薔薇の蕾


あら、とカレンダーを偶然見たグレンが呟いた。
「七月じゃないの、今。何日かしら…」
「へえ、七月何だ。」
「暑い筈だな。」
横で聞いて居たキースは書類から顔を上げ、信じられないものを見たと云う目で三人を見た。
幾ら半死体でも年月日位は判って居るだろうと考えて居たが、此処に居る人間に何かを求めるのが抑の間違いだった。特に此の三人…失礼、四人組には。
七月と気付いたグレンは自分にしか興味が無い、自分にさえ興味を持たないハロルド、思考其の物が破壊されたブラッド、思考自体を持ち合わせないルカ。
何月だろうが、カレンダーが“七月”と記して居るので、七月と認識する。四人は疑問も抱かない、一年前のカレンダーだとしても。
「正確には、明日から七月。」
キースは云った。
「あら、そうなの。」
「じゃあ何でカレンダーは七月に為ってるんだい?」
他人に興味の無い集団、だから誰も気付かないだろうと思った。実際一週間は、誰一人として気付いてなかった。
「済まない、今日は未だ六月だ。」
「だから何で七月に為ってるの。」
ハロルドの性格も判って居た。下らない疑問、グレンやブラッドなら「嗚呼そう」で流す様な疑問をハロルドはしつこく追求する。云うか迷ったが、ハロルドのしつこさは並大抵では無い。「別に良いだろう」と云おうものなら、「答えに為ってない」と喚く。
ペン先で眉間を掻き、書類をひっくり返し見せた。
「紙が無かった。取りに行くのが面倒臭くて、一寸失敬した。」
カレンダーの名残、日付が陳列していた。
「じゃあ今日は、六月なのね?」
「嗚呼。」
「そう。」
未だ過ぎていないとグレンは安心し、カレンダーをなぞる。思い入れ深い目、カレンダーを見てそんな目をするのは大抵自分の誕生日か大事な人の誕生日。女が深刻な顔で見て居る場合は又違う問題だが、生憎グレンの肉体は男である。
「グレンダ、誕生日?」
「いいえ。あたしの誕生日は一月よ。」
「本当?俺も一月だよ。」
「あら。」
「七月、何かあったか?」
「亜米利加の、独立記念日よ。」
グレンは亜米利加人である。母国を捨てたくて捨てた訳では無い、戻れるなら戻りたい。けれど亜米利加側が帰国を認めない。そうして三年が経った。
執行猶予期間は遠に過ぎた、後何年自分は此処に居れば母国に帰れるのか、一生戻る事が許されないのか、カレンダーを見詰めるグレンの目に涙が滲んだ。
「あたしに祝う資格は無いのかしら。」
「英吉利人に為れば?」
「絶対に嫌。」
正常であり乍らグレンが出られない理由に、国籍がある。グレンの状態で英吉利国籍だった場合、入隊手続きを踏めば簡単に出る事が出来る。何が何でも出たいと云うなら、英吉利国籍を取得すれば良い。そうせず、亜米利加からの要請許可を待つのは、亜米利加人としての誇りがあるから。簡単に云えば、英吉利人に為って迄出たいと思わないのだ。
「英吉利人に為る位なら死んだ方がマシよ。」
等と、英吉利人の前で平気で云う。
「英吉利人も悪くないよ。」
「一寸は楽しいぜ。」
「阿保な亜米利加人よりマシだ。」
と英吉利人三人から猛攻受けても怯まない。
抑、グレンが薬物に走り、こんな場所にぶち込まれたのは英吉利人の所為である。恋人を奪ったのも英吉利人、薬を売ったのも英吉利人、警察も英吉利人だったら判事も英吉利人だった。自業自得で恨まれる英吉利人側からしても、是非亜米利加人で居て貰いたい所である。
「頭がおかしいから、ケーキも凄い色なんだ。」
「蛍光色のケーキ何か食ってるから頭湧くんだろ。」
「違う違う。頭がおかしいから、ケーキが有り得ない色をしてても疑問を抱かないんだよ。」
散々な云われ様である。
