負けん気ヲナゴ


夫である私が云うのも、手前味噌で大変恐縮な話ではありますが、私の妻は大層美人。其れは認めるのだが、般若顔に似合いのきつい性格をして居ります。
喚き、物を投げ、終いには泣く。
此れが、怖いのです。
何と云っても妻は、恐ろしい事に極道に生まれ落ちた女でありまして…。好きで此の様な生まれの人間と結婚した訳ではありません、保身の為云わさせて頂きます。脅迫に近い形で結婚させられたのです。今では背中に朱雀の入れ墨何ぞ入って居るのです、在の妻は。
此れは誠に怖い話では無いか。
夫婦である為、夜はまあ、云わずとも判るでありましょう。欲望猛る私は意気揚々と服を脱がすのですが、絹の様な白い肌に、紫色の何とも趣味悪い朱雀が月明かりに浮かび上がるのです。何と心臓に悪い、何と気味の悪い、何と趣味の悪い。私の欲望の焔は、妻の背中とは真逆に、鎮火します。
紫色等、妻のセンスを疑う。朱雀が悪い訳では無い、紫色なのがセンス悪いと、私は云って居るのです。
朱雀とは本来、名の通り焔纏う赤い鳥です。いや、鳥かは定かではありませんが(なんせ見た事無いので)。
其れが妻の悪趣味に掛かれば紫色に変化して仕舞います、全く意味が判らない。
其の朱雀はんの所為かは知りませんが、益々妻の性格はけったいに為りました。朱雀が纏う焔の所為か、身体に流るる血が焔に為ったのか、一層強固に強烈に確実に、妻の性格は強気に為ったのです。
生意気な、けったくそわるい。
其の鼻っ柱、折って遣りたいです。
嫉妬深く、我が儘で、ヒステリーで、なのに私の機嫌を一々鼠の様に窺い、骸骨みたく痩せ細り、実家は極道、背中には入れ墨、顔以外良いトコ無しです。残念な。
然し周りから云わせれば、あんな完璧な嫁何処探してもおらん。一途で美人で守って呉れとも云わん、実家は金持で……物は云い様もんですわな、ほんま。だったら差し上げますよと云うが、丁重に断られる所見ると、矢張り嫌なのでは無いかと思うのです。
此れが少しでも「あたしこんなんやから…」と出生を恥、しおらしくすれば可愛いのですが、気が強い時しか無い。
私が守って貰いたい程です、妻の実家に、妻から。
第一、私が好きなタイプは、しおらしく華麗で平凡な、小動物みたいな女なのです。妻とは真逆何だ、あほんだら。
こんな気の強い女と日がな一日居れば、神経は衰弱して仕舞います。朝目覚め、妻に辟易し、夜には憔悴し切り、寝ても疲れて居るのです。廃人みたく落ち窪んだ目で朝日を見る程辛い物はありません。
然し今日は気分が良かった。
妻の母親の法事があり、昨日の朝から居ないのです。出掛け妻は在れや此れや煩く云い、追い出す様に妻を兵庫県(此れは寺があるから)に送りました。向こうに用意はあるだろうに、着いたら直ぐ始まるしな、と(だったら前日から行け)縁起悪い喪服で向かいました。一緒の列車、横に座った人は可哀相ではありませんか。般若顔の窶れ細った喪服の女が横等。若し若いカップル…女側の親御さんへ挨拶に行って居る途中だったらと思うと憐れで不憫で申し訳無い限りです。ゲンワルゥ…、何とも傍迷惑な妻です。
そんな訳でありますから、私、今朝の目覚めは頗る良好なのです。白虎の毛並みも、輝いております。昨日シャンプーしたからでしょう。
私に残された時間は後八時間。何も昨日行って今日帰って来る事無いでは無いか。私は大丈夫ですから、一ヶ月程実家に居れば良いのです。然し妻から云わせれば、一人にすると何仕出かすか判らんと云うので、夕方、東京駅に着くそうです。
別、妻が居ないからと行って羽目を外したりはしません。一日二日で出来るか。列車が事故に遭えば良いのにな、と考えます。迎えに行かなければ為らないのも辟易します。松山でも連れ、一週間程東京見物させたら良いのです。
淋しいですが、白虎は人混みが苦手なので留守番させ、六時位に着くと云うので五時前に家を出ました。凄く、面倒臭いです。
兵庫と云えば神戸、神戸と云えば洋菓子他ありません。洋菓子買って来な家に入れん、と昨日の朝凄んだので私は、其れを迎えに行きました。妻ではありません、洋菓子を、迎えに行くのです。其の所、努々勘違い為さらぬ様。由岐城家の寺が神戸にあるかは知りませんが。
然し如何した事か、云われた六時に為っても次の列車が着ても、妻の姿は一向に見えません。元から身長高いとは云え草履、群衆に飲まれ判らないのか…いやいやあんな般若顔、直ぐに判ります。横に松山でも付けて居れば直ぐに判るのですが…。
八時に為っても未だ来ない。人が段々と少なく為り、其れでも判らんとは如何な物か、好い加減痺れ切らした私は、近くの公衆電話から妻の自宅に掛けました。
出たのは、夜叉でした。
舅曰く、妻は昼前に「神戸に寄る」と行って、松山従え宿泊先を出たと云います。なので、遅くとも七時には其方に着くと、けれど現に妻は姿を現さないのです。
不安が、足元から這い上がった。
事故に遭えば良いのに、等は所詮言葉の文。何処に行ったんだ、私の妻は…。互いに気付かず、帰宅したのでは無いかと、自宅に電話を入れましたが、虚しく呼び出し音が鳴るだけでした。
「茜……?」
受話器を置き、項垂れました。
「一体何処行ったんや…」
ぼうっと、電話機に腕を掛けた侭外を眺めて居ますと、居た、おりました、妻は。金魚の鰭みたいなスカートを揺らして居ます。
最悪な事に、チンピラ(に見えた)二人に絡まれて居ます。在れだけ美人で華美な女でありますから、ちょっかい掛けられて居ます。私は一寸、妻がどんな風にチンピラを蹴散らすのか眺めて居ました、公衆電話の箱の中から。助けないのかって…?いやだって、チンピラとか、怖いではありませんか。
