英吉利生まれのセルロイド
天気が良かった、唯其れだけ。雨が降っていないから天気が良いのか、天気が良いから雨が降らないのか、何方かは判らないが、最近雨と云う物を見て居ない。親友は雨が嫌いで、別に良いじゃないかと笑うが、こうも暑い日には、一気に雷を轟かせ乍ら暗くして貰いたい。
連日熱い中、植木に水を遣る妻の姿を見てからこそ思う。
「御天道様も、御機嫌宜しい様で。」
水を掃き、恨めしそうに青い空を睨む。毎日毎日御苦労だなと思いつつも、此の植木が無いと、此処はどんなに暑いのだろうかと思い、試しに全部無くしてみれば良い、とも思う。
そんな事を考え乍ら、今日も又、転寝をした。
夢の中でも、矢張り、妻が植木に水を遣って居て、屹度私は、植木の水遣りに呪われているのだろう。
ぴしゃりと顔に水が掛かり、其れで目が覚め唸った。漸く御天道様の機嫌が歪んだかと、目を開く。然し目に映るのは真っ青な御機嫌宜しい御天道様で、ならば、気持良さそうに寝ているのが気に食わなく、妻が水を掛けたか。そう姿を探しても前には無く、門で水を掃いて居た。
おかしいと、首を捻ると、又水が掛かった。掛かったと云うよりは、掛けられた。額目掛け、水が飛んで来た。こんな事を、然も的確に此処を狙えるのは他ならぬ親友しか居ない。剣の腕は全く持ってないが、飛び物に事関しては全く腕っ節が良い。
「拓也。」
名を呼び、そうすると妻と同じ場所から親友が顔を出した。手には水の入った桶を持って居るが、まさか其処から尺で飛ばした訳ではなかろう。幾ら腕が立つとは云っても、其れは無い。
「何だよ。」
妻との会話を中断され、少しばかり膨れて居る。膨れる理由が判らないが。
妻でも親友で無いとすれば、誰だろうか。他に人の気配はしない。普段なら、姿は見えなくとも、気配で判るものなのだが、其れさえないとすれば、矢張り上からだろうか。
そう思い、上に視線を遣ろうとした時、視界に入った。塀の上から顔を出して居るものに。
其れは、ニコニコと笑い、手には水鉄砲を持って居た。
「拓也っ」
再度声を荒げ、又不機嫌な声が返って来た。
「だから何だよ、うるせぇなぁ。」
「俺の機嫌が悪く為る前に、御前の娘を如何にかしろ。」
塀を指すと、親友は門から出、そして慌てて駆け寄った。
「何遣ってんだっ」
聞こえる異国の言葉、塀から引っ込む顔。其れに妻も何事かと思い、門から身体を出す。そうして、慌てて私の所に駆け寄って来た。死に掛けの魚の様に口を開閉させ、何か云いたいのだろうが、言葉が出ないらしい。
琥珀色した髪と入れ替わる様に黒髪が現れ、うんざりとした顔を塀に乗せた。
「信じらんねぇ。台か何かに乗ってんのかと思ったら、腕の力だけで登ってやんの。」
其れに私は驚いた。幾ら低い塀とは云え、子供からして見れば随分高い。其れを腕の力だけで体重を支え、御負けに悪戯も忘れて居ない。
抱えられ、塀から出た顔。
「御免為さいは。」
「ゴメンナサイ、リュタ。」
悪びれる様子も無く、笑顔で云う。如何やら私の名前は“リュタ”に為って仕舞ったらしい。
太陽を受ける琥珀色の髪に、妻の視線が注がれる。亜麻色の髪は見た事があっても、琥珀色は見た事が無いらしく、太陽の光を通す其の髪は所々薄く消えて居た。
ふらふらと誘われる様に近付き、妻は手を伸ばした。
はっ叩くかと思いきや予想は外れ、其の髪を触った。此の髪を見た人間は、如何やら、触らずには居られない様だ。感触を充分に堪能し、そっと手を離す。妻の子供嫌いは、親友も知って居る。次は如何来ると怯えて居る親友の顔は、見物である。