「青いケーキ、奇麗よ。皆が云う程悪く無いわ。」
「いやいや、考えろよ。何で青いんだよ。絵の具は食べ物じゃねえよ。」
「青二才だから青いケーキに喜ぶんだろ。」
「失礼ねッ、奇麗よね、ルカ、青いケーキ。」
「………うん…」
頷いては見せたが、正直ルカにも在の毒々しいケーキは受け付けない。食べる気にも為らない。
「亜米利加の独立記念日って何時。」
殺意さえ覚える亜米利加ケーキを思い出したく無いハロルドは話題を逸らし、グレンに向いた。
「七月四日。」
「そう。」
然し、全く興味の無いハロルドに其れ以上話を膨らます気は無く、何が楽しいのか、ぎゃあぎゃあ騒いで居る女達の声が素通りした。
「何か云ってよ。」
「亜米利加万歳。」
「有難う。」
又無言。興味の無い事にはとことん興味示さない判り易い男である。
「一寸グレンが哀れに見えて来たわ…」
「俺はずっと哀れんでる。」
ハロルドの冷たさにスカートで涙を拭くグレンを、意味も判らずルカが慰める、又其れも哀れな光景だった。
「キースキース。」
「はいはい、何だルカ。兎ならあっちに行ったよ。」
「亜米利加って何?」
何とも男らしい泣き声が響いた。
「ケーキと国旗の趣味が悪い国。」
「失礼ねッ、馬鹿にしないでよ、怒るわよッ」
「趣味悪いよね。」
「ヘンリー、ヘンリーにだけは云われたくないわ。いえ待って、英吉利一悪趣味な男がダサいって云ってるんだから、思った以上に格好良いのかしら…、在の国旗…」
此れでハロルドとブラッドが「嗚呼良いね」だの「在の国旗は趣味が良い」だのと云ったら、グレンのプライドはずたずたに裂かれただろう。悪趣味のアーティストと悪趣味の男、貶されて居る筈なのに安心した。
「ユニオン・フラッグ最強。世界一格好良い。」
「だよね、ユニオン・フラッグだよね。」
此の悪趣味二人に賛美された英吉利国旗、知れずグレンは全世界の英吉利人を哀れんだ。
「悪いが其れには同意し兼ねる。」
そう、目の肥えたキースが云った事でグレンは確信した。
ユニオン・フラッグは、趣味が悪い。
「ユニオン・フラッグはバランスが完璧なだけで、センスは無い。バランスで美しく見えてるだけだ。」
其々の国旗を一つにしただけで、大した意味は無い、と迄云う。
「へぇ、ロイヤルさん、云っちゃう。」
「そんな御前が世界一格好良いと思う国旗って何だよ。日本とか云ったらぶっ飛ばすからな。」
珈琲を飲もうとコップを寄せて居たブラッドだが、態々離して迄悪態吐いた。此れにはキースも驚いた。
「ほう、クレイジスト、日本嫌いか、仲良く為れそうだ。」
褒めたり貶したり…等、悪態吐くがそう云う発言を日頃からしないブラッドなだけに、此れは普通に驚きだった。
「日本自体は嫌いじゃねぇんだよ。」
一口飲み、唇を舐めたブラッドは、此れ又珍しく険しい表情を見せた。
「日本人、がなぁ…」
如何なものか、と髪を上げた。
「俺、此れでも芸術家遣ってた訳よ。さっきのキースの話に戻るんだけど、愛国心からユニオン・フラッグが格好良いって云った訳じゃ無いんだわ。キースの云った通り、バランスが完璧何だよ、うちの国旗は。世界何処探しても、在れだけバランスの良い国旗は無い。其れはマジ。」
此れでもアーティスト、滑らかに動く口は、確かにアーティストだった。ブラッドに愛国心等無い、純粋にアーティストとして見た時、此れ程完璧なバランスは無いと感じた。
「俺、バランス重視なのね、デザインじゃ無くて。だから日本人がねぇ…」
詰まり判るよな?と、ブラッドは黙り、視線を三人に向けた。
キースには良く判った。ハロルドには曖昧に、日本人を見た事無いグレンには全く判らなかった。