暫く眺めておりましたが、不思議な事に、在の強気の負けん気の妻が「嫌」だの「止めて」だの「困ります」と、身体を触らせない様身体の角度を変えて居るのです。何時もなら「触らんといてて云うてるでしょっ」「ほんまひつこい」と喚く所です。なのに今の妻は生娘の様に弱々しく、泣き出しそうなのです。
気持悪……。
通行人も二人がチンピラみたいなので見て見ぬ振り、誰が手何か貸します。一寸此れは本当に危ないのではないか(妻云々では無く、妻が誘拐でもされたら私が在の極道達から酷い目に遭う)、そう思いまして、箱から出たのです。
細い手首、其れに伸びる浅黒い手、掴んで仕舞ったのです、私の馬鹿。チンピラに喧嘩売る等、明日の私は東京湾の海底で目覚めるかも知れません。
「すんまへん、兄さん方。」
唇突き出し、泣くのを堪えて居た妻の顔が、私を見上げました。
「何…?」
「いやぁ一寸、話、あるんですけどぉ。」
笑顔で云い、相手の手を捩り上げる様に胸に寄せました。
「嫌がってますやん?女子はんにけったいな事したら、あかんのとちゃいます?」
ねえ?と、薄く開いた目から相手を見ました。
正直云って、ちびりそうな程怖いです。だってチンピラ(推定)ですよ、怖い。
「八雲…」
馬鹿妻。何故其処で私との関係をチンピラに云う。
「何?知り合い?」
「いやぁ…知り合い…?まあ知り合いです。」
「ふぅん。兄ちゃん、奇麗な顔してんな。」
ポケットに手を突っ込み、上から下迄私を品定めするもう一人は、びったりと身体を付けると松山とは比べ物に為らない、雲泥の差ある、下品で不愉快極まりない視線を向けました。
チンピラであるのは確定致しました。
「はあ、御蔭さんに…」
「姉ちゃんも美人だし、独り占めって、良くないと思うんだわ、俺。」
だったら今直ぐ、貰って呉れ。
「はあ。其れで…?」
「ちょこっと、貸して呉んない?明日返すよ。」
要らん、一生返さんでええ。
「其れは一寸、ねえ。」
「俺達の後ろ、何居るか判ってて云ってる?素直にはいって云った方が良いよ。」
何て卑劣、何て下劣。此れがチンピラか、此れが極道か。
こんな腐った人間、極道何か、滅んだらええねん。
妻に伸び様とした手を、思い切り叩いた。嗚呼、私の馬鹿。見る見る相手の顔が赤く為り、矢張り低俗です、私では無く妻を殴ろうとしました。
なので私、ちょいと身長は高いので、相手の首を掴みました。
「相手にならなんぼでも為ったるわ、わいがな。せやけど茜にだけは手ぇ出すな。離せや、今直ぐ其の手離せや。」
「威勢、良いな。」
「威勢ええのんはどっちや、チンピラが。雑魚の癖に活きだきゃええな。」
今直ぐ何方か、私を殺して下さいませんでしょうか。此の様な人間を、向こう見ずのあほんだらと云います。ええ、兄譲りの無鉄砲であります。
背中に嫌ぁな汗が吹き出て居ます。嗚呼、まさに、背水の陣。
「手ぇ出してみ、黙っとかれへんぞ。本気でわい怒らす気か。」
「怒らしたら如何為るんだよ…?」
如何為るのでしょう、私にも判りません。
「八雲…」
「黙っとけや。」
「八雲ちゃん、教えてよ。」
私が教えて貰いたい。何か策はありませんか。
「ほんならなぁ、今直ぐ電話で、オエライハンにでも聞ぃたら?関西弁話す由岐城八雲っちゅぅ奴の嫁ハンに手ぇ出そうとしたんですけどぉ、僕、如何為りますかねえ、て。」
私は先程迄身を潜めて居た公衆電話を指しました。チンピラ、案外素直です。一人残し、一人が電話に行きました。
いや、一寸待って。何でほんまに聞かはんの。止めてんか。由岐城八雲なんて人間、居てなんだ。
背水の陣なんて話ではありません、即座思ったのは、白虎の御飯如何し様、でした。其の時は兄弟子に連絡入れさせて貰い、動物園で保護して貰いましょう。残念ですが。
数分後、血相変えた一人が戻り、見張りの腕を徐に引くと、コンクリートの地面に額を激突させました。
「済みませんでしたっ」
「え?何?」
自分から鎌掛けて於いてアレだが、チンピラに土下座されるとは思いませんでした。
「由岐城組の御嬢とは知らず、申し訳ありませんでしたっ」
「由岐城組…っ」
見張り役だった相手は鼻水撒き散らし、血と鼻水を地面に垂らします。通行人が何や何やと、嗚呼、煩い。
「も、え。もええて…一寸…」
恥ずかしい。チンピラを土下座させる等、何と云う生き恥でしょう。止めて下さい、私は無害な一般人です、そんな目で、嫌だわ極道よ、と見ないで下さい其処の御美しい御夫人。
「済みませんでしたっ」
「如何か、如何か此の事は其方にはっ」
「いやも、云わんし、止めて…」
「人悪いですよ…、一言云って頂ければ…」
意味が判りません、何故私が悪いのですか。
「引かんかったの、そっちちゃうんか。黙っとかれへんぞてゆうたよ。」
「はい、はいっ、仰る通りですっ」
「もう帰ってな。」
「失礼しますっ」
永久に失礼して居て欲しい。何方か心優しい方が、人相悪い兄ちゃんとチンピラが女の事で揉めてる、と交番か駅員かに知らせたのでしょう、遅過ぎます、もっと早くに来て貰いたかったです。
「如何されました?」
「顔が腹立つとかで、チンピラに絡まれました。御金渡したら帰って下さいました。」
「怪我ありませんか?」
「無いです。帰って宜しいですか?」
「気を付けて下さいね。」
私は小便撒き散らすのでは無いかと思う程怖かったと云うのに、二人に為ると妻は笑い出しました。一気に緊張が緩み、破顔します。本当に楽しそうに笑うのです。
「八雲、あんた…、何時から由岐城八雲ん為ったん?」
くすくす小刻みに肩を揺らし、頬を盛り上がらせます。
「知らん…、何時から為ったんかな…」
地面に横たわる紙袋、其れを三つ、私は拾い上げると、口元で拳固を作る妻の手を握りました。
「ほら、帰んで。」
「うん。」
「一人で出歩くな、もう。わいの心臓、よぅ持たん。」
「うん。」
「御帰り。」
「只今。」
一本の棒の様に互いの腕を繋ぎ、妻の靴音が近付きます。

