キー一つでデリート


パソコンが欲しい、と先生ぇに云ったら、「ほんなら僕のあげますよ」と一つ前の型のパソコンを貰った。一つ前の型と云っても、出たのは二年前ですから、機械音痴の俺に不便は無い。
然し。然しですよ、先生ぇ。
初期化位して、譲渡しましょうよ…。
良いんですかね、個人情報わっさわっさ出てますけど。
「偉い人ばっか…」
俺だから良かったもの、悪い人なら悪用されますよ。賢い人間だけが林檎を食べるとは限らないのだから。
「先生ぇて、こないな趣味持ってはんのんねん…」
ファイルが沢山あった。名前は付いて無くて、一つクリックしたら、美少年の画像がわっさわっさ出て来た。全世界の美少年の写真でも集めてたんだろうか。
先生ぇの趣味が判らんのも確か。
成る程、こう云う美少年が趣味なのですね。負けました。完敗です。助平な動画や画像が無いのが救いだった。
ほら、男のパソコンて、ね…?俺もよぅ人ん事云えませんので。
いかんいかんと思い乍らも、けれど初期化してない先生ぇが悪いので、細部迄見て遣った。メールもチェックしますよぉ。
独逸語、英語、日本語、流石の侑徒ちゃんでも仏蘭西語は読めません。
独逸語のメールは、独逸の医者が大半だった。医療器具の云々で糞詰まらん。
英語はううんと、一寸遊んでますね、先生ぇ。幼気な美少年を誑かしたら駄目ですよ。ネットセックス迄してますね、先生ぇ逮捕ですよ。一寸サド入ってるわな、先生ぇ。
日本語は、兄弟喧嘩が大半で、先生ぇの可愛い一面を知った。そして、心が抉れた。

――宗一、愛してるよ――
――知ってる――
――ねぇ、そっちの月は何んな?――
――奇麗ですね――
――奇遇だね、俺の所もだよ。今、昼だけど。俺が見る月は、ずっと奇麗だよ――
――時一――
――何?――
――愛してるよ、本当に――
――行き成り如何したの?――
――だからもう、止め様――

日本語だけど、送信先は独逸だった。先生ぇはどんな気持で此れを打ったのだろう。
辛気臭く為ったので、美少年でも愛で、テンション上げ様とファイルを開いたら、此れは酷い不意打ち、死体写真だった。益々、一層、どんよりした。死体写真とは語弊があるので、云い直そう、解剖写真だ。先生ぇの細長い指先が偶に映って居る。
先生ぇは、死体写真コレクターでは無く、美少年写真コレクターです。
「北欧の美少年は、まさに美少年て言葉が似合うなぁ…」
一見すると、俺が怪しい人物みたいだ。第一、俺の趣味じゃない。おっさんの画像は無いのか。済みません、俺、中年と云うか、老人に片足突っ込んだ様なおっさんが趣味なのです。
で無ければ、五十代の先生ぇ何かに惚れません。叔父の愛人なんかしてません。
「何や此れ…、兎…?もっふもふやんな…」
違うファイルには兎の画像があった。
「へぇ、先生ぇて、兎好きなんや。」
似合い過ぎて、鼻血が出そうである。あの優しい顔に兎、一寸此れはかなり可愛いですよ、妄想しただけでテンション上がります。動物が好きなイメージが無いだけ新鮮だった。犬が嫌いとはっきり云った、可愛いとは思うらしいが犬アレルギーなので嫌い。其れに“臭い”から嫌い。
確かに犬は、猫と違いかなり臭いですが。あの臭いはどっから来るんですかね。
先生ぇ自体はゴールデンレトリバーにそっくり。似てますね、と云うと「頭が良いって?褒めなや」と冗談を呉れた。
いや然し可愛いではありませんか。
すっかり目的見失った俺は、可愛い兎にすっかり絆され、妄想が止まらんのです。好い加減仕事をせな為らんが、兎が可愛い、怪しからん程可愛い。
机の上で、電話が震えた。一応初期化する前に要るファイルや連絡先が無いかを聞きたかった。後、パスワード。返事は“無い”。色気も愛想も全然無い。
初期化…するか…?
此の兎達(と美少年)がデリートされて仕舞うとは勿体無い。面倒臭いが地味に消して行く事にした。
消して行って居ると、ロックの掛かったファイルがあった。
若しや、若しや此れにやぁらしぃ画像や動画が入って居るのでは無かろうか。
メールに記載されて居たパスワードを取り敢えず入力。エラーが出た。次に先生ぇの誕生日、0222を入れた。矢張りエラー。ならば2220、此れも駄目。
四つの数字は、簡単に見えて案外難しい。
よくよく考えたらやぁらしぃ動画ファイルに鍵等、一人しか使わんのなら掛ける必要は無い。
先生ぇの周りで、鍵を掛けたい程の物。
撫でて居た黒子から手を離し、ゆっくり数字を入れた。
1、0、3、1、エンター…。
小さなファイルは広がり、先生ぇの記憶が画面一杯に写った。
パスワードが判った時点で打つのを止めたら良かった、兎の画像等散らばって居るのだから素直に初期化すれば良かった。
先生ぇの思い出なんぞ、デリートすれば、良かった…。
何で見て仕舞ったのか、顔を両手で塞いでも、一瞬で張り付いた其れは消えなかった。
パスワード1031、十月、三十一日…先生ぇの宝物の誕生日。
力の失せた手が顔から落ち、マウスに触れた。すると、画像が勝手にスライドされた。
「俺の、阿呆…」
見るんじゃなかった、貴方の心等。鍵を掛ける程の心なのか、鍵を掛けて迄閉じ込めたかったのか。
スライドされる彼の笑顔に、俺の口は痙攣した。

――もう、止め様、止め様、時一…――

彼の笑顔がスライドされる程、小さな無機質の活字が心を持ち始めた。
「嗚呼もう嫌…………ッ」
先生ぇも、頭を抱えたのだろうか。必死に涙を堪え、鍵を掛けたのか。
俺はマウスを払い落とすと其の侭椅子から滑り落ち、思い切りコードを抜いた。
うぅ…と云う小さな呻き声にも似た音を立て、パソコンは真っ黒な世界を俺に見せた。其の画面に映った自分の顔は、俺を見る時の父親そっくりな目をし、俺を見下して居た。
キー一つでデリート。
俺の不安感も、先生ぇの記憶と愛情も、ボタン一つで消えたら良いのに。
もっと云うなら。
「御前が消えはったら、ええのに…、ゲーテ先生…」
なぁ、ヴォルフ。




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