「俺、英吉利人に生まれて良かったと思った事一度も無いけど、日本人に生まれ無くて本当良かったと思う…。何だろな、在れ…」
書類で顔を隠し笑うキースを、此の俺から見てもそう思うのだから、生きる彫刻品で生きて来た御前は一層思うだろうよ、とブラッドは眺めた。実際キースも、あんな奇形に近い身体で良く恥ずかしくないなと考えて居た。自分以外の人間が同じ事を思って居た事に笑いが出る。ブラッドなのが些か引っ掛かるが。
曖昧だった理解がはっきりしたハロルドは何とも云えず、ハロルドもそう思って居ただけに、渇いた笑いを漏らした。
「美意識有るのか無いのかも判んねぇ…」
「謎だよね、日本って。」
「本当だよ…、如何遣って交配したらあんなバランスに為るんだよ…」
「猿の血が混ざってるんだ、在の黄色い猿共。」
「嗚呼…成程…、何か、判るわ…」
青いケーキに喜ぶ亜米利加人と神が悪意を以てしたとしか云えないバランスの悪い日本人、成るなら何方が良いだろうか、ブラッドは考える。出来る事ならラテンの血を引きたい。
そう、書類を書くキースを見た。
「で、返答は?」
「は?返答?何の話だ。」
「御前、数秒前迄俺と会話してたよな?」
「何の話だった…」
唯、致命的に物忘れが激しい。日本人のバランスの悪さ並に、病気だ。
「…日本人は奇形って話か?」
「違う、其れはもう終わった。其の前だよ。」
「…独立記念日に青いケーキを作るって話だったか…?俺は作らんぞ。完璧で無い物に興味は無い。」
「戻り過ぎだし、作る話は一回も出てねえよ。」
物忘れに加え偽証迄し始めた。
「何の国旗が一番格好良いんだよ、御前は。」
其の話か、と小さな顔を長い指で隠すブラッドを見た。仏蘭西だ、とハロルドは皮肉り、グレンは、あら案外亜米利加かもよ、と返答を待ち構えた。ルカは暇なのか、大きな画用紙にユニオンフラッグを書いて居た、色は何故か白一色だが。白い画用紙に。
其れに気付いたキースは「一枚頂戴な」と一枚貰い、乱雑するクレヨンに手を向けた。無言で色を塗るキース、選んだ色でブラッドに答えは判った。
「血と金の旗、ロヒグアルダ。」
「おお、趣味悪ぃ。」
予測的中したブラッドは透かさず口を挟み、此れは配置バランスが根本的に崩壊してる、と迄云った。
然し何だ、此のセンスの無い塗り方は。其方の方にブラッドは衝撃を受けた。
「何でた、奇麗だろうが、赤と黄色だぞ。」
「まあ、まあまあ其れは判るぜ。赤と黄は同系色だから違和感はねぇ。俺達の国旗は、バランスは完璧だけど、色が最悪、其れが良い意味でかなり印象に残る。赤、白、青、ユニオンフラッグは其の三つから為る。赤と青は反対色、其れが逆に互いの色を強調するんだけど、最悪な白が居る。白は一見色が無いから何にでも合うと思われてる、けど、白が一番厄介。色が無いが故、他の色を破壊する。」
「黒じゃないのかい?」
「ナイス、良い質問だ、ハロルド君。」
「有難う先生、Aを呉れ。」
「よし、遣るよ。」
ブラッドの口は止まらなかった、此れがアーティスト、此れが天才、此れが狂人…、何時に無く輝くブラッドの目にキースは口を挟めず、結局ロヒグアルダの何が悪いのか判らない。詰まらない話では無いが、大した興味も無いキースはルカに、此れ西班牙の旗、と教えた。が、西班牙が判らないルカは笑顔の侭白い画用紙に白を重ねた。
「黒は強烈が故、色を締める。淡い色に黒を少し入れただけで、ふわっとした中にもきちんとしたバランスが成立する。」
「隠し味に塩を入れる感じ?甘味を出す為に塩を入れる。」
「君は全く優秀だな、首席で卒業させて遣る。」
「やったね、久し振りだよ首席なんて。俺、ハイスクール卒業迄首席だったんだ。優等生だった、……今じゃ信じられないけど…」
