欲す
判っているのか、仕立て屋は、何時も私が暇を持て余している時やって来る。買う気は毛頭う無いのだが、追い返すのも面倒臭く、からかい半分で結局は買ってしまう。
彼の媚びを向けた目は、何時も私を不快にさせる。だから、私は何時も無言で話しを聞き、無言で買う。
「御無沙汰しております、御嬢様。あ、今は、奥様でしたね。」
細い目を更に細くし、機嫌を取る様、実に滑稽、実に、不愉快だ。
私は無言で、彼を奥に通した。
「此方の御色、とても良く御似合いで御座います。」
嗚呼、そうかい、と冷めた目を向けた。此の仕立て屋、何時も同じ色ばかりを鏡に映す。其の色が好きという訳でもないのに、私の顔に同じ色ばかり映す。若しかするとひょっとして、センスが無いのかも知れない。
其の時私は小馬鹿にした様に鼻で笑い、しかし後になって知ったのだが、彼は色盲だった。だから何時も同じ色しか鏡に映さない。映せなかったのだ。知らなかったとはいえ、馬鹿にしてしまった事が心苦しく、到底着ないであろう原色の着物を買う事になるのは随分と後の話になる。
鏡に映った彼を見た時、私は欲した。
何時もと同じ様に、私は見ていなかった。だから、今迄気が付かなかった。
「其れ…」
「え、どれです。」
「其れよ、其れ。」
鏡越しに顔を動かし、会話をする。
「此の、帯で御座いますか?」
「違うわ。」
「此れで…」
「違うわ。間抜け。」
初めて私が、欲しいと云ったので、彼は驚きと歓喜に巻かれ、云った罵声等気にも止めず、手当たり次第に床に転がっている物を手にした。
「嗚呼、もう、違うわ、違ってよ貴方。貴方が着てらっしゃる、洋服。其れが欲しいわ。」
彼は驚き、自分自身を見た。
「此れ、に、御座いますか。」
「そう其れ。其れ、作って下さいません事。」
「あの、御言葉ですが、奥様。私は呉服屋で御座いますから洋服の方は…其れに、此れは、紳士服に御座います。」
怒られるのではないかと、額に滲むハンケチで拭い乍ら、必死に頭を下げている。
「だから、よ。」
理解した仕立て屋は微笑んだ。
「御嬢様、御変わりになられましたね。私と、初めて、会話らしい会話をして下さった。」
「そう。」
私は、仕立て屋の話も碌に聞かず、引き出しを開けた。中に入っているのは、金品。私は引き出しごと出し、彼の前に置いた。
「好きなだけ、持って行って頂戴。全部欲しいと云うのなら、全て持って行って結構よ。だから。だから、御願いよ。」
懇願した。
其れが手に入るなら、在の人が袖を通すなら、と。邸にある金品全てを渡しても構わない、と。
「其れでは、次回も。」
「ええ。御待ちしてよ。」
一村救える額の装飾品が、たった一人の男の為に、服一着で消えた。
袖を渡した、貧困を無くしたいと願う男の足元は、見えていなかった。
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