君と僕


外は騒がしい筈であるのに、秒針の音は嫌に響いて居た。窓を締めて居る所為と云われれば其れ迄なのだが、其れ以上に神経は尖って居た。
「終わったよ。」
ソファを見ない様に身体を窓に向けて居た俺は、視界に入り込んだ影に目だけ動かした。
「置いて於いて。」
書類を見た侭呟き、一刻も早く此奴が居なく為る事を願った。張り詰めた神経で書類の内容が判る筈も無く、顔は書類を向いて居るのに、視線は足元に居るテイラーに向いて居た。特注したテイラーの軍帽、耳が垂れて居る犬種で良かった、頭からすっぽりと帽子を被り、首から下がるプレートが一度反射した。其の光がジョルジュの目に反射したのか、小さく唸った。
「ダルメシアンの軍用犬って聞いた事無い。まあ、其の斑模様は良いかも。」
其の言葉に俺はテイラーから視線を外し、持って居た書類を置かれた書類の上に投げ重ね、きちんと身体を向けた。
「軍用犬じゃない、ルーネント テイラーだ。間違っても彼女に向かってそんな口を利くんじゃない。テイラー以下の戦闘力しか無い軍の大将の癖して。」
「其れは済みませんでしたね、麗しきテイラー中将殿。」
又小声が始まった、とうんざりした顔を晒し、遮る様に敬礼をした。自分以下の人間を良く見様としたのか、テイラーはプレートを鳴らし、軽やかに俺の上に乗った。鍔同士がぶつかり、俺の帽子はテイラーみたく顎で固定されて居ない為後ろに落ちた。鍔が顔に当たり痛いが、一度キスをくれたので黙認した。其れを傍観して居たジョルジュは鼻で笑い、上り詰めるには機嫌取りが必須、そう云った。
「何…?」
「ベーゼ一つでルーネント。身体を繋げば、はっ。次期元帥かな?」
今からマーシャル テイラーと名前でも覚えて於くかなと又笑い、ジョルジュの言葉に気分害したテイラーは冷たい目を向け、一度威嚇した。
「怖い怖い。流石はローザ様の愛人。」
「テイラー、相手にしたら駄目。此奴は頭がいかれてるんだ。」
俺の言葉に、そうよね、と等々犬からも相手にされ無く為ったジョルジュは紫煙を吐くと頷いた。犬に迄馬鹿にされる軍人も中々に居ないのでは無いか、そう思ってしまう程ジョルジュは馬鹿にされて居た。はっきりと侮蔑孕んだテイラーの目に、程度が知れて居た。
「用があったら又呼ぶから。」
テイラーを下ろし、椅子から立った俺は脇目も振らずドアーノブに手を掛けた。横目でジョルジュの目を見た侭開き“御気を付けて”、上体を屈した。俺に最敬礼した、と嫌味噛ます背中を蹴飛ばし、其の侭閉めた。廊下に飛ばされたジョルジュに見張りは“元帥”では無く“ムッシュ”と呼んだ。
ドアーを挟んだ其の向こうで、彼等は話しをして居た。俺は此処に居るのに、全く居ないも同然だった。分厚い板を容易く突き抜ける仏蘭西語。堪らず不愉快だった。
「テイラー。」
ドアーに凭れた侭動かない、動けない俺を、堪らずテイラーは見上げる。垂らした尾を振り、必死に俺を心配して居た。
――如何したの。
「何でも無いよ。」
――寂しいの?
「さあ、其れさえも判らない。」
――キースが何処にも居ないから?
そうしてテイラーは辺りを見渡し、机に置かれる写真立てに鼻を向けた。俺とマットが映る写真、其処にキースは居ない。
俺に息子は居るのに、キースには居ない。知られては為らない事実を、悲観して居た。
マットが俺の息子だと云うのは、皆知って居る。けれどキースの息子でもある事は、誰も知らなかった。
――坊ちゃんは、元気かな。
「母さんが、最後の元気を見せてるよ。」
弟達の子供、其れを纏めるのは最年長のマット。屹度昔の俺みたく、良い兄ちゃんをして居る。
「テイラーも、リスキーみたくマットと向こうに行きたかった?」
こんな場所で、軍用犬と云われる事に不満は無いのか、知れず聞いた。本来なら、こんな場所で死と隣り合わせの毎日を過ごさなくとも良い。ヴィヴィアンや他の子達みたく、クラークとシャギィに守られ乍ら家に居るのが一番良い。けれどテイラーは静かに首を振り、“テイラー中将”とプレートが嵌め込まれる椅子に座った。
――私の場所は此処。貴方を守るの。
在の王妃みたく家でのんびりするのは体質に合わないと欠伸をした。
「勇ましいね、テイラー王女。」
――女は強く無ければ、でしょう?
「全くそうだね。」
そう、強く成らなければ為らない。言葉一つで動揺等見せては為らない。頭では判って居るのに、心は追い付かず、聞こえる仏蘭西語に怯えた。
「良し、シエスタし様。」
――又…?