「ユニオンフラッグは最高にバランスは良い、真ん中に一番でかいクロス、罰点状のクロス、そして半時計回りのクロス、なのに色が悪い。赤の後ろに白が来てる。そして青。真ん中の赤が青を強調して、なのに白が青を殺してる。結果、イングランド国旗の赤十字が目立つ。如何云う色彩感覚持ったら、こんな不安を感じさせる色彩配置に為るんだよ。いやそら仕方はねぇよ?だったら西班牙、ロヒグアルダ、アレと同じに、イングランド国旗にウェールズの国旗を真ん中に配置すれば良かったんだよ。」
「おお、やっと出たか、ロヒグアルダ。」
「あの模様の位置が悪い。何で真ん中に置かねぇの、右、がら空きじゃねぇか。俺に何か描けって?良いぜ、キリストがフ**クしてる所描いて遣る。」
「絶対描かせんからな、俺にそんな権限は無いが、英吉利人だが、無宗教だが、絶対其れだけは許さんぞ。仏蘭西の国旗になら描いて良い。」
キースの描いた画用紙に伸びる手を必死に掴み、仏蘭西だ、仏蘭西の国旗を冒涜しろ、と主張した。ルカに混ざりグレンも、暇なのか仏蘭西の国旗を描いた。そして其の上にブラッドがとんでも無い代物を描き、盛大に笑った所で燃やして遣った。哀れ成り、自由と平等、そして博愛、しっかりキリストのナニを描かれた。此れにもブラッド為りに意味はあった、あんな摩訶不思議な人種、神のナニから生まれたとしか考えられない、と云う意味合いだった。
「日本の此れ、回りに花弁付けたら可愛いんじゃないのかい?」
ハロルドも便乗し、真ん中にぐるぐると赤く塗っただけの画用紙をブラッドに見せた。
「おお、此れは又ルカにも負ける下手さ。何を如何したら、丸をこんな歪に描けるのかね?」
「俺は絵が下手なんだよ。俺の描いたキリスト見て、ジーザス、って云ったの君だろう?」
「俺だって丸位なら描けるさ。」
そうハロルドと張り合ってみたがどっこいどっこいで、キースは眉間を掻いた。此れは中々、ハロルドの下手さを笑えない。
「丸ってこう描くんだよ、馬鹿共め、デッサンのデの字も知らん素人は引っ込んでな。」
煙草を咥え、赤いクレヨンを持ったブラッドは唯丸を描くだけでは面白くないなと、ハロルドの「花弁を回りに」をヒントに絵を描き始めた。花弁を付ける為に日の丸を描いたのだから、ブラッドが如何日の丸を描こうが、丸が見たい訳では無いので黙って居た。
十分は黙って居た。テーブルに転がるクレヨン。
「如何よ、絵ってこう云う事だぜ?」
出来た日の丸にハロルドは奇声上げ、グレンは「やっぱあんたって天才なのね」と呟き、キースに至っては言葉も出ず画用紙を持った。
「ジーザス…、何だ此れは…」
「日の丸だよ。」
「ブラッド、此れ、売ろうか。」
「お、マジで?1ポンドで売って遣るよ。」
「御前、1ポンド以外で絵は売らないのか。」
ブラッド何故か、絵を褒められると「1ポンドで売る」と云う。其れ以上でも以下でも無い。
「だって俺、絵は専門じゃねぇもん。彫刻家。デッサンをきちんとするだけ。専門じゃねぇもんから金は取らねぇよ。」
「1ポンド取ってるじゃないのよ。」
「グレン、御前馬鹿だな。俺の彫刻買う金持が1ポンドなんて。尻拭く感覚だろ。」
「まあ俺達から見ても1ポンドなんてねぇ…」
「あたしならフリーでも要らないわよ。あんな彫刻のデッサン画なんて。」
此れは欲しいけど、とキースの後ろから覗いた。
大きく湾曲した桜の木、花弁が下に溜まり、其の二つで丸い輪郭を作って居た。木と花弁の間には山があり、ちらほら花弁が散って居る。遠目から見ると赤い丸、近くで見ると桜の木と富士山が描いてある。
