羽化


風邪を引いた訳でも、引き始めでも無いのに、身体の節々が軋む様に痛かった。怠い訳では無いので起きたが、床に足を付き力を入れた瞬間、膝が曲がった。
「何ですか…もう…」
床に座り込み、出た自分の声は少し掠れて居た。此れは本格的に風邪を引くのかと、宗一を呼んだ。
「何してんねや。」
床に座り込む僕を宗一は見下ろし、立たせた。すると首を傾げ、掴んで居た手を僕の頭に乗せた。自分の身体と僕の頭を何往復かし、一寸御免、と宗一は朝っぱらから破廉恥極まり無い行動に出た。
頭から離れた手は下に伸び、股間を鷲掴んだ。
「あっ…兄上…っ?」
「嗚呼、やっぱり。」
驚きで裏返る僕の声とは逆に宗一の声は涼しく、朝には相応しかった。其の裏返った声でさえ、掠れて居た。
「シてへんから確信無いけど。」
実物を見た訳では無いのではっきりと断言出来無いと宗一は云い、僕の頭を撫で優しく笑った。
其の頭が上がる角度に、僕は疑問を持った。
真上を向く様に向いて居た筈が、其の角度が少し下がった。
「成長、始まったな。」
「え…?」
「今から男に化けるで。」
紫煙を吐いた兄は自分の事の様に喜びの表情を見せるが、声は何処と無く寂しさを匂わせて居た。
漸く来た、成長期。
嬉しさ反面、何処か他人事の様に感じた。
不思議な事に僕は、一生成長しない物と感じて居た。
「僕が、成長…?」
「ハンス達と殴り合うた成果かも知らへんな。」
「いやぁ…。在れは関係無いかと…」
「其れがせやともゆえへんねや。」
今迄は姉や女中、女ばかりに囲まれ、周りに居る男と云えば、宗一含め萌やしの様に皆縦に長い。唯一、毎日訓練する在の陸軍元帥の兄ですら、軍内部でも病気では無かろうかと心配される程華奢である。又心理的外傷に依って成長が阻害されて居た。然し此処独逸では、将校や兵士、流石と云うか鍛え上げられて居る。隆々たる其の肉体に毎日触れ、僕の身体が感化され反応し始めたのだろうと云う。
然し。
行き成りあんな筋肉野郎に為ってしまうのかと恐怖した。宗一は笑い、無い無い、と手を振る。
「そら、ある程度は筋肉付くで?せやかて、在れに為るには、軍に入らんと無理やて。」
思春期を独逸で過ごした、ひょろひょろと長い宗一が云うのだから間違い無いだろうと、安堵した。
「然し、成長とは、行き成り来るんですね。」
春風に誘われ萌える花の如く緩やかに成長するのかと思って居た僕は拍子抜けした。
「行き成り来る奴も居てるし、ゆったりな奴も居てるわ。」
「兄上は、如何でした?」
会話をし乍ら着替え、義眼の入るケースを机に置いた。
「うちは、ゆっくりやな。じわぁじわ。焦れったい位にな。」
「寝てる時、足ががくんと、為るんですが。其れで起きる事もあります。」
「うわ、来た…。和臣とおんなしや…」
因みに兄、一ヶ月で二十センチ近く伸び、以降ぱったりと止まったらしい。僕も同じに為るのかと、あんなちびは遠慮したい。
兄で二十センチ。僕が今の身長から其れだけ伸びても、ちびと貶す兄より低い。
「そんなの…嫌だ…」
父は確かに長身であるが、母親は違う。僕の母より身長ある夫人の息子の兄が其れだけと為らば、僕は絶望的だった。御負けに姉は小さい。希望を持てと云う方が間違って居た。
「本当に僕は…成長…するんでしょうか…」
「するて…」
「父上程、伸びますでしょうか…」
「其れは…」
一六0センチ超えの第三夫人、母との身長差約二十センチ。其の夫人の子の宗一は、一七0センチ程。
希望は、消えた。抑持つ事が痴がましい事此の上無いのかも知れない。
「せめて、嗚呼、せめて…、一六0は欲しい…」
如何せこんな女顔なのだ、其の方が釣り合いが取れると云うもの。一寸背の高い女の人、其れで満足し様。
然し考えた。
宗一は独逸に居た事、のらりくらりと医学だけに集中して居た。故に細い。けれど僕は、毎日在の筋肉隆々の、趣味はビールを飲む事、の野郎と殴り合いをして居る。
「女顔で筋肉隆々って…如何云う事…」
