偽善か慈善か


マシューの質問に笑いを堪えるのが精一杯だった。質問されたヘンリーの顔も又何とも云えない味を出す。
俺は基本的に子供嫌いであるが、時として、子供特有の観点に驚かされるのが好きだったりする。
マシューはヘンリーにこう聞いた。
給料貰ってないの、と。
マシューが真剣に聞く程俺の口角は限界に近付き、鼻から変な音が漏れる。
何故マシューがそんな事を聞いたかと云うと、ヘンリーが口癖の様に「金が欲しい」と繰り返すから。
「え?」
「うちってお金無いの?」
限界だった。
笑いが限界を超えた俺は、豚みたく声を漏らし、ヘンリーと目が合う前に慌てて手で顔を隠した。
「ええと…」
「だって、キースがダディなんでしょ?」
だって、の活用法は良く判らないが、実際此の家の生活費は俺の給料、マシューの云う“ダディ”が“生活費を稼ぐ人物”なら俺は“父親”であろう。
ダディは実際二人だが。
マミィ何て居ないが。
「給料位貰ってるよ。」
「なんだ。」
「そんな俺、命張って迄ボランティア何かする人間じゃ無いよ。給料貰わなきゃ、陸軍元帥何てしないさ。」
「じゃあ、何でお金が無いの?」
最初は、本当に一番最初の頃は、俺がヘンリーを養って居た。ヘンリーは生活を戻す事に必死で、又俺も其れを手伝う義務があった、ヘンリーが其れに集中出来る様に俺は喜んで生活の全てを負担した。何年かするとバランス良く折半した。家自体は俺が買ったが、其れだけ、名義がヘンリーだから固定資産税はヘンリーが自分で払って居た。
食費は、俺が材料費で外食費はヘンリー、光熱費は其の時玄関を開けた方の何方か、娯楽費は適当に自分達で回した。
詰まり、何方かが一方に伸し掛かって居る訳では無い。
唯、数年前から…戦争が始まった頃から、固定資産税以外俺が全てを背負った。
そして、マシューが来た事でヘンリーの給料は一切家には入らなくなった。
ヘンリーは眉間を掻き、横に居るヴィヴィアンの頭を撫でた。
「マットには、キースの貴族生活はさせられないけど、中流の生活をさせる位の金ならあるよ。」
そう、マシューの養育費と云う新たな出費をヘンリーが背負った。俺は一切加担して居ない、父親なのに。
ヘンリーが其れで良いと云ったから。
だからと云って、ヘンリーの給料全て使い切る程、金が欲しいと繰り返す程、マシューに金は掛けて居ない。
何よりも、此の家で一番金の掛かる出費をヘンリーは背負う。
俺が背負う生活費等可愛い。
「お金はあるの?」
「あるよ、充分過ぎる程あるよ。」
「じゃあ何でお金が欲しいの?」
「此の家と、基地に居る保護した犬の生活を、全部俺が見てるから。」
此処に居る犬は二十頭程、基地は知らないが其の三倍を考えて良い。
ヘンリーは、軍用犬を除く百頭余りの犬の全てを背負って居た。幾ら、基地に居る犬だけでも国に負担させろと云っても聞かない。
此の子達は基地に居るだけで軍用犬じゃない、家に来れないから基地に居るだけ、保護したのは軍じゃなくて俺、だから面倒は俺が見る。
ヘンリーは云って聞かない。
其れで金が無いのだから、自業自得である。
命張って迄此奴は一体、国を守りたいのか犬を守りたいのか良く判らない。
保護なんかしなきゃ良いのに、と思うが、俺も人の事を云えなかった。海軍基地には、猫が沢山住み着いて居る。
だって、子猫だぞ。
親とはぐれた子猫だぞ。
可哀想じゃないか…。
俺の部屋には、パールを筆頭に計六匹の猫がうろうろして居る。偶に減るが、誰かが持って帰ったんだろう、としか思わない。パールさえ持って帰らなければ問題無い。
一度、噂なのか真実なのかはっきりしない事を聞いた。本人に確認するのさえ怖い話。ヘンリーだからこそ、信憑性のある話だった。
無責任な悪質極まりない違法ブリーダーを無表情で殺した、と。
反ヘンリー派閥の人間が流したデマかもしてないが、誰よりもヘンリーを知る俺だからこそ、悪質なデマだと信じられなかった。
こんな時代、悪質なブリーダーが一人、戦争全く関係無く死んでも、誰が殺人罪を適応する。国家権力を持つ人間が、無関係の人間を殺しても、正義と云われる様に、無意味な物でしかない。
法律等所詮、権力を持つ人間に傾く国家権力の一つにしか過ぎない。
マシューはヘンリーの愛情に感激し、やっぱり阿呆な所はヘンリーに似たんだな、と実感した。
「ねえヘンリー。キースでも良いけど。」
「なんだい?」
「俺じゃ不満か。」
「人を殺すって、どんな感じなの?」
子供は純粋で、マシューに至っては純粋其のモノだから、素直な好奇心を見せる。
突拍子無い質問と思うが、マシューにはきちんと意図がある。全財産投げ打って迄犬を保護するヘンリーが、人間の命を不平等に扱って居る事が不思議に映ってならない。
「そうだね…」
ヘンリーは俺を一瞬見、網膜にこびり付く記憶を見た。
「罪悪感は、無いよ。」
ヴィヴィアンがちらりとヘンリーを見た。
「殺さなきゃ、俺が殺されるから。」
マシューは、何かを思い出した様に顔を上げた。
「俺にも、向こうにも生活はある。けど、力のある人間が生き残る。俺は、自分の生活を守る為なら、容赦はしない。俺の邪魔をするなら、死んで良い。」
犬には、破産覚悟で愛を与える人間は、人間相手には容赦が無い。
殺される前に殺す……素直な理由。正当な理由。
其処に敵が居るから。国を守る為、其の国に住む人間を守る為、己が生きる国を確保する為。
何も間違って居ない。
誰も、ヘンリーを罰する事等出来ない。
戦勝国の先導者は英雄で、敗戦国の独裁者は罪人。
何時だって法律は、勝者にしか微笑まない。敗者は無様に泣きを見るだけ。
「死にたくなければ…」
這い上がれ。
しがみ付いてでも、無様でも、生に執着しろ。例え嗤われても構わない、嗤った奴を――殺せば良い。
緑の目はそう云った。
「俺は、君を守る。だからマット、君は自分の人生を、守れ。」
マシューはそっと目を閉じた。
俺には判らない、ヘンリーは愛情深いのか冷酷非道なのか。
エゴイストなのかセルフィッシュなのかも、判らない。
英雄なのか独裁者なのかさえ、俺には何も判らない。




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