「競売に掛けて良いか。あのブラッド・シュナウザーの新作だぞ、あのマニア共が涎垂らして大金叩く。」
「三分の一俺に呉れッ」
「あたしも三分の一頂くわ。」
「残りは俺だ。」
本人の承諾も無し三人は盛り上がる。此処にサインを書けと迄命令され、キースは本気だった。
「俺には無いの…?」
「嗚呼、1ポンド遣ろう。」
「何でだよッ、俺が半分で、残り半分を三分の一づつ分けろよッ」
「専門外だから1ポンドで良いんだろ。」
最初にそう云ったのはブラッド、今更訂正出来ず、喜ぶキースを恨みがましい目で睨んだ。
「星条旗描いて頂戴、ブラッド。」
云われ、渋々クレヨンを握った。
「うわぁ、描く気起きねぇな。此れで良いか。」
適当に赤で線を引き、左上を青く塗り、ちょぼちょぼと白を足した。同じ人物が描いたのか、キースは交互に画用紙を見た。
「一寸此れはあんまりよッ」
「良いじゃねぇかよ、独立記念日迄部屋に飾っとけよ。」
「良しハニー、俺が描いてあげる。」
「結構よ。」
ハロルドの下手さは判りきって居る、ブラッド以上に酷い星条旗を描かれるの知るグレンは、掌を見せ首を振った。此れ以上母国を、亜米利加を、貶されたら女で居られない。
「燃えろ燃えろ、星条旗。」
終いには燃やされ、中途半端に燃えたトリコロールの上に捨てられた。
「趣味悪ぃ国旗は燃えろ。」
灰皿を暖炉に捨てたブラッドは盛大に欠伸噛まし、暖炉の上にあるマリア像を凝視した。
「序でだ、てめぇも消えちまえ…」
暖炉で頭を吹っ飛ばした像は、すっからかんの胴体を見せた。
「ブラッドッ」
キースの声に「てめぇは無神論者だろう」と返しただけで、器物破損の謝罪はしない。
「マリアの頭なんか如何でも良い。そんな不細工な女、不愉快しか無い。違う、ボーンチャイナだぞ、其れッ」
ティカップを集めるのが趣味なキースは、マリアの頭を吹き飛ばしたと云う事より、一瞬にして高価な陶器を破壊した事に怒りを見せた。
「其のボーンチャイナ、幾らだと思うんだよ。カップより高いんだぞ。」
「判ったよ、戻しゃ良いんだろ。」
頭部は吹き飛び、合わさる手には皹、ブラッドは又暖炉の上に置き、画用紙を一枚くしゃくしゃに丸めると空洞に詰めた。そうして、小さく長方形にした画用紙に顔面を描いて、壁にある画鋲で額を刺した。
「不細工…」
新しい顔面を手に入れたマリアにハロルドは「余程下手な医者に整形を頼んだね」と馬鹿にし、グレンは「息子にそっくり」とキリストの絵に視線を遣った。
「グレン、独立記念の記念に此れ遣るわ。」
「其のマリア像は此処の備品だ、御前に権限は無いッ」
「あ、そう。」
云ってブラッドはキースの胸元からマジックを抜き、像の裏に走らせた。小さな像はグレンの手に落ち、裏を覗いたグレンはテーブルに置いた。
「借金持たす気なの…?」
「え?」
ハロルドは覗いた。
マリアの頭を吹き飛ばしたのもブラッド、“迷”医で新しい顔面を提供したのもブラッド、詰まり此れは、ブラッドの一つの作品に為った。
「サイン書いた。」
「馬鹿野郎…」
「売ったら高いぜ。」
「こんな悪趣味な像、売ったらあたしの趣味が疑われるじゃない…、要らないわ…」
「じゃあキース。御前に遣るよ。」
「…実家に回して於く。」
「其れって、横領じゃないのかい?」
ハロルドの言葉にキースは、ポケットに仕舞おうとして居た手を止めた。“実家に回す”と云うのは、キースの父親の趣味が美術品集めで、中でもブラッドの作品を愛して居る。仏蘭西の別荘には桁外れの美術品が並び、父親が良く仏蘭西に居るのは此れ等美術品に囲まれる為だ。だったら英吉利の家に置けば良いだろうと云いたいが、自宅には自宅で、美術品以上の、生きる芸術品の写真やポスターが収集されて居る。ハロルドの、母親を。同じ場所に愛するものを並べる事は、自宅で愛人と、妻と仲良く暮らすのを意味する。だから分けて居る。