――其れでええんか、茜。
――うん。あたしが帰る場所は八雲の“此処”やもの。

妻が舅に云った事を何故か私は思い出しました。
繋がる腕、私は其れを引くと、片腕で妻を抱き寄せ、額に唇を付けました。妻は嬉しそうに身を縮こませ、私の腰に両腕を絡ませました。
「今度絡まれたら最終奥義始めから噛ませや。」
「嫌ぁ。ふふ。」
「何で。」
「八雲が守って呉れるもん。」
ぶに、っと、大した肉は無いのに妻の頬の肉は、私の胸で潰れました。
「守るか、面倒臭い。」
「其れにですよ?あたし、卑怯な手ぇ使いたないんですよぉ。」
「はあ、すんまへんなあ、汚い手ぇ使こて。」
「八雲はええのん。」
「何でや…」
汚い男が今更そんな奇麗事云うても意味無いて?喧しいわ。
「八雲は如何やっても極道ちゃうもの、そんな人間がなんぼ組の名前使こても弊害無いもの。せやけどあたしはほんまモンやもの、笑ろて…済まされへんもの…」
妻の背中には朱雀がおります。此れは抗争で死んだ母親を忘れない為、如何遣っても極道である事に変わりは無く忘れない為、戒めの為に彫りました。
普通に為りたいから、斎藤の名前に為った。
普通の女に為りたい。妻はそう云います。
私の為に神戸迄行き、洋菓子三つ、選ぶ姿が想像されます。

――御嬢、菓子ならなんぼでも送ったりますよって。リスト送って下さいよ。
――ん…、ええのん。

紙袋ががさがさ、揺れ鳴いて居ます。




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