英国執事―steward―


執事と云う人種は、俺達凡人と同じ人間なのか疑問を持つ程完璧な人類。サラブレッドを作る様に、執事も、そうした交配の結果なのかも知れない。ずっとの昔から何百年も昔から、優秀な執事の遺伝子だけを交配して来たに違いない。
執事育成スクールがあるらしいが、其処に通おうと思う事自体が、遺伝子に染み付く結果なのだと思う。
其の交配に交配を重ね、最早無敵の超執事として存在するのが、キースの実家に居る老執事、ベイリー家の不死身のアイアン・マスクマンことバッカス・キングストン。
凄い名前だろう。
鉄仮面の名前は、王の石だ。
キングストン、なんて名前だから鉄仮面、とベイリー公は云う。
何でも、キングストン家は、代々執事をして居たらしい。父親も執事なら祖父も執事、兄弟も執事なら親族迄執事と来る、何百年も昔の王族の呪いにでも掛かってんじゃ無かろうかって程、キングストン家男子の職業は執事。妻と為る女は、対のメイドかと思いきや、そうでは無い。
メイドは詰まり、主人の使用人。主人の代理である執事が、使用人に手を出す等以ての外、人格と品性を疑われる。最悪主人に不信感を貰い、永久的に無職に為る。
だってそうだろう、メイドと恋仲に為る執事等、何処の金持だって雇いたくない。金持の人脈と口の早さは凄い、一度でも失態犯すと致命傷、執事生命を絶たれる。メイドに手を出す主人ですら白い目で見られるのに。息子辺りが手を出すのは、まあ仕方無いかも知れないが。
バッカス氏の母親は、バッカス氏の父親が仕える主人が贔屓にする被服商の針子だった。偶々何かで袖を引っ掛けた時、取れた釦を補正した。
――有難う、でも、金に為らない事はしない方が良い。
此の主人は業突く張りの露西亜の富豪で、金に為らない事以外は、例え皇帝にだろうが世辞の一つも云わない男だった。
主人と執事は、裏と表、光と影、二人で一つ。
そんなだから父親は云った。
すると母親は、
――御宅の主人から頂くわ、がっぽりね。
云って、糸を切った。
なのでバッカス氏、手先もかなり器用である。母親譲りか、趣味は裁縫。
「其方のクッションカバー、私が作りました。」
今、俺の背中を、良い感じに支えて呉れるクッションかい…?
汚す前に背中を離した。
バッカス氏、今何をしてるかと云うと、キースの母親エレナのスカートを、本人の足元で補正の最中。エレナはある事故で車椅子の生活を強いられて居る。裾が車輪に巻き込んで破損した、其れを履いた侭バッカス氏が縫って居る、と何とも涙ぐましい光景。
執事って裁縫迄するんだ、と聞いての返答。
バッカス氏に出来無い事って?
一体何があるんだろう。
主人が望めば殺人の手筈迄する、其れが執事。特にバッカス氏はサラブレッド中のサラブレッド、執事協会の会長迄してる。
金もあって、頭も良くて、人望肩書品性素行全て完璧、声迄格好良いんだから始末に終えない。
一寸本当に、此の男を失墜させるアレは無いのかい。
「出来ない事ですか?」
「笑う事かい?」
「かも知れません。」
ジョークも完璧。
「エレナ様、出来ましたよ。」
「嗚呼、疲れた。」
座ってるだけなのに。
此れが、俺達みたく足を動かす事の出来る立場なら、長時間座らされて腰が痛いだの疲れただの云えるが、彼女はずっと、ベッド以外では座ってる。
「散歩行って来る。」
「門から御出に為らぬ様、エレナ様、絶対ですよ。」
「あれは好きで出たんじゃ無いよ、蝶々が奇麗だったんだ。」
「其の蝶に何時迄も御美しく、エレナ様。だからと云って、出たら駄目ですよ。」
わぁお。
何て歯の浮く台詞。
本当、何が出来無いんだい、君。
「バッカス。」
「はいキース様。」
「…母さんは?」
「御庭です。」
「一寸母さん。俺のアレ何処やった。」
キースは、歩く事を止めると云う事を知らない。二階から歩いて来た侭庭に向かう、其の間一度も止まらず、キースが横切る前にバッカス氏は足を進め、ドアーを開けた。
俺はずっとソファに座り、バッカス氏の観察をしてる。
気付いたがバッカス氏、いや、クラークもだが、頭を全く動かさない。延髄の変わりに鉄板でも入ってるんだろうか。
こうして紅茶を注ぐ時でも、頭は正面向いた侭。
曲がらないの…?
