薔薇を枯らす方法


油断したと自分の浅はかさを呪った時には、ジョルジュの顔の向こうに天井を見た。本当に奇麗な薔薇の絵で、普段は気にも止め無い筈が何故だかハロルドは見惚れた。絨毯の長い毛先が首に擽り、髪を結ぶ場所が痛く横を向いた。
「俺を見てよ。」
「今更何の用だ。」
溜息が毛先を揺らす。
誰の所為で、今此処に居ると思うのか。本来ならば、ステージの上に居るのに、御前の所為だ。
吐き出したい恨み言は腐る程あるのに何も云えず、言葉通り心も人生もぐずぐずとガスを出し腐って居た。
絨毯を手の甲で撫で、暫く其れを楽しんで居たがジョルジュに止められた。
「本当に悪かったと、思ってるんだよ。」
「思うだけだろう、退け。」
強くジョルジュを睨み付け、手首を固定する手を払い退けた。
「だったら君、俺に何をしてくれるんだ?今でも震える手足を元に戻してくれるのか?」
在の時の夢を現実にしてくれるのかとハロルドは叫び、ジョルジュを引っ叩いた。其の言葉にジョルジュは酷く傷付いた目を床に向け、益々其の態度に腹が立った。
「何でジョルジュがそんな目をするんだっ、したいのは俺だよっ」
「御免…」
「御免じゃないんだよっ。謝って俺の人生が戻るのかっ?違うだろう?君は良いよ、勝手に自分のエゴと罪悪感で俺に御免って云えば良いんだからっ。君が俺に謝った処で過去は消え無い、口だけの形に出来無い物何か要らないさっ」
「じゃあ如何しろって云うんだよっ」
謝罪する事しか出来無い自分に何を望むのか、第一、勝手にヘロインを摂取したのは御前だろう、とハロルドが一番気に食わない責任転嫁をジョルジュは始めた。
「確かに俺が悪かった。でも俺は止めた、御前は其れを無視しただろうっ?」
「謝る位なら始めから与えるなっ、君の所為で俺は、俺は……」
天井の薔薇が泣いて居た。過去と硝子の様に砕けた夢を思い出し、罪悪感に苛まれ、結局泣く事しかハロルドには出来無かった。
「俺は、君を、愛して居たのに…」
顔を覆い掠れた声を出すハロルドにジョルジュは胸が苦しくなり、戻らせ様の無い過去と思いを溜息に乗せた。
「俺だって、愛してたさ…」
「君は、何時も、口だけじゃないか…」
「ヘンリーに嘘を吐いた事は無い…」
白い絨毯に髪が流れ、其れを撫でるジョルジュの手が堪らなく愛おしいく思えた。
「何で、俺を捨てたんだ…」
「捨てたくて捨てた訳じゃない…。本当は、連れて逃げたかった。」
昔もそんな事を云って居た。ベッドの上でキスをし乍ら、遠い国に思いを馳せた。そして結局実行に移せず、二人は引き裂かれた。
「結局口だけじゃないか…」
「今からでも、連れたいさ…」
頬を何度も撫でる手は首筋を撫で、肩に流れ、左手を掴みそっと指先にキスをした。中指をなぞる舌にハロルドは肩を竦め、痛みが生じた。ジョルジュの口から床に吐き捨てられた指輪にハロルドは目を見開き、あるべき物が無い指に眉を落とした。
「何処に投げた?」
「其処等辺。ソファの下かな。」
「返して。」
「他の男と揃いの指輪を、返すと思う…?」
ハロルドは首を振り、何も無い手をジョルジュの頬に乗せた。
「退いて、ハニー。」
「誰に云ってんだよ…」
何も云わず目を伏せるハロルドの眼鏡を取り、唇を重ねた。
感じる煙草の味が、昔を蘇らせる。痙攣する瞼は、決して泣こうとして居る為では無い。なのにハロルドは泣いた。光が反射した海みたく奇麗に揺れるハロルドの目は、昔から皆が憧れて居た。
「良いな、此れを一人占めする奴は。」
下瞼を撫で、ジョルジュは薄く笑う。
「愛してたんだ、本当に…。出来れば君に全てをあげたかった。」
