おぜうさん


どれだけの莫大な国民の金で作り上げたか知れない洋館。木島邸。総敷地面積は三千坪以上と云われ、其の敷地の中に、大きな中庭を含む四つの家がある。
龍太郎は深く溜息を吐き、其の門のベルを鳴らした。
「はい。」
聞こえる声は手伝いか、第何夫人か。木島の正妻、時恵の母親はもう、此の世に居ない。
木島には、四人の子供が居る。
正妻に二人。第二夫人に一人。第三夫人に一人。三男一女だが、面白い事に順番が違う。長男は、第三夫人が。年は龍太郎と同じである。次男は第二夫人が。そして時恵、三男と続く。
声の感じからして、若い。とゆう事は手伝い。時恵出る事は先ず無い。其れが普通だ。
龍太郎は小さく咳をし、出した。
「本郷、龍太郎という者です。」
「嗚呼、本郷様ですね。如何ぞ。」
ぷつりと途切れた。重そうに見えた門は、意外と軽かったが音は凄かった。ドアーに続く此の道。何をそんなに警戒しているのか、長い。そして、無駄に鳴る。溜息を吐いた時、先刻聞いた声が聞こえた。
「御待ちしておりました。」
「ええ、済みません。私、足が遅いもので。」
「ふふ。」
そう云う意味では無いのだが、と小さな唇を上げ、可憐に笑った。
違和感。
手伝いとは、何処と無く違う気がした。そうすると誰かの、夫人、であろう。此れ又玄関は重そうなドアーで、中は凄かった。思わず声が出る。
「鹿鳴館の様だ。」
高い天井、靴が鳴る床、昼間だというのに電気が点いていた。消えたら、此処は真っ暗になるのであろう。此れが、同じ人間の住処か。龍太郎は鼻で笑った。
高く響く、靴音。人の気配は無い。居るのだろうが、此の広さでは其れすらも消してしまう。
「此処で御待ち下さいませ。只今。」
応接間は、趣味の悪い剥製が並んでいた。
獣の臭い。
ソファも、皮で出来ていた。再度溜息を吐いた時、ぞくり。
視線に気付いた。
余りの鋭さに悪寒が走り、視線に目を向けた。其処には皺を寄せた、狼が、龍太郎を見ていた。今にも食い付きそうな其の姿に、又、ぞくりとした。
口角が上がる。
近付き、近くで見ると其れは、益々自分に似ていた。
「御前、可愛いな。」
笑った気がした。手袋を外し、炯々と光る目の下を触った。
「へぇ、狼とは、こんな毛触りなのか。」
硬く、痛い。然し、決して悪いものでは無い。
「ふぅん。」
「気に入ったか。」
小さく声が出た。全く気配に気が付かなかった。乱れた息を整える為深呼吸をし、慌てて立ち上がり龍太郎は最敬礼した。
「勝手に失礼。」
「構わん。」
先刻の女に手を引かれ、木島はソファに座った。
成程。
誰か、の夫人では無く、第四夫人、と云う。
「座れ。」
「失礼致します。」
ソファは矢張り、硬かった。皮独特の音が鳴る。 木島は煙草に火を点け、じとりと龍太郎を見た。
「返事を、聞かせてくれるか。」
何度しつこく聞かれ様が、龍太郎の気持決まっている。
無かった事に、と。
「大変な話、本当に有難う御座います。」
木島の目付きが変わった。幾ら年老いているとは云え、流石は己の力のみで此処迄来た男。頭の回転は早い。
「ほう。」
低く呻き、無言が続く。龍太郎でも、此の男の威圧感は、耐え難いものであった。喉が張り付き、口が渇く。
「あの、閣下。」
やっと絞り出した声は、消えた。否、消された。
「御兄様の馬鹿あ。」
ドアーの外から聞こえた声は、紛れも無く時恵の声で、自分が本当に在の御嬢さんの父親を相手にしているのだと、今更乍ら龍太郎は確認した。
「馬鹿って何だ。失礼だぞ。」
此の声は、陸軍の人間であれば聞き覚えがある。木島の次男。
「もう、ええ加減にしぃな。」
「姉上、嫌がってるじゃないですか。」
続けて聞こえた声は、京訛りにゆっくりと話すのが長男で、時恵に似た愛らしい声は如何聞いても女なのだが、三男である。
「折角土産を手に帰って来た兄に対して、其れは無いだろう。」
「毎度毎度しつこいんやて。」
「だから、結婚出来ませんのよ。嫌っ、私の操が。変態っ」
変態。在の御嬢さんの口から、変態、と聞いた龍太郎は視線を動かした。
「折角、可愛い妹の為に、着物を誂えて来たと云うのに。友禅だぞ。」
変態、に対しては反論を見せない処を見ると、次男は充分自覚している。実際、陸軍の中でも次男の妹、時恵への溺愛加減は有名である。
「其れが鬱陶しいゆうてんねや。」
「良い加減気付きましょうよ。」
此の応接間の空気とは反し、ドアーの外は、とても楽しそうだった。龍太郎は一気に力が抜け、木島の顔は痙攣していた。木島は一咳きし、夫人の手も借りず、ドアーに向かった。そして、勢い良く開けた。
「喧しいっ。此の馬鹿共っ。来客中だぞっ。」
怒号。其れに対し、同じ答えが一斉に返って来た。
「うわあ、鬼。殺される。」
思わず吹き出しそうになった。
父親に暴言を吐くだけ吐いた子供達は蜘蛛の子みたくわらわら散らばり、嘘みたく静かになった。木島は一咳し、笑いを堪えている龍太郎を見た。無意識に竦む。然し其の木島の目は、少し笑っていた。
「失礼を…致しました。」
「いや、構わん…。構わんでくれ…」
呆れを見せ、ゆっくりと腰を下ろす。
「人間、臭いだろう。」
「と、申されますと。」
「儂がだよ。」
無言で居ると、木島が又、少し笑った。
「如何も、子供の前だと、な。」
「愛していらっしゃるのですね。」
「嗚呼、可愛くて堪らん。」
其の言葉に、龍太郎が笑った。
「子供は良い。癒される。」
「左様で。」
無言。其の顔は、同じだった。
「時恵には…」
「私には。」