ハロルドに視線向けたキースは、人差し指を立てた。
「内緒。」
「ねーえッ」
「馬鹿ッ」
「横領横領ッ、ベイリー少尉が横領したッ」
「違う、丁度借りるだけだ。二百年位。」
「返す気無いじゃない…」
椅子をがたがた揺らし、騒音立て乍らキースの不正を喚くハロルドだが、世の中に正義等存在しない、居合わせた陸軍の男に「妄想は名誉毀損」と拳固食らった。妄想では無く、真実なのに。
強烈な星条旗を散らす頭を押さえるハロルドにキースは鼻で笑い、像を撫でた。
「ヘンリー、世の中を少し教えて遣る。」
涙目で睨んで見たが、余程強烈な力だったのか、焦点が合わなかった。
「権力が全てだ。世の中は金と権力で循環して居る。愛でも薬でも無い。」
するりとポケットに収まる像。
「御前が幾ら真実を喚こうが、無力の御前の声は誰も聞かない。声を誰かに届けたいのなら、権力を持て。」
「良く判ったよ…」
頭を支配する鈍痛が良く教えて呉れた。
「俺を負かすのも同じ、俺は権力にしか平伏さん。金も美貌も才能も、俺には全く無意味にしか映らん。金も美貌も才能の失せた御前は、路地裏の痩せこけた野良犬と同等。そんな犬、誰が見向きする?」
かすかすに荒れ果てたブロンドを一束持ち、決して滑らかとは云えない動きを髪に付け、キースは手を離した。
「自分より権力を持つ人間を捩伏せたいなら、其奴より上に行け。たった一言で黙る様な圧力を掛ければ良い。其れが世の中だ。俺と御前等の関係と、良く似てるだろう?」
ブラッドの吐いた煙がハロルドの髪を揺らした。
「ブラッド。」
「ん?」
「親父が幾ら出すかは知らんが、銀行にはちゃんと入れて於く。」
「やりぃ、暫く贅沢出来る。」
普段は全く生気持たないブラッドの目が、絵を描いて居た時以上にぎらぎらと、生々しい光を宿した。
此れが生きてる証だと。
「俺は金が全てだ。金の為に才能を売る。其れだけの話。結果、キースの大好物の権力が付く。俺は名誉とか権力に興味は無い、だからと云って、芸術に興味も無い。だったら何で俺はアーティストだったか、金が来るからだよ。逆行が強い程、金は来る。此れは俺からの教え。反発しろ、世の中に。そして御前にとって大事なのが何か、見極めろ。キースは権力、俺は金、其方の男女は知らねぇけど。」
グレンの目が動いた。
「あたしは見た目。形あるものは、全て見た目で決まる。ブラッドの彫刻もそう、あたしの趣味じゃないけど、大金が其れを証明してる。見た目が、全て。」
二十歳其処いらのハロルドは険しい顔をし、グレンの年は不明だが三十は近い、ブラッドは四十代、キースとは四つしか違わないのにブラッドよりも重たい言葉を云った。
「ええと詰まり要約すると…」
権力、金、美貌…其れ等全てを持つ事。そんなの不可能に近い。
が…。
「身近に居るだろう?」
キースの吊り上がる眉に二人はにやりと笑った。
「陛下…?陛下、美人だよ…?」
「近い。英吉利を背負っては居る。」
「俺には陛下だぜ。世の男には、自国の陛下より陛下だ。」
「あら、女にもよ。あたしなんか崇拝して祭壇迄作ってたわ。亜米利加人なのに。」
「リンダ・ヴォイド…、全てを持ってた。銀幕を支配し、世間を圧巻させ、其の美貌で権力を持ち、演技の才能で大金を手にした。」
其れを一撃で黙らせた圧力、他為らぬハロルドだった。

―――――俺の全て、其れは支配する事。




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