家庭円満、万々歳


何故居るのか判らない。私は、先刻来訪した次兄、御兄様の顔を疎ましく見続けています。
「なぁ、良い加減、あんな男の元なんか離れろよ。」
拗ねた様に唇を尖らし、唯でさえ突き出ている上唇は面白い形になるのです。
「本人を目の前にして仰いますか、木島さん。」
御兄様同様に釣り上がった目を合わせ、眼力で一喝。其の態度に御兄様はわなわなと震え立ち上がり、テーブルを叩きました。
「嗚呼、云うさっ。何度でも云うさっ。俺は御前が、大っっ嫌いさっ。」
「奇遇ですね、私も貴方が、嫌いです。大嫌いです。」
夫、売られた喧嘩は買う主義なので、同じ様に椅子から立ち上がりました。
御兄様は、背が低いのです。一方夫は高いのです。当然、夫が御兄様を見下す形になり、私は其れが少し面白いのです。
御兄様は陸軍元帥という、陸軍階級最高位におります。名は和臣。夫は悲しき事に、其れに従する陸軍中尉。中尉、将校といえば他の人間は恐れを為して逃げてゆく階級ですが、相手は陸軍元帥。本来ならば、夫が御兄様に見下されなければならないのですが、如何も此の身長差だと無理の様です。形勢逆転の此の二人の姿は、私を楽しませてくれるのです。
「此の、変態。」
夫は鼻で笑いました。
「嗚呼っ。変態は御前だろうっ。」
「私の何処が変態何ですか、えっ?」
「全部だ全部っ。頭の天辺から足の指先迄、全部っ。」
支離滅裂に近い御兄様の喚き。此処迄云われ、中尉の態度で接せられる訳がありません。夫は、非常に気が短く、一部部下の間で“癇癪玉本郷”と呼ばれている位なのです。けれど私は気にしません。夫は私には、其れはもう仏様の様に優しいのですから。
「な、んだと…妹以外の女にはとことん冷たい変態が。時恵にしか性的情が沸かんか。成程、変態だ。貴様陸軍内で何と云われているか知っているか?童女趣味の、変態元帥。嗚呼、確か噂では緊縛も好きだったな。全く変態だ。海軍にも馬鹿にされているぞ。」
陸軍元帥に“貴様”と云う中尉。前代未聞です。しかし御兄様は気付いて居ないのか言葉を詰まらせた侭、癇癪玉本郷の言葉に唇を噛み締めています。云い返す言葉が無い様です。しかし、負けては居ません。口だけは達者なのです、御兄様。
「違うっ。童女趣味は俺じゃないっ。俺はそんな趣味は無いっ。混合するなよっ。」
「嘘云いな。」
聞こえた声に、御兄様と夫は同時に顔を動かしました。云い忘れていましたが、昨晩から、長兄と可愛い弟が泊まりに来ています。夫は今朝帰宅し、云う間も無く御兄様が現れました。
「あら、御目覚めですの?」
「嗚呼。敵わんわ。」
寝起きの悪い事で有名な兄。名は宗一。職業は医者。十五歳で独逸に留学し、五年前に帰国した、第三夫人譲りの京訛りと亜麻色の髪、眠たそうに垂れた目が特徴の兄上。一般では歪んだ性癖とされる同性愛者です。
今日は休みらしく、昨日、私が一人という事を知り、泊まりに来てくれたのです。そんな優しい兄上が、怒りを表す様に頭を掻いています。
「御早う御座います、姉上。」
愛らしい顔で私に微笑みかけるのが弟の時一。長兄との年の差、何と十八。父上も、頑張ります。現在十五歳ですが、五年前に受けた心の傷の所為で以降全く成長が見られず、何時も女の子と間違えられている、少し可愛そうな弟。左顔面を包帯で覆い、其れを隠す様に長い髪をしています。其の包帯の下には、愛らしい顔とは全く正反対の、歪な火傷痕があります。包帯を取るのは、兄上しか許されません。医者だから、という理由では無く、もっと深い理由です。
右目だけでも充分愛らしい弟。其の笑みに、すっかり絆されました。
「何で…」
「何で居るんだよっ。此の二人がっ。」
夫より先に御兄様が叫び、まるで、何方が主人か判りません。
「何で、って、なぁ。」
兄上は弟の顔を見、首を傾げます。
「姉の処に来たらいけないと仰るんですか?嗚呼鬼ですね貴方方は。」
実は、御兄様同様弟も、余り夫の事が御気に召さない様なのです。兄上は、興味すら持ちません。兄上は、年下の、愛らしい少年が好みなので、同い年の夫には興味所か、敵愾心を剥き出しにしています。
「で、変態が如何のこうのて。朝っぱらから…ほんに何の話をしてはんのよ…」
兄上の言葉に、二人は話を戻しました。
「私って、変態ですか?」
夫の問い掛けに兄上は。ぽかんと口を開けました。
「…はぁ?ちゃうやろ。何処を如何見たら龍太郎が変態になんねや。」
「ほら御覧っ。」
勝ち誇った夫の顔。
「…じゃ、じゃあ俺はっ?」
御兄様の問いに、兄上は鼻で笑いました。
「あんさんを変態云わへんで、誰を変態云わはんのぉ?無自覚かぁ?可哀相やなぁ、自分。医者に見て貰ろたら如何やぁ?」
「おまけに童女趣味ですよ。」
「嗚呼もう、どーしょーも無いなぁ。あっはは。」
「救い様が無いですね。あはは。」
「童女趣味は自覚無いからなぁ。わは、わはは。」
滅多打ちにされた御兄様は、深くテーブルに項垂れました。此の二人、元から毒舌ではありますが、揃うと一層其の毒が強くなるのです。私でも偶に、直接向けられる事は無いのですが、聞いているだけで、泣きそうになります。
流石の夫も、可哀相と感じた様です。嗚呼矢張り、御優しい方です。仏様です。
「俺が変態ならっ」
「せやから、変態や、ゆうてるやろ。おまけに、ど豪い嗜虐体質。マゾヒニムやで、自分。」
「聞けっ。兄さんは如何為るんだよっ。マゾヒストなのは自覚してる。」
御兄様の言葉に、其の場が静まり返りました。
「うちか?」
楽しそうに笑う兄上。
「うち、童女趣味違うもぉん。変態やけどな。」
舌を出し、馬鹿にしています。
「兄上は、僕にしか興味が無いんですよぅだ。」
弟も加勢です。
そう、前に云った、兄上だけが包帯を取れる理由。腹違いではありますが兄弟であるにも係らず、恋人関係なのです。
「せやせやぁ。稚児遊びやもぉん。誰が童女遊び何ぞするかい。ケショクの悪い。」
「女性に興味無いんですよーっ」
あはは、と笑う二人に、御兄様完封負けです。
「御前っ、如何思うっ。」
兄上と弟の関係に呆然としていた夫に、御兄様は意見を求めます。
「えっ?何っ?」
「此の混沌状態を如何思うっ」
「……。」
暫くの無言の後、夫は狼の顔をして放ちました。


「貴方の存在より、マシです。」


と。
こんな家庭ですが、変だと感じた事は、一度もありません。




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