序章

 煌々こうこうと輝く星月の夜。
 青白い月明かりに照らされる街中で、一人の少女が散歩していた。

 約一世紀半前に起きた大事件以降から、どんな家庭でも夜に外出することは固く禁じられている。日中も夜中も変わらないが、夜になると視界の問題もあって『被害』という名の『死者』が増えてしまうからだ。

 誰もが恐れを胸に抱く夜。だが、少女は確かな足取りで前へ進んでいた。
 恐怖がないとは言い切れないが、少女は夜が好きだった。特に、今宵のような綺麗な満月が浮かぶ夜は。

 少女は歌う。青空に届くほど澄み渡った、春の木漏れ日のような温もりのある声で。
 穏やかな旋律を口ずさんで歩き続け、大きな公園の中に入る。

 赤いブランコ、青い滑り台、黄色いシーソー、白い半球型や回転する遊具。
 どこにでもある風景を眺めて、少女はブランコに座り、スラリと長い足を地面につけたまま軽く漕ぐ。

 射干玉ぬばたまの夜空を体現した腰下まである黒髪が、夜風になぶられて流れるように揺れる。
 不思議な色を持つ異色の双眸そうぼうは穏やかで、それでいて寂しげ。

 消え入るような余韻よいんを残して、歌が止む。

 その時、公園の自販機が壊れる音がした。まるで空き缶とガラスを同時に踏み潰したような耳障りな音。次の瞬間には断続的な銃火器の発砲音が鳴り響いた。
 静寂に包まれた心地良い夜だというのに一瞬で壊された少女は、不快そうに形の良い細い眉を寄せる。

 ブランコから立ち上がって向かうと、公園と違って敷石で舗装された路上に巨大な獣と武装した集団が対峙していた。
 銃撃による火薬の臭いと硝煙が辺りに立ちめる。
 小銃の弾倉が空になったのか、一度だけ音が止む。

「第一班は弾倉交換! 第二班は目標の状態を警戒しつつ確認を――」

 部隊長らしい男が指示を告げ終える前に、巨大な獣の咆哮が轟いた。鋭い咆哮は視界を遮る煙を吹き飛ばし、屈強な集団の四肢を強張らせた。

「くっ……攻撃を続行しろ! 第一班は退避――」

 指示を出すが、前線に立っていた幾人もの武装集団が倒れた。

 煙が晴れてようやく視界に映せた獣の姿は、全長四メートルを超える巨大なハクビシン。白い斑点がある黒い体毛は夜の闇では視認することも難しいが、軍隊の鍛え抜かれた目で見ても血は流れていないので、外傷は見当たらない。

 濁った赤黒い瞳が武装集団を射抜く。高圧的な眼に、武装集団の部隊長の足がすくむ。

「……しょうがないか」

 近くにいる少女は、まるで手のかかる無鉄砲な子供を見るような眼差しで部隊長に目を向けた。

「貴方達、ここから立ち去りなさい」
「はっ……? なっ!?」

 公園に目を向けた部隊長は、民間人がいることにようやく気付いて絶句する。

「聞こえなかった? さっさと逃げなさい」

 澄んだ声は柔らかいが、発した言葉はどことなく冷たい。
 この戦場の中で悠然と立っている姿勢は、どう見ても異質で怪しさを感じる。

 獣が吼える。耳障りな鳴き声に、少女は煩わしそうに冷たい眼を向けた。

「――【砕破さいは】」


 声の質が僅かに変わる。
 短い言葉が終わると同時に、獣の頭部が破裂した。
 肉も骨も砕ける音を立て、血飛沫ちしぶきを撒き散らしながら敷石で舗装された路上に倒れる。ぼたぼたと流れる液体は、辺りをなまぐさい血の臭いで充満させた。

 まるで羽虫を払うかのように凄惨な光景を一瞥いちべつした少女は、意識がある男達に目を向ける。

【貴方達は『私』を記憶しない。『私』という存在を認識しない。私が去ったその瞬間に、『私』を忘れる】


 柏手を打つと、乾いた音が反響する。
 男達の目が催眠術にかかったような虚ろ目になったことを確認した少女は、踵を返してその場から立ち去った。

 頭の中に靄が生じたような感覚に襲われる男達。意識がはっきりする頃には……。

「……は。俺達が……やった、のか……?」

 少女の存在が、記憶の中から消えていた。


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