嫌な事があれば寝て忘れる、伊太利亜人を真似て見た。然し此の昼寝の習慣は、キースが元帥に為った時からの海軍派生だ。西班牙或いは伊太利亜は、昼食が終われば昼寝をする。そして夕方に必ず仕事を止める。キースは此れを海軍に取り入れた。
なのでキースは、何時も寝て居る。故に英国海軍なのか西海軍なのか良く判らない状態。
最初は此れ、昼食に二時間取る等阿呆な提示をした。そして一時間の昼寝時間、其れで四時に帰ると典型的な西班牙習慣を抜かした物だから陛下から殴られた。昼食は精々一時間、就業は規定通りの六時、昼寝の一時間はキースの希望通りに為った。其れが羨ましいと、空軍や陸軍に迄設定され、飛んで帝國軍に迄行った。此れは日本でキースが「昼寝の時間だ」と会議そっちのけで昼寝をし、加納元帥は矢張り絶句、木島元帥は「良いな、俺もする」と寝始め、釣られて俺達もしたもんだから、加納元帥は暇で結局昼寝をした。
実は此の昼寝、馬鹿には出来無い。頭の回転が面白い程違う。
キースは其れを知って居たから其の時間を設定したのだが、伊太利亜人や西班牙人は仕事をしたくないだけの時間稼ぎ、昼食が二時間なのも其の為。シャギィがそう云って居た。
そんな“時間稼ぎ”をするべく俺は、ソファに寝た。テイラーの視線は痛いが、手招くとすんなり上に乗った。
「なあんだ、君も結局好き何じゃないか。」
――でも良いのかな。
「良いの良いの、一時間ナップタイム。文句があるならキラキラロイヤルさんに如何ぞ。」
――じゃなくて。
テイラーの視線の先、其処には大きな絵画。マットと映る写真よりも前からある、大事な絵。
――ヴィヴィアン王妃は嫉妬深いから。
其の言葉に俺は、ソファから頭を落とし、顔だけ絵に向けた。
俺に寄り添い、笑うヴィヴィアン。普段なら優しい筈の眼光は冷たく光を放って居た。
キースは屹度、浮気する度こんな気持を知るのかと、冷たい目に似た汗が流れた。
――浮気は駄目ね、ハニー…。食い千切っちゃうんだから、此の浮気者。
「ヴィヴィアンの真似しないで呉れるかい?テイラー…」
胸に顔を埋め、唸るテイラーの声に縮み上がった。
浮気をするには其れ為りの覚悟が必要だ。そしてルールもある。
同じ相手と二度繰り返えさ無い、痕跡を残さない、そして。
「テイラー、キスし様か。」
――後で如何為っても知らないからね。
絶対にキスはしない。
湿った鼻先、死刑宣告覚悟でキスをした。
――鼻…
「ヴィヴィアン怒らすと、怖いから…」
引き攣り笑う俺に、テイラーはもう一度絵画を見上げ、深く身を屈めるとぶるぶると震え出した。
はっきりと判るヴィヴィアンの憤怒、其れを感じ取ったのか「今日は家に帰らない」と云う始末。
俺に染み付いたテイラーの匂い、鼻先のキス、繰り返される浮気、其れをヴィヴィアンが「浮気は駄目よハニー」で許す筈は無い。
テイラーとヴィヴィアンは仲が良い、と云う依りは最年長ヴィヴィアンがヒエラルキ二番手に居る為皆従うしか無い。子犬であったテイラーを育てたのは他でも無いヴィヴィアン。故にテイラーは一生如何足掻いてもヴィヴィアンに勝ちっこ無い。そんな状態であるから、俺は元より、テイラーの身体にべったりと俺の匂いが付いて居ると為ると…?
暫くは無視される。
俺も、テイラーも。
妻や母親から無視をされるのが、一番堪える。
「其れは駄目…」
――嫌…怖い…
痕跡を残さない理由は相手への配慮もあるが、此れが一番大きい。
「朝帰りとか、殺される…」
仕事を理由に帰らなければ良いが、そうすると今度は“嘘”を生み出す。此れは浮気に於いて、一番の厄介者。信用を失う。
「何でこんな時に限ってリスキーが居ないんだい…」
リスキーが居れば、ヴィヴィアンが来る依り先に沢山ハグして証拠隠滅。唯、リスキーには「嗚呼又か…」と思われはする。
――不細工キングは…?最近見ないけど。
「彼は軍艦。テイラー…、キングにはとことん冷たいね。」
キングはあんなにテイラーを好きであるのに。尤もキングは、主人のキースに似て、冷たくされればされる程燃え上がって居るので、傍から見れば不敏だが問題無いみたいではある。
今から軍服を洗濯するか、そう為れば何故洗濯したのか、ならば水遊びか、夏なら未だしもこんな寒い日に。
証拠隠滅を謀るのも苦労する、飄々と浮気繰り返すキースが羨ましい。
「浮気は、するものじゃないね…テイラー…」
テイラーの鳴き声にヴィヴィアンの眼光が鋭く為った気がした。
君と俺で、死刑宣告を甘んじ様。例え一晩で、髪が白髪に為る結果であったとしても。




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