妻が怪しい


わいには良く判らんのだが、世の中にはわい如き小童では到底理解出来ん事があり、云うのも妻に関する。
妻の何が良いのか全く判らん。
美人。其れは認める。本当に。関西某勢力が怖いとかちゃうくて。
唯なぁ…骨格、がなぁ…
何故にあんな細いのか、わいには全く理解出来ん。病気なら早よ実家にでも帰り、静養したら良いのに。そうで無いのだから始末悪い。日に日にけったいになりよんねん、ウチのオバハン。
おお、早よ死んだらええのに。離婚届けの代わりに、火葬届け出したるわ。
何て事は、口が裂けても云えませんので、黙って於きます。
細さに加え、日本女からすれば長身に値する身長を持って居る。
美人で細くて長身で…詰まり妻は、同性の羨望を一身に受けるのだ。
此れがわいには理解出来ん。
ええかぁ?あんな骨格標本の般若面。
わいが日本男で長身に値するからバランス取れるモノ、日本男子平均身長なら絶望やぞ。
加えてけったいな性格、ヒールしか履かんぞ?わいとあんま変わらんのやて。
未だあるぞ。
脳の作りがかなり男化してる。
詰まり茜は、男に全く媚びる性格では無く、其れ所か男を従える。主に関西某勢力を。あの男衆の中で育った茜が、気弱な一般男を捩伏せるのは赤子の手を捻るの如く容易いのだ。
ええい御前、いっぺん赤子の腕捩って来い。烈火の如く泣き出すから。其の時後悔しても遅いぞ。
美人で細く長身で、此の性格。
オマケに自分を美人と認識して無いのだ。実家が金持ちなのも加えて於く。
一見すると非の打ち所の無い女に見えるが、そうは問屋が卸さない。八雲さんだって許しません。
最高に料理が下手なのだ。
某国が我が国に落とした爆弾二発分のいいや其れ以上と云っても良い破壊力を持つ。生ゴミを食べた方が未だ“珍味”と云えるのでは無いかと思う程。
何と云うか、飲み込むのに苦労すると云うか、飲み込んでも居ないのに胃から何かが競り上がると云うか、涙目になると云うか、兎に角酷い。
何を如何したらこんな…何と形容して良いか判らない物を作れるのか知りたい。なので料理はわいの担当。此の若さで死ぬ訳にはいかんのだ、せめて胸を張って“考古学者”と名乗れる迄は。
何だ?茜はわいを殺したいんだろうか。
そう思っても仕方が無い。
其れ位目を瞑れ?
判りました、ええでしょう、瞑りますわ。わいも男です、腹括って料理位進んでしますわ。
けどですよ、酒乱なんですわ、此れが。
酒弱い癖に酒が好き何だから、始末悪い。
週に二回は、飲み屋に迎えに行く。タクシーで帰れ云うのは容易いが、なんせ酒乱、運転手を恐怖に叩き落す訳にはいかない、申し訳無い。
わいが全く電話に注意払わず仕事をして居ると、真夜中だと云うのにインターフォンが鳴った。真夜中に鳴る等普通では無く、恐怖と失禁堪え応答すると、何だ頼りない中年の男の声がした。
ーーーはい…?
ーーーあの、安全交通社ですが…
ーーーはい…?
瞬間、恐怖を憤怒に変える能天気な茜の「八雲しゃあん」が聞こえた。
ーーー茜ぇッ、すんません、ほんま行きますッ、ちょお待ってて下さいッ
真夜中だと云うのに廊下を走り、中々来ないエレベーターのボタンをがしがし押した。
二分程してエントランスに行くと、ガラスの向こうには、無理矢理笑顔張り付けた運転手に構う事無くへばり付き、ヘラヘラ至極愉快そう笑う茜が居た。怒りの余り開き掛けのドアーにぶつかり乍ら出、マッハの速度で茜の頭を叩いた。
ーーー阿呆か御前ッ、ほんま死ねッ
ーーー痛…
ーーー我慢せぇッ、帰ったらこんなんじゃ済まさんぞッ、ほんますんまへん御免為さいッ、立てや、おいッ
響く響くわ、真夜中のエントランスにわいの咆哮が。
ーーー私は大丈夫ですよ…あ、此れ鞄です。
わいが頭を下げる其の間でも茜は構いなしにわいにまとわり付き、受け取った鞄で身体を殴って遣った。
ーーーほんま鬱陶しいのッ、どうせ金払ろてないんやろッ
ーーーあ、代金は…
運転手が金額を云う前にしっかりと手に万札を握らせ、足ります?此れで足ります?と茜を引っぺがし乍ら聞いた。
ーーーいえ、貰ってるので…
ーーーええです、持ってって下さいッ、ほんますんまへん、ほら行くでッ、ほんますんまへん、申し訳無い…