「頭、動かないんだね。」
「はい?」
「何だろう、軸?其れが頭って云うか。」
「嗚呼。」
首所か背中に迄鉄板入ってるだろうって位、バッカス氏の背中は真っ直ぐ。
「執事は先ずに、其の家の顔です。依って、姿勢を崩す事は致しません。執事の姿勢が悪い、則ち、其の家の内面が悪い。屋敷が崩壊し様と私の姿勢は崩壊致しません。」
「成る程。」
良く判った。だから、使用人だがシャギィはぐらぐら何時も揺れてるんだ。クラークは揺れてないけど。
「執事育成カリキュラムの中に、姿勢と歩行が御座居ます。」
「何するの?」
「頭に二冊本を乗せ、全ての実務を行います。」
「落ちないの…?」
「落とさないから、執事に為れるのです。」
「頭って丸いよね?」
「左様で、余程殴られない限り。」
「出来るの?執事は皆。」
「はい。加えて私は、生まれた時から教育を受けておりますので。出来無い人間が居る事に衝撃を受けた次第です。」
「俺、出来無いよ…?」
あ、笑った。然も、無理矢理笑いを押さえた笑い。
「執事って、笑う事を禁止されてるの?」
「そうではありませんが、へらへら笑う執事等信用御座居ませんでしょう。旦那様が笑えと仰れば笑います。楽しく無くても。然し基本、無表情です。」
「疲れない?」
「いいえ。私はそうして生きておりましたので。」
バッカス氏の在任年数は五十年、驚く事に此れ、一つの屋敷にしか居ない。現当主のベイリー公と先代に仕えて居る。何時から?と聞くと、十八の頃から、其の五十年余りバッカス氏は、ベイリー家の裏と表を見て来た。キースでさえ知らない先代、一族の顔を、バッカス氏は知ってる。故にバッカス氏曰く、キースは先代奥方に似て居る、私を見る為り罵詈雑言浴びせる所が。子孫と云うのは、一つ飛びに似るらしいから、キースがそんな性格だろうがバッカス氏もベイリー公も、嗚呼、母さんの孫だ、流石大奥様の血筋、と気にしない。バッカス氏に“鉄仮面”と渾名付けたのは幼い頃の愛しい愛しいベイリー公、先代奥方がバッカス氏を「鉄仮面」と罵ろうが、可愛いハリー坊ちゃまの付けた渾名なので気にしない。此れが奥方本人が付けたのならバッカス氏も、其の鉄仮面を般若面に変え、勤め先も変えただろうが。
父親も鉄仮面なの?と聞くと、此方は良く笑う執事だったらしい。祖父は鉄仮面らしいが。
矢張り子孫は、一つ飛びに似る。
「て事は、キースの子供は良く笑うんだ。」
ベイリー公が良く笑う人だから。エレナも良く笑う、姉のディアナも良く笑う。
キース、君だけが絶望的に笑わないよ。
「其れは無いでしょう。」
「何で?キースの両親は笑う人種だよ。」
「貴方様が御相手では。」
皮肉迄しっかり教育受けて居るんだから腹の立つ。
「良し、ポーカーし様。」
「…宜しいですが、ハロルド様の負けは見えておりますよ。」
「へぇ、俺、強いよ?ダンサー時代、其れで小遣い稼ぎしてたから。」
自慢じゃないが、本当に強い。
「ポーカーとは、相手の心理を、微々たる表情で察知し、カードを切るゲームです。」
「知ってるよ。」
「御忘れですか?」
「何が?」
「私は、鉄仮面。」
口角の緩みを、俺は見逃さなかった。




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