜落事故……でしょうか。機体も見当たらないということは海上で墜落したのかもしれませんね」
「案外冷静なのね。他に生存者見た?」
「いいえ。ハンナさんが初めてです」
「そっか……。さて、二手に分かれるか一緒に動くか、どっちがいい?」
どちらの方がいいのだろう。彼女の問いに思わず考え込んでしまった。私と彼女は力があるというわけではなさそうだが、一人でいなくちゃ死んでしまうようなほどの年齢にも見えない。二手に分かれて探した方がたしかに効率は良さそうだ。幸い、さほど広い島ではなさそうだからすぐに戻って来れそうだ。
「一度分かれて、海岸手前でまた合流するのはいかがですか?」
「賛成! じゃあ、またあとでね」
彼女は海岸側へと手を振って歩いて行った。私も彼女に背を向けて森の中の道を進んで行く。
*
しばらくすると森を抜けた。目の前に小屋らしきものが見える。もしかして人がいるのだろうかと小屋の戸を押した。だいぶ古くから使われていないもののようで埃が舞っている。ここにも人の気配はしない。
恐る恐る床は抜けないだろうかと足を踏み出した。ギシギシ嫌な音は立てるものの、なんとか持っているようだ。
「……わ、あ!」
しかしやはり脆くなっているところはあったようで、足元の床が音を立てて抜ける。バランスを崩した体は埃だらけの床に倒れ、なんとか床下への落下は防いだようだ。
魚が腐りきったような悪臭だった。あまりの臭いに頭痛がする。目を開けるのも嫌になるような空気の中、抜け落ちた床下を覗き込んだ。
「……! ひ、ひゃ……」
声が漏れる。そこにあったのは首をロープで巻かれた人の死体だった。いつからここにあったのだろうか。それは自殺だろうか。冷静に考えるよりも前に強くなった匂いが脳裏を刺激した。吐き気がする。胃がひくついた。
よく見ると死体に張り付いているロープは何かに使えそうだ。かなりしっかりとしていて腐敗も進んでいない。どうしよう。手袋はない。素手で触るしかないのかもしれない。ここでロープを取らなくてもまた別のところで手に入るかもしれない、でも……。
意を決してロープに手を伸ばす。緩くなっていたそれは、端を持って引っ張ればあっさりととれた。バランスを失った死体が少し動いてその表情を見せる。
ぎゅっと手にロープを握りしめて一度、はいつくばるようにして小屋を出た。まだ鼻の奥に匂いが残ってる。新鮮な空気を必死で吸い込んで匂いを追い出そうとした。
ガサガサと森の草はらが音を立てて揺れる。獣か? 人か? あるいは……。持っていたカバンを抱きしめるようにして音の先を見つめた。もしここで襲われてしまったらそれはそれだ……。できる限り逃げよう。意を決した、そのとき。
「女の子だ」
「女の子ですね」
「あんた、大丈夫か? 顔色悪いけど」
現れたのは二人の男性だった。心配そうにこちらを見ている。再度急に安堵して唇が震えた。未だ鼻の奥に残る匂いをこらえながら、必死で声を絞り出す。
「あ、あの、死体が……! 小屋の中に……!」
一度顔を見合わせた二人が小屋の中に入った。うぇー、という悲鳴が聞こえたが、ひとまず外で二人が出てくるのを待つ。思ったよりも強く握りしめていたロープからは悪臭が漂っていたものの、安堵の息を吐かずにはいられなかった。