ーーーあ、一寸…良いのかな…
ーーー歩けや、ほんま粗大ゴミやな御前ッ
うぅん、とドアーは閉まり、運転手の心配そうな目を背中にエレベーターに茜を押し込んだ。エレベーターの硝子に映る自分が一気に老けて見え、なのに茜は上機嫌に上昇する階を口に出す。
無言だった。無言と険悪な空気を最上階に到達させたエレベーターは静かに開き、わいは茜を無視して家に入った。わいの剣幕に目覚めた白虎が不安そうにわいを見上げ、ドアーが閉まる瞬間入って来た茜にお帰りと鳴いた。受け取った鞄を廊下に投げ捨て、時間を見ると一時過ぎて居たので其の侭寝室に向かった。茜は機嫌良く鼻歌鳴らし乍ら靴を脱ぎ、白虎しゃんただいま、とピンクの鼻先にキスすると、わいが投げ捨てた鞄を寝室に投げた。
仄かなオレンジ色の光散らす寝室に、茜が洗面所で特殊メイクを落としたり、歯を磨く音が響き、帰っても騒々しいんかい、とうんざりした時、投げ捨てられた鞄からメッセージを知らせる音がした。
其れも一度では無く、一分に一回の割合で。終いには着信迄あったので、嗚呼心配してんだな、煩いし渡そう、と鞄を手にした時、寝室に来た般若が氷結して居た。
「電話。とメッセージ。」
何故そんなに怯えた目で見られるのか理解出来ないわいは、首を傾げ電話を渡した。
「煩いから、音消して、わい寝るから。」
「あ、うん。」
心底安堵した顔で画面を弄り、一度寝室を出た。聞こえる小声、大丈夫と繰り返しあった。
「うん、うん…お休み為さい…」
疑問は当然。
「そんな、まともに話せるんやったらな、自分で上がって来いや。」
ベッドに入った茜に思わず漏らした。
だってそうではないか、あんなまともに話せるのなら、運転手に迷惑掛けず帰宅したら良い。
違う。
茜は実際に酔って居たのだ、運転手の手を借りる程。わいが鞄を手にする場面を見た瞬間血が凍り付き、酔いが吹き飛んだ。
「茜。」
「ん…?」
其の声は、不安定に揺れて居た。
「電話、見せ。」
「え?」
「ええから、貸せ。電話迄して心配するんやぁ、ほら、貸せ。」
従った、茜は素直に従った。受け取った電話、パスワードで暫く考えた。ロック画面の白虎が、黄色い愛らしい目を向ける。
最初に白虎の誕生日を入れたが認証しない、まさか自身の誕生日を入れる等幾ら阿呆な茜でもあり得ないし、わいの誕生日も論外、松山の誕生日か?或いは父親、母親、命日かも知れない。が、わいが知る訳無いので適当に八回番号を入れた。
「なあ、茜ちゃん。」
茜がわいと同じ考えなら、暗証番号の入力失敗十回で、全データを削除する設定をして居る筈だった。
強張る茜はわいを見、画面を見た。
「後一回、失敗したら、全部データ消えるぞ。」
「松山のカーナンバー。」
観念した様に早口で答え、まさか松山の車のナンバーとは考え付かなかったわいは、素直に其処だけは感心した。
「大きに。因みわいのパスワードは白虎の誕生日よ。」
開いた画面から一寸視線流し、何故に態々わいのパスワードを教えたか、理由の判る茜は益々項垂れた。
わいに、後ろめたい事は無い。
わいがパスワードを掛けるのは、紛失した時困るから。其れだけの、当たり前の理由。
五分程、見た。
「お休み。」
わいは其れだけ云い、茜に電話を返すと布団を掛けた。
クソ面白くも無い、男は全部実家関係者だった。後は全部女、先程の着信も女からだった。詰まらん事に怒りを使って仕舞った。お陰で寝付きが悪い。
本当に、本当に安堵する茜の息遣い。
矢張り、何かがおかしい。
が、相手にするのも面倒臭く、ベッドに知った重みに視線を向けた。濡れた鼻をわいの頬に擦り付け、盛大に鳴る白虎の喉音に睡魔が遊びに来た。
「茜。」
「八雲。」
呼ぶ声は同じだった。
「何?」
「八雲から、云ってええよ。」
「いや、ええわ。何?」
「そっち、行っても、ええかな…」
「……どうぞ。」
寝返り打つと、白虎が落ちた。剥いだ布団の中に茜と、白虎が滑り込んだ。
「お邪魔さん…」
「ほんま邪魔や。」
鼻先に知った茜の髪、茜の物で無い香水の匂いがしたのは、もう面倒臭い事だと思った。




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