夫が怪しい


うちの夫(ヒト)に限って…等と良く聞くが、今まさにあたしは此の言葉を云いたい。
世間の奥様方は如何云う意味で用いるのは判らんが、あたしははっきり云う。
うちのおっさん、モテる要素が無い。
だって考えても御覧よ、あんな胡散臭さが服着てる様な男。女を喜ばす話術があるなら結婚詐欺位働けそうだが、其れも無い。夫と話す女は何故か皆引き潮と化す。セックス…は申し訳無い、あたしは夫以外知らんのだよ。身長…はまぁ高いが、だから如何したと云いたい。顔か?
其れなら充分。
然し性格で女が引き潮化する。
だったら職業か?考古学者の端くれだぞ。
酒も無理、趣味は読書、洒落気は皆無、出来る事は怒鳴る事。
此れの一体何処にモテる要素がある。だから云いたいのだ、うちのおっさんに限ってと。
とんでも無い変態女じゃなかろうか。
「声、じゃないのか?」
八雲の浮気で真っ先に疑ったのは美麗。御免。
「声だけは無駄に良いだろう、性格は最悪だけどな。」
何故同性愛者の美麗を真っ先に疑ったかと云うと、八雲を相手にする様な且つ八雲が相手しそうな女は、美麗しか居なかった。
もう一つある。
美麗の視線。
捕食獣の様な美麗の鋭い豹の目は、八雲を見る時其の鋭さを半減さす。紫の目でじっと見詰め、八雲が自分に向くと慌てた様に目付きを変える。
未だあるぞ。
我が家のソファで二人は手と手を取り合い、見詰め合い、一幸の悪口を云って居た。あたしは其れを、食卓の椅子に座り、ちびちび珈琲飲み乍ら観察した。ソファ座ってええ?と聞くと、猛虎の視線を貰った。
ーーー八雲って、手、大きいな。
ーーーそうなぁ、大きいっちゃ大きいなぁ。
ーーー良くこんなで細かい作業出来るな。
ーーー手先は器用なんよ。
なぁ、茜ちゃん、と胡散臭いやぁらしぃ笑顔を向けた。あたしは一気に顔が火照り、知らん知らんと喚いたが、八雲のにたにたも美麗のにやにやも収まらなかった。
ーーーへぇ。其れは其れは。
ーーー然もですよ、僕、舌が二枚あるんですよぉ。
ーーーほほお、其れは其れは。嘸、気持良いだろうな…?なあ?茜女士。
ーーー試してみますか、美麗小姐。
鼻息荒く八雲が詰め寄った所で、何であたしが浮気を疑ったか…元凶が鳴った。
テーブルに置かれる八雲の携帯電話がジャズのリズムを刻み、弾かれた様にソファから立つとあっさり書斎にすっこんだ。あたしのじっとりとした目は追う相手の居ない廊下を睨み、美麗は唖然として居た。
「何だ、アレ…」
電話なら此処ですれば良いじゃ無いか、マナー位ある、と美麗は紫に赤味を増やした。
「最近、あんななんよ…」
そう呟くと、まるで美麗がされた様に傷付いた目をした。
「浮気、か…?」
「やっぱそうよなぁ…」
世界を終わらす様な辛気臭い溜息を吐き、項垂れた。此の際倖せ全部逃げても良い、又盛大に溜息を吐いた。
美麗は眉間を掻き、溜息を飲み込むと自分の横を叩いた。
「来来。」
「美麗ぃ…」
白虎があたしにそうする様に、あたしは美麗の肉厚で豊満な太腿に頭を乗せ、すんすんと鼻を鳴らした。
「困ったなぁ、八雲。」
「そら…」
あたしみたいな女が嫁が嫌なのも、嫌々結婚したのも、今直ぐにでも離婚したいのも判る。其れで他に走る…ええ判ります。判るが、浮気を全く隠せてないのだから意味が無い。
「八雲ぉ。」
「何やねん。」
タイミングが良いのか悪いのか、名前を呼んだら時戻って来たのだから、さあ如何し様。さあ困った。
話題が無い。
あんた浮気してるやろ!と問い詰めれば、開き直りそっちに行く、もう見えてるからこそあたしはうじうじぐじぐじ喧しいのだ。
誰から?と聞いても怒りを買う、黙って居て怒り買う。何か話題は無いか、必死に無い頭動かしたが、八雲の機嫌は待っては呉れなかった。
「…何?何も無いなら呼ぶなて、何時も云うてるやろ。苛々するな。」
「御免…」
「わい、出掛けるしな。」
「えっ、何処に…?」
夕飯を美麗と一緒に食べると、約束したのに。
「…関係、無いやろ。」
其れだけ冷たく放つと、財布と車の鍵を持ち、「美麗 抱歉」と電話を掛け乍ら出て行った。
あたしはもう慣れて仕舞ったが、そうは美麗が許さなかった。自分を誘って於いて何事だと美麗の怒りが太腿から伝わった。
「何だ彼奴はッ」
「美麗…」
「八雲ッ、おい八雲ッ」
虚しいかな、美麗は裸足の侭玄関を出たが、八雲を乗せたエレベーターは降下して居た。鼻息荒く戻った美麗を宥めつつ、珈琲を出し、面白くも無いテレビを一分眺めた所で美麗の怒りが最高潮に達した。
「テレビも八雲も詰まんないッ」
「映画見る?中国映画の同性愛の奴。美麗、好きでしょ?」
「見る。」
画面に、濃霧に巻かれた美しい中国の山が広がる。其の山の産み落としの様な美しい娘達、結婚する迄は優しかった豹変した夫、頑固な父親。此の時代…とは云っても本の数年前迄、中国での同性愛は死刑に値した。此の映画は十年以上前の映画、密告された彼女達は当然死ぬ。濃霧に覆われる川を、ゆったり流れる。
あたし達は電気も付けず、ソファに座り、画面の彼女達の様に頭を寄せ、手を握った侭眺めた。時折白虎が足元を失礼した。
「我、日本に居て良かった。」
「うん。」
「茜女士となら、此れでも良いけどな。」
ちょいと美麗を盗み見た。気付いたのか美麗も視線を流し、そっと白虎の目を塞いだ。




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