ユダヤの血と忠誠心


「クラウス。御前を、少し独逸から離そうと思う。」
父親の言葉にクラウスは肩を揺らし、真直ぐに向いた侭言葉を待った。少しばかり反論が来るものと考えて居た総統閣下は首を傾げ、眉を上げた。
「理由は聞かないのか。」
「理由依り、其の言葉が父親としてなのか或いは総統閣下としてなのか、其れが知りたいです。」
クラウスと名前を呼んだ辺りは父親としてなのだろうが、聞かされた場所が総統室であった為、命令、と考えた方が自然である。
抑、此の二人に此処一年、親子らしい会話は無い。ヒラー元帥と呼ばれ、総統閣下と呼んだ。父さん、と最後に呼んだのは何時だったか、其れさえ記憶に無い。
絶対者の父親に、従順なる息子。
此の国に、彼に全てを捧げた者にある繋がりは、忠誠と民族性。肉親であろうが仲間であろうが、忠誠の下に人は人を売った。其れが此の国に生きる、アーリア人としての勤めと皆思う。親が子を売り、又子が親を売り、仲間内で嘘を流し合い、違う民族を襲い、此の国に忠誠を見せた。
「独逸から飛ばされる理由、私には判りません。」
「飛ばす等人聞きの悪い。事実上其の結果であろうが、私にそんな口を聞くな、ヒラー元帥。」
矢張り、命令であったのかと、クラウスは視線を逸らした。
「嫌です。」
机端を見た侭クラウスは消える様に呟き、一度強く瞬きをした。
「私は此の国で死ぬ。他の国で死ぬ等、アーリア人としての自尊心が許しません。」
死ぬ時は此の国とクラウスは強く思い続けて居る。虚ろな目で机端を見た侭のクラウスに総統閣下は息を吐き、椅子に凭れ同じ様に視線を其処に向けた。撫で付けた頭を何度も摩り、机に置かれるファイルを開くと一枚、クラウスに渡した。
「私の命令に背いたのは御前だ、クラウス・ヒラー。」
アーリア人としての自尊心云々云うのなら、今此処で潔く其れを見せろと、解雇通知を突き付けた。
一瞬にしてクラウスの頭の中は真白になり、ぐらぐらと景色が揺れた。左遷なら未だしも、アーリア人として誇って居た自尊心を削ぎ落とされた。
笑って居るのか泣いて居るのか判らない顔をクラウスは向け、然し総統閣下は椅子を回転させ、横を向いた。
「可哀相。」
ドアーの隙間から数本の指が覗き、其の中から笑う事が聞こえた。
「ヨーゼフを御前に与えたのは、間違いだったな。」
青褪めた顔で現れた時一をクラウスは眺め、総統閣下に伸び手の動きを追った。
「私は此処だよ、さあいらっしゃい。」
掴んだ時一の手を引き、肩を抱かれた時一は、見えもしない目でクラウスに向き、其の顔は笑って居た。
「軍服汚してくれて有難う。新しく作り直そうと、思ってたんだ。手間が省けたよ。」
「やっぱり御前か、私のワインを飲んだのは。」
時一の気味悪い笑顔をクラウスは睨み付け、然し、見えて居ないので大した効果は無い。総統閣下の機嫌を悪くさせるだけだった。
「御前がヨーゼフを愛してるのは痛い程判る。けれど、愛は脅迫する為に使ったら駄目だ。」
目の前に居る人間が、一体自分に何を云いたいのかクラウスは判らず、自分の解雇理由と繋がらなかった。
「総統閣下、仰って居る意味が良く…………」
「ヨーゼフは私の物だ。私の、親衛隊だ。御前の物では無い。」
クラウスの言葉は遮られ、捲し立てられた。
「出て行け。即刻独逸から姿を消せ、薄汚れたユダヤ民族が。一応私の息子だからな、追放にしてやろう。」
突き付けられた言葉にクラウスは力が抜け、聞こえた言葉に時一も驚きを見せた。
「ユダヤ、民族…?クラウスが…?」
時一の言葉には誰も答えず、呆然と総統閣下を眺めて居たクラウスは入って来た親衛隊に取り押さえられた。絶対に嫌だと、子供みたく机にしがみ付くが数人の力には勝てず、頭を床に叩き付けられた。
「違う…。俺は、生粋の…」
金属の擦れ合う音、良く聞く音だった。
「アーリア人、だとでも云うのか。まさか御前、母親を忘れた訳ではあるまい。」
クラウスの母親は、確かにユダヤ民族の血が入って居るが其れは、何代も前の一度だけの話であり、クラウスも母親も其の又上も、如何から如何見てもアーリア人である。然し、一滴でも許しはしない、根絶するべき血。
「ユダヤ人は、嘘が上手いな。御前の母親も、そうだったよ。俺を騙し、最後は裏切った。」
御前は全く母親と同じだ、そう総統閣下はクラウスに背を向け、壁に貼って居るハーケンクロイツを眺めた。
心臓が破裂しそうな程脈打ち、口が渇く。捲り上げられた腕にクラウスは泣き乍ら暴挙を謝罪し、其れだけは嫌だと、懇願した。
「父さん…父さん…。御願い、止めて…。俺は…………」
消え掛けたクラウスの声は、部屋の外に突き抜ける悲鳴を発し、腕から立つ湯気が霞んで見えた。爛れた皮膚が焼き印に伸び、自分の腕に浮いたユダヤの章に涙しか出なかった。
「あーあ。」
クラウスが何をされたのか、微かにした肉の焼ける臭いで判った時一は間の抜けた声を出し、裏切り者には徹底的な制裁を下す、総統閣下とアーリア人の掲げる信念に身体が震えた。
肉親でも容赦無い、其れが独逸。一体今迄、何百と云う家族が同じ目にあったか。
「総統閣下、万歳。」
右腕を突き出し歪に笑う時一に、クラウスは下唇を噛み締めた。
忠誠さえ見失なわなければ、アーリア人として存在出来る事を改めて確認した。




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