目尻の涙を舌で掬い、ゆっくりとタイを解いた。ジョルジュの動きにぴたりと涙が止まり、大きな目は震えてジョルジュを見た。
「何、してるんだい…?」
「今、愛してるって云ったろう?」
「は…?」
掠れた声は唇で消され、乱暴にタイを外された。自分に起きて居る状況を理解する前にタイで手首を拘束され、其の侭短剣で床に固定された。
其の時喉に小さな痛みを感じたが、緊張で喉が渇いて居る所為だろうとハロルドは楽天的に考えた。
ハロルドの喉が上下した事をジョルジュは確認し、唇を離した。
「ジョルジュっ」
唇が離れた瞬間声を荒げてみたがジョルジュはへらへらと笑って居るだけで、尚其れが気持悪く、ハロルドは状況を整理した。
喉が渇いて居ただけにしては異常な痛みが生じ、何故か胃が脈打ち始めた。
「昔みたく、愛し合おう。」
顎を包むジョルジュの両手はじっとりと湿り、丸で蛙が張り付いて居る気分になった。背中に鳥肌が立ち、蛙が嫌いなハロルドはそう思うと其れ以外考えられず、絨毯に吐き出した。
変色をした嘔吐物は白い絨毯を汚し、嫌悪から吐き出した物で無い事を理解した。
床を見詰める視界が歪み始め、鳥肌では無い逆立ちが背中を襲った。足が痙攣し始め、床に突き刺さる短剣は揺れた。
「何を……飲……」
「あれ?忘れた?御前が好きな物だよ。」
「違う…此れは…ヘロインじゃない…」
そんな生優しい感覚では無いと、がちがち歯を鳴らすハロルドにジョルジュは小さく笑い、肩を揺らした。長い髪から覗く笑顔は不気味な影を目元に落として居た。
「世界最強ドラッグ、コカインとヘロインの合成だよ。」
頭に叩き付けられた言葉にハロルドは白目向き、大きく身体を反らすと大量の嘔吐物を床にぶちまけた。手首に短剣が当たり、吐く度に絨毯を赤く染めた。
何も見え無かった。頭の中は渦を巻き、身体は暗い穴の中に落とされる感覚で、ハロルドは血を吐く迄吐き続けた。薬か嘔吐で体力を消耗したのかハロルドは目を不自然に動かした侭大人しく床に伸びた。
「止めろ…」
「未だ反抗出来るんだ。凄いね。」
軍服を脱がし始めたジョルジュにハロルドは抵抗を見せ、しかし其れもジョルジュには楽しいものだった。
捲れたシャツからジョルジュの手が這い、足に熱が篭るのを知った。
「もう直ぐだよ。催淫剤も混ぜておいた。」
「ヘロインだけで…充分だろう…」
「ヘロインはさ、確かに凄く感度は良くなるよ。でも其れだけだろう?コカインでハイになって、ヘロインで感度が良くなって、其れで俺を求めてくれたら、最高じゃない?」
「俺に謝った、在れも結局嘘か…」
途切れ始めた思考を動かし、口を動かした。口を、言葉を出して居ないと思考が止まりそうで、けれど口を動かす度に熱い息が漏れ、息が出来無くなって居た。
ハロルドの言葉にジョルジュは態とらしい笑みを浮かべ首を傾げる。
「在の時の事は本当に悪いと思ってるさ。でも今は違う。ヘンリーを愛してるだけ。俺の物にしたいだけ。だから薬を使ったに過ぎないさ。」
噛み付かれた首が燃える様に熱く、肉を持って行かれたのでは無いかと錯覚した。そうしてもう一つハロルドは錯覚した。こうして自分に触れて居る人間が、恋人だと、焦点の合わない視界で探した。
「キース…キース…っ」
じっとりと熱く、汗ばむハロルドの背中にジョルジュは静かに笑い、短剣を抜いた。ハロルドの血を名残惜しそうに手首から引き、刃に流れる血をジョルジュは舐め取った。
「興奮して来た…。最高だよ、ヘンリー…」
世界最強ドラッグは此奴何じゃないかと、濁り始めたハロルドの目にキスをした。




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