権力者


ゆっくりと煙管から煙が上がる。時恵は深く一口飲み、歯を立てた。かちりと、金属と歯が反発し合う音が心地良い。幾度も繰り返し、其れを楽しみ、何時しか旋律を産んだ。そして、受け皿に灰を叩き落とす。此れも又、心地良い金属音がし、楽しんだ。
「不味い。」
無意識にフィルター部分を噛んでいた為湿気り、とても不快な気分がした。龍太郎は点けたばかりの煙草を消し、息を吐いた。
「本郷さん、疲れ溜まってるんじゃないですか?」
部下の言葉に冷たい目を向け、皮肉に笑みを浮かべた。
「そう思うなら、書類の整理位、御前がしろ。俺は知らん。」
書類を部下の頭に叩き付け、促す。窓に身体を向けた時、冷たい体温が龍太郎を包み、其れは特に下半身を包んだ。
「溜まってんのは、此方だろう。なあ。」
「拓也…」
呆れた声を出し、同僚の井上拓也の顔を見た。毎度の事、怒る気力も無く、好きにさせた。井上も手を止める事無く、身体を好きに触った。
「娼館行くか?娼館。」
「誰が行くか。」
「本郷さん、真面目ですからね。」
「嗚呼…、此方も真面目とは。湿気た野郎。」
龍太郎は自然に離れ、用件を聞く為井上に向いた。
井上とは、中尉と階級は同じだが部屋が違う。来る時は、用があるか、余程暇か、何方かである。
「で、何だ。俺は暇では無い。此奴等の仕事を何故か俺がしているから。」
部下に目を遣り、新しい煙草を咥え、又皮肉に笑う。井上は思い出した様に手を叩き、眉間に皺を寄せた。
「御前、いけない事したろう。」
「嗚呼?」
煙草を咥えた侭、火を点けるのを待った。いけない事と云われたが、思い当たる節は無い。そうだとしたら部下達。龍太郎は厳しい顔で、全員を見渡したが誰もそんな顔はしていなかった。井上はそっと肩を叩いた。
「先生様々御来訪。御呼びだぞ。」
煙草と書類が落ち、固まった。部下は全員顔を振り、悪事の擦り付けを始めた。
「部下が駄目だと、幾ら俺が良くても駄目だ。」
「誰が良い上司だよ。」
過大評価に呆れた。
「俺は、悲しい。」
「嗚呼、そうかよ。早く行けよ。俺迄怒られる。」
龍太郎は開いている襟を詰め、帽子を被った。
廊下に響く、二つの靴音。言葉は無い。眉は垂れ、溜息ばかり溢れる。木島が待つとされる部屋のドアー前で、今一度、襟首、帽子、服装を整えた。井上は小さく咳をし、叩いた。
「井上拓也です。本郷龍太郎を御連れ致しました。」
本人とは違う応答、井上は静かに開いた。押される存在感。
否、威圧感。
黒いソファーに、山の如く座る男に、二人は息を飲んだ。
此れが、鬼と呼ばれる国家最高権力者。
「私が、本郷龍太郎です。」
男は、其の野心溢れる目で、じとりと見た。
「随分と、細い。」
掠れた低い声。
「然し、良い目を、している。」
獣の目だと。
男は煙草に火を点け、一咳した。
「本郷、と云ったな。」
「はい。」
「妻(サイ)は居るか。」
龍太郎の目が強く光った。其れは一瞬で眉を落とし、不祥を装った。
「恥ずかし乍ら、居りません。」
男の口が、微かに上がった。
「幾つだ。」
「三十過ぎです。」
「ほおう。」
ゆっくり煙を吐き、消した。蓄えられた豊かな髭を触り、楽しそうに、笑う。身を少し出し、再度、じとりと男は龍太郎を見た。
「成程。」
男の口角が上がってゆく。髭で隠れているとは云え、龍太郎には然りと判った。
確かな洞察力。
其れは獣に近い。
此の男が何を考え、何を云わんとしているか、手に取る様に判る。
――老い耄れたブルドッグ面。
時恵の台詞が浮かんだ。
こうも簡単に心中を悟られる此の男、此れが最高権力者であろうか。呆れを通り越し、笑いが出る。
「先日の事なら、無かった物と。」
「ほおう。」
二人だけが判る会話。
「まあ、座れ。きついだろう。」
しかし、龍太郎は其れを断った。座ったら最後。此の男に飲み込まれるのが目に見えている。
「私も多忙な身、簡潔に願います。」
男が喉の奥で笑った。
「良い。実に良い。」
無表情の龍太郎とは反対に、男の顔は嬉しそうであった。
同じ臭いがする。野心を心に秘めた、血に餓し獣。
暫く無言が続いた。見れば見る程、男の様は滑稽極まり無かった。口が歪む。其れを男は見逃しはしなかった。
「楽しいか。」
「はい。至極。」
無礼な態度に、男の秘書と井上は眉を上げたが、二人は楽しそうにしていた。
「御前は、良い。」
「有難い御言葉を。」
「其の目が良い。」
「過大評価、為さり過ぎです。」
「力が、欲しいと、思わんか。」
龍太郎は微かに目を開いた。瞬き一つせず、自分を見る其の目に、男は楽しくなった。
血に餓し獣。昔の自分の様だと。
龍太郎は深く息を吸い、凛と声を出した。
「大変有難く、恐縮ですが閣下。力は、上(カミ)から与えられる物では無く、自ら手に入れる物。そう、私は、考えております。」
「血を浴びて、か。」
鈍く光る、男の目。男は高笑いすると、ゆっくりと立ち上がった。
「気が向いたら、邸に来い。何時でも相手をしてやる。」
擦れ違い様、龍太郎は喉の奥で笑った。面に似合わぬ、甘い芳香がした。
甘い、金木犀の芳香。窓から入る芳香に、誘われるかの様、庭に向かった。一枝折り、鼻に近付けた。今年は頗る、匂いが良い。
時恵は静かに笑い、一輪挿しに活けた。
「喰い、尽くしたい。」
強過ぎる芳香は、鼻の奥で、更に強さを増した。




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