血を分けた兄弟


物音が聞こえた気がし、目を覚ました。木島は今不在で、では雪子だろうかと考えたが、今彼女は母の所に居る。真夜中の今、使用人は寝床に着き、此の家には和臣一人しか居ない筈。誰も居ない筈なのに、確かに聞こえた。
和臣は起き上がり、そっとドアーを開け、覗いた。そうして見えた姿に、飛び出し、腕を掴んだ。
声が出ない。
出したいのに出せない。御互い。
明かりの点いていない廊下でもはっきりと判る、色素の薄い髪。出ぬ声の変わり、和臣は手に力を入れた。
「堪忍して。」
消えそうな声に、唇を噛んだ。宗一の持つ、覚えある鞄に、不安が溢れ出る。
昔見た、宗一が日本を出る時に持っていた鞄。全く同じ物を、今持っている。其れを、二つ。
「頼む、離して。」
「………だ。」
「和臣。ほんに頼むわ。」
「嫌だっ」
静かな廊下に声が響き、余りの静かさに反響した。
「なぁ、頼むわ。時間無いんやて。」
「何の時間だよ。」
其の問いに宗一は無言で、顔を逸らした。
「又、俺を置いて行くのか…」
否定も肯定もしない無言の宗一に力が抜け、座り込んだ。鼻を啜る音に宗一は息を吐き、無言で足を動かした。其れを、袴の裾を掴み、止めた。
「行かないでくれ。」
悲痛な声が、胸を抉る。
「十六年前も、此の間も。兄さんは何時も、俺を置いて行く。」
「うちは、和臣の所有物やない。うちの好きな様にするわ。」
「じゃあなんで時一は連れて行くんだよっ」
叫びに、空気が震えた。
「何で、俺は何時も、置いていかれるんだよ。」
裾を引き、其れに宗一は座った。頭を叩き、薄く笑う。
「あんたは、愛され過ぎてる。周りに、ぎょうさん人が居てる。でも、うちには時一しか居てない。」
「俺は、一人だよ。」
「抜かせ。嫁はんも子供も、家族も部下も、一杯居てるやないの。うちが居らんでも、良えやろう?」
「嫌だっ」
離すまいと、思い切り其の体を抱き締めた。其の細い身体に腕に、一体どれ程の不安を詰め込んでいるのだろうかと、宗一は目を瞑った。
「堪忍な。弱い兄ちゃん、許してな?」
細い声に、涙が溢れ出た。
「弱くても良い。良いから、俺の傍に居てよ。俺が守るから。」
胸が締め付けられ、熱い目から、我慢していた涙が流れ落ちた。無言で和臣の身体を抱き締め、強く力を込めた。
「御免な、御免な。」
「傍に居てよ…っ」
溢れ出る涙と共に、思い出が溢れた。
小さかった和臣、何時も何時も自分の後ろを追い掛けて居た。大好きで大事な、弟。
手放せ無いのは判って居る。けれど、こうするしか和臣を強くする方法が見付から無い。
愛しているからこそ手放そう。
「俺の事は、忘れろ。和臣…」
宗一の声は重く、身体に重たい物が圧し掛かった。
「愛してる。誰よりも、御前の事を愛してる。」
離された身体を止める力は何処にも残っておらず、裾から離れた手が床に落ちた。
俯いた侭何も出来ず、次に顔を上げた時には、もう姿は無かった。宗一の微かな残り香に手を握り締め、床に叩き付けた。
「だったら…、だったら忘れさせる術を教えろよっ。宗一っ」
簡単に聞こえた言葉は重く、何度も床を叩き、そうしてゆく内に感覚が麻痺し、何時の間にか痛さが判らなくなった。
和臣の声が耳から離れず、馬車に揺られてゆく内に力が抜け、滑り落ちた。出した声は車輪の音に消され、其の音は壊した関係の様な音を立て続けた。ガラガラと何処迄も不吉な音を引いていた。
「俺が居ると、御前は駄目になる。何時迄も優しい侭じゃ、此の国は守れない。御前が守るべきは国、俺じゃない…。其れに気付いた時…」
気付いた其の時、俺は昔みたく笑って戻る。そう、呟いた。




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