please, call me


愛らしい其の声から私の名前が漏れたら、どんなに素敵であろう。

何だか家に居たくない気分で、月がてっぺん付近にも関わらず私は酒場へ出向いた。普通なら、こんな時間に開いている店は無いのだが、今日は海軍の集まりがあるらしく、酒場の集まる場所が開いている事を覚えていた。
私は普段、酒を飲まないのだが、何だか今日は飲みたい気分だった。
昼間、彼女の口から別の男の名前を聞いた。全く誰かも判らず、唯不快に感じた。彼女の口から漏れる其の男の名前は龍太郎。初恋だったらしいが、既婚者なので、如何する事も出来ないと苦い思い出を話した。今でも好きなのかと聞くと、何食わぬ顔でうんと云った。けれど一番は父親で、其の次が時恵、男は三番目と笑う。今は違う男が好きらしく、恥ずかしいから秘密と、頬を赤らめた。
そんな事があり、良い気分で居られる訳が無かった。
酒場の集まる其処は海軍の人間で溢れ、誰も皆、陽気にしていた。私が来た事を知ると道が一斉に開き、私は将校達が居る店に入った。女将は驚き、個室を用意し様としていたが、私は其れを断り、普通の客席に腰を下ろした。私が来た事を知った将校達は二階の個室から姿を現し、其れ其れに赤い頬を見せ、是非此方へと誘う。
申し訳無い。一人で居たい気分なのですよ。是非又今度誘って頂きたい。
私がそう云うと将校達は大人しく二階に戻って行った。又今度と私は云ったが、ある訳無いと鼻で笑った。
「御食事は如何致します?」
いいえ結構。出来れば強い酒を頂きたい。
額に手を置き、卓の木目を見た侭答えた。
二階から聞こえる陽気な声。溜息が漏れる。清酒が並々と注がれたグラスが置かれ、零れない様口に運んだ。少し流し、其の味と芳香に何かの糸が切れ、一気に飲み干した。女将の唖然とした視線にも気付かず、私は空のグラスを卓の端に置いた。
もう一杯、頂けますか。
酒瓶を持った女将に、気が付か無かったが隅に座ったていた男が動き、瓶を取ると立った侭私のグラスに注いだ。咥えた煙草から灰が落ち、床を汚す。
「そげな姿、父上が泣くばい。」
其の声に私は顔を上げた。
「大和…」
佐々木大和、同じ海軍の男だ。父親同士が仲良く、私達もそうだ。私が元帥になってからと云うもの、友人としての関係は薄くなってしまった。大和は煙草を灰皿に落とすと、瓶を卓に置き、又自分の席に戻り、背を向けた。私は今度はゆっくりと酒を流し込み、頭を抱えた。
「そげん湿気とう気分で酒飲んで、不味くないとか?」
「陽気に酒を飲む等、私は知りません。」
「折角の旨い酒が。」
グラスを持った大和は静かに私の前に座った。一人で居たいと云った筈であるのに。邪魔をしないと云う条件で私は彼を其処に座らせ、二人無言で酒を進めた。私のグラスが空になると勝手に注いでくれ、楽ではあった。
卓の木目がぼやけ始め、自分が一体何れ程飲んだが判らない。昼間の記憶は薄れる処か段々と濃くなり、私は酒に目を潤ませていた。
彼女の恋の相手は、一体誰であろう。私であれば嬉しいのに。
「こんなに…」
「ん?」
目の前に座って居る大和の存在も忘れ、私は卓に額を付けた。
愛しているのに…
自分でも驚く程声は掠れ、酒の強さを知る。
「え?馨、やけ酒とか?振られたんか?」
「は?何云いよるか、きさん…寝呆けとうとか。」
「は?何、酔っとうとか?」
酔ってはいないと云いたいが、貞かでは無い。店内が歪んで見え、何だか無数の光が視界に飛ぶ。思い出す彼女の顔に溜息しか漏れない。
「今何時…」
「今ー?二時回っとう。」
酒も飲んだ、良い加減帰ろうと私は立ち、足を進めた進行方向と真逆に進んだ。後退した私は椅子ごと床に崩れ、其の音は二階に迄聞こえ、何事かと将校達が下りて来た。
「元帥っ」
「御怪我は…」
怪我は無いが、酷く痛い。身体もそうだが、何依り心が痛い。
酒を飲み過ぎた。体内に回る酒が行き場を無くし、目から溢れ出た。

こんなに愛してゐるのに、貴女は他ぐわ好き。一体ワタクシは如何したら良ひのですか…

行き場を無くした酒と共に、彼女の愛が口から溢れた。
「元帥…」
「馨…」


如何か貴女、私の名前を呼んで下さい。
後生ですから。




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