然し。
「可愛い…っ、御人形さんみたいっ」
聞こえたのは黄色い声で、塀越しに抱き締めるととち狂った様に奇声を発した。
「時恵っ…?」
妻の小さな身体の何処からそんな力が出たのか、塀から引き摺り下ろし、抱き締めた。
「何て可愛いらしいんですのっ、嗚呼、食べて仕舞いたいですわっ」
今にも食い付きそうな妻に、私はさる事乍ら、親友は一層怯えて居る。そうだ、妻は子供嫌いだが、此れ位の年の瀬、十歳程度からは平気だった。そうで無ければ、十近くも離れた弟を溺愛する筈は無い。妻にとって此れ位の年の子は、動く人形なのだろう。
昔の、居ない愛弟を思い出した妻は狂って居た。
「嗚呼、もう愛らしい…」
狂った時恵は離す素振りも見せず、琥珀を抱き締め続けた。困惑する拓也に龍太郎は如何する事も出来ず、三人を傍観していた。
其の時、門から声が聞こえた。雪子の声であった。
其れさえも聞こえて居ない時恵の代わりに龍太郎は渋々腰を上げ、出向いた。雪子と一緒に、拓也も門を入った。
「いらっしゃい、雪子さん。」
「前を通る用事がありまして、如何かなと。時恵さんは。」
聞かれ、龍太郎は人格の変わって居る時恵を指した。其れに少しばかり怖さを知る雪子。
「あの、時恵さんは、何を為さって…」
「俺の娘で狂っていらっしゃる。」
其の声に雪子は驚き、抱えて居た赤子を落とし掛けた。
「危ねぇ…っ」
落ちはしないもの、慌てて腕を出す。大きな目を拓也に向け、雪子と交互に見る。へらりと笑顔を見せた其れに、拓也は時恵同様顔を綻ばせた。
「可愛いじゃねぇか…」
勝手に赤子を抱き、頬を突付く。擽ったさと嬉しさで笑う赤子に、狂人が二人に増えた。
発狂して居る時恵に、にたにたと笑う拓也。とても気味の悪い光景である。
「木島の子ねぇ…、なのに可愛いのは何故だろう…。本当に木島の子か…?」
「だろう、俺もそう思ったんだ。目は似てる。」
其の夫人の前でも二人に遠慮は無い。性格上雪子は何も云えず、唯笑う。
「いや、此れは可愛い。木島何か如何でも良い、もう、赤ん坊という存在が可愛い。琥珀も可愛かったんだろうなぁ…」
琥珀の赤子時代を勝手に想像か妄想をし、更に顔を綻ばせる。此の顔はもう、変質者としか云い様が無い。子供嫌いも困るが、子供好きにも困る。
時恵の声が聞こえなく為り、解放された琥珀が駆け寄る。助けを求めに来たのだろうが、赤子でニヤニヤして居る父親の姿に、呆然とした。
「リュタ…」
「見るな。此れは見てはいけない領域だ。」
琥珀の目を塞ぎ、俯いた。異国の地で、唯一の頼りの父親が変態等、可哀相にも程がある。
顔に触る髪の毛は、触りたく為って仕舞うが我慢した。
琥珀色の髪に、黒目。人形の様な愛らしい姿に、又一人、狂わされた。雪子である。
此れ又時恵同様に発狂し、琥珀を抱き締めた。
「可愛い、可愛い………っ」
折角時恵から逃れたのに、雪子にも同じ事をされた。こう為運命なのだろうと、諦め顔の琥珀に、龍太郎は笑いが出た。こんな顔をさせた大人も如何かと思うが、する方も如何なものかと。然し、今迄誰からも相手にされなかった琥珀には、嬉しさがあった。
「ね、ね。可愛いでしょう?雪子さん。」
「ええ、ええ。こんな可愛い子供、今迄見た事ありません。」
琥珀を囲み、黄色い声を出す二人に、赤子に一人熱を注ぐ拓也。一人取り残された龍太郎は、深く、深く息を吐き、今日も平和だな、と真っ青な青空を見上げた。
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