――子は出来ません。


又、同じ顔。
驚きと、そして、落胆。
「そうか。」
「御嬢さんも。」
夫人の興味の無い目が浮き、木島は小さく茶を啜ると静かに置いた。
「時恵を呼んで来い。」
音無く席を外し、息をするのが窮屈な程、静かになった。後ろの狼が、笑っている様に、思えた。程無くして呼ばれた時恵が姿を見せた。
「父上、御呼びになって。」
「客人の前だ。頭を下げろ。」
「…申し訳御座居ません。御呼びですかすら。」
頭を上げ、視界に入った人物に、目を開く。龍太郎も、少し驚いた。顔が少し、怖かったのだ。在の、男の目をした時と同じ様な威圧感があった。
「龍、太郎様。」
「御機嫌よう、御嬢さん。」
帽子を外し、胸元に置く。其の姿は、とても美しく、時恵は溜息が出そうになった。顔が無意識に緩み、龍太郎も、又、顔が緩んだ。
「此の男で、間違いないか。」
「確かに、彼は、本郷龍太郎様ですわ。けれど…」
緩んだ顔は一変し、食い掛かる顔になった。
「何故、こんな勝手な事を。在れ程、龍太郎様には内緒にと、頼んだ筈ですわっ」
愛らしい顔を一杯に歪ませ、時恵は云う。
成程。
龍太郎は、口角を上げた。
「何時も、そう。父上は、勝手に為さるわ。龍太郎様は、ワタクシが勝手に御慕いしているだけ。龍太郎様の事も考えて下さいませ。」
「結構。」
低い声が響いた。
「為らば、話は簡単です。」
前髪を分け、帽子を被った。
「長居は無用。私と、御嬢さんの気持は同じ、其れで宜しいですか。」
木島の目から威圧感が消え、縋り付く様な目に見えた。
「私も、在の時申しました。此の話は無かった事にと。」
笑った。狼が笑った。
「御嬢さんを愛し、大事に思っておられるのは、痛い程判ります。ですから。」
足を進め、時恵の前に立った。時恵の背は小さく、龍太郎を見上げる顔は不安を宿していた。
「私は陸軍中尉、貴女は首相の御令嬢。全く立場が違う。」
釣り合う筈が無い。
「無かった事にしましょう。其れが、御互いの為です。」
優しい声。
残酷だ、そう思った。
始めから、何も無かった。其れが、互いには一番良い。辛いが時恵は笑った。
「御気を付けて、御帰り下さいませ。龍太郎様。」
「其れは、意味深な。」
少し笑い、帽子を動かした。
「御元気で。」
深く頭を下げた。互いに。
廊下は矢張り静かで、夫人の吐いた溜息が大きく聞こえた。
「拙かった、ですか。」
「そうでは。」
視線の先。
年の瀬、十三歳程と云った感じの男子、三男が待ち伏せする様に居た。
「此れは…」
「姉上を悲しませたら、僕が怒りますよ。本郷、中尉。」
其の睨み付ける目。
龍太郎は首を傾げ、笑った。




*prev|1/1|next#
T-ss