考えれば考える程意味が判らなく為って来た。そんな女、全くの見世物だ。気持悪くて吐き気がした。
そんな僕の悩み不安を余所に、有り余って居たエネルギーは身体を掛け回った。
「服が…無い…」
「あかん…。うちのも入らんわ…」
細身の宗一、一方僕は、在のビール野郎の体質が完成に移ってしまった。其れもそうであろう、成長期に在の食生活をして見て御覧。
嫌でも筋肉が構成され、重なる様にハンス達に鍛え上げられた。
昔の、あらやだ可愛らしい、の時一坊ちゃんの面影は何処にも無い。何処から如何見ても男だった。其れも、かなり背の低い独逸人。
「嗚呼っ、何てこった…っ」
口癖迄も移ってしまった。
俺の望みは遺伝子学等完全に無視し、叶えられた。兄弟で一番の長身で、けれど兄弟の誰とも似て居ない結果に為った。今迄は兄と、何処と無くは似て居た。多分、色白の女顔。其の唯一似ている其れさえ消えてしまった。
言い換えると、姉と全く似ていない事に為る。
俺の自慢、唯一の自慢、其れは姉と似て居る事だった。
「体質が似るなら、逸そ髪もブロンドに為って…」
歎き、悲しみのどん底に居る俺に、宗一は至って普通であった。又其れに腹が立った。
「何か、親父の小型化って、感じやな。」
「嗚呼っ、一番云われたく無い言葉っ」
此れが、一年前迄、小鳥の囀り、風鈴の音色と呼ばれた俺の声か。何と勇ましい声に変わった事か。此れは全く恐ろしい声だ、悪魔の声かと錯覚する。
「父さん位低く為れば箔が付くのに…」
「いや、在の声はあかんて…」
宗一は何も、冗談で“親父の小型化”と云った訳では無い。
「親父、昔はそらあ男前やった。おかん達に云わせれば、あんな奇麗な男、見た事無いて位。和臣奇麗やろう?」
「ええまあ。」
在の眼光鋭く一直線に吊り上がった目、全てを蹴散らす勢いの通った鼻筋、薄い唇、咀嚼出来るのか疑しい細い顎、可愛くは無いであろう。
可愛いと云うのは姉みたく、目は視界の広さは同じなのに無駄にでかく、鼻は墨汁を垂らした様に小さく、横幅の狭い口。詰まり人形や赤ん坊と同じ作りである。だから姉の顔は信じられない程完璧に可愛いのだ。鼻が兄の様であったり、口が横に広い宗一のであったり、一つでも欠けてしまえば唯の厭味ったらしい顔に為る。
俺もそんな顔だった、本の一年前迄は。
俺は本当に男だった様だ。
其れを痛感したのは、鼻だった。鼻が異様に高い。高いと云うよりは、がっしりとした。此れは唯一、姉とは昔から似て居なかった。
ジャーマンパワー恐るべし、骨格さえも変えてしまうのか。
「俺って格好良い…。嗚呼、吃驚する位格好良い…」
此れは開き直り等では無い。本当に、格好良い。父さんの子供で良かった。
あんな色白の、萌やし元帥に為らなくて良かった。
宗一みたく如何にもな京都の優男に為らなくて良かった。
独逸に居て、本当に良かった。
独逸帝國万歳……………っ
「嗚呼…カッコエカッコエ…。独逸一カッコエ………」
「独逸一男前は俺だっ、トキイツじゃないっ」
「煩いよ、顎。嗚呼、格好良い…」
「顎って…、此の顎が格好良いんだろうがっ。此の割れ具合…何てダンディズムだ…。我乍ら最高だ、最高に格好良い…。此の角度か?」
「鏡返して。」
「後一時間…、いや半日。」
「じゃあもう、二人で見様よ。」
「御前等仕事したら如何だ…?」
「馬鹿だなソウイツ、俺の仕事は、俺を褒める事だ。従じてる。微塵の怠りも無い。」
「何たる勤勉、見習おう。」
身体が変貌を遂げたと同時に、俺の自己愛も羽を広げた。
因みに此の骨格の異常発達は、殴られ過ぎた事に依る物だと、宗一に聞かされる事に為る。


「そら成長前の柔らかい骨を毎日の様に骨折させてみな…、無駄に太為るん、当たり前やん…」
「嗚呼っ、俺って格好良いっ」
「判たて………」

自分を見付ける為に独逸に来た。其れは見事に、達成された。




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