二人の時一、一人のヨーゼフ


七月十日、私は其の日、彼の髪が一晩で灰色になった事を聞かされた。
合併症が原因だろうと宗一さんは考え、私に伝えた。
私は何処かで知って居た。
幼い“彼”が、彼を消す事を望んで居る事を。
合併症は二つの人格が互いを殺し合う過程で、結果は引き分けと見えた。黒目に黒髪は“彼”、しかし独逸語とヨーゼフと云う名前に反応する所を見ると、其処は矢張り彼なのだろう。若し“彼”が勝って居たとするのなら、独逸語にも名前にも反応は無い筈。彼が仕切りに「声がする」と云った在れは、彼を殺そうとする“彼”の声であり、ベッドに頭を打ち付ける行為は彼の“彼”に対する抵抗だった。
精神科医が二重人格とは、何とも御笑い草であると、私は思う。
彼の主人格は木島時一、“彼”である。生まれた時に存在する、自分達で形成して行く人格。私達大概の人間には、此れしか人格は存在しない。
そして今現在、何の不思議も無く存在、生活して居たのは、交代人格菅原時一、独逸名ヨーゼフ・ゲーテ、彼である。
“ヨーゼフ・ゲーテ”は第三の交代人格では無く、私と出会い、そして恋をした交代人格の彼なのである。
“ヨーゼフ・ゲーテ”を完全な一人格と周りは混同し、多少の困惑を覚えるかも知れないが、交代人格が主人格の様に振る舞って居る為、傍から見れば、“ヨーゼフ・ゲーテ”が交代人格と思われて居る。
詰まり彼は、ずっと交代人格で過ごしてた事になる。故に彼には、“彼”の記憶もある。生まれた時から今迄の記憶は全てある。私達みたく。逆に主人格である“彼”の記憶は、交代人格に交代した“在の時”で止まって居る。
“在の時”とは、“彼”と彼の父親が死んだ時。はっきりと、“菅原時一になる”と彼が云ったと宗一さんは云う。
其処で沸く疑問は“彼”何時、彼を作り出したかになる。独逸に渡り、成長し、そして今居る彼。
“彼”が逃げ出したくなる程の記憶。
忌まわしき左顔面の包帯と義眼。
“彼”の“在の時の悲鳴”で、彼は形成された。
宗一さんの母親から潰された左顔面の代わりに“彼”は、全ての苦痛から逃れる為に菅原時一を産み出した。そして、主人格と交代人格が入れ代わる時は、在の発作。
彼は“彼”を認めて居ない。
出来れば自分が主人格になりたい、故に彼は、発作が起きると義眼を、“彼”をくり抜くのだ。
自分の為に、そして私の為に。
だって“彼”は、私を知らない。独逸語も周りが死んだ事も何も知らない“十歳の彼”。其れは彼にとって、途轍も無い恐怖なのだ。
私との出会いも、愛し合った日も、娘の事も何もかも知らない“彼”。宗一さんと別れた事も知らない“彼”。
其れは彼にも“彼”にも、不都合な現実なのだ。

「やっぱり、義眼を、青に戻そう。此の侭行けば、人格が交代する。」

宗一さんは在の時、全く勘違いして居た“ヨーゼフ・ゲーテ”を消す積もりで黒目の義眼を埋め込んだのだが、“ヨーゼフ・ゲーテ”を消すと云う事は彼も消えると云う事。今更知った、重大な過ちに、宗一さんは焦りを見せた。

「“彼”が勝った場合、時一さんは、如何なるのかしら…」

聞いた私に宗一さんは二人の未来を云った。
一つは“彼”が完全に存在し、行き成り見た現実に精神状態が追い付かず、心臓が停止する。

「もう一つは、そうなる前に、時一が時一の侭、“木島時一”諸共死ぬ。」

結局、彼も“彼”も、存在する事は無いと云う。
そして私はかなりなエゴイスティック。
“彼”では無く、彼が死ぬ事を望んで居た。
だってそうでしょう。
私は彼を、愛して居るのだから。
他人の“彼”が彼の身体で死ぬ事、認める訳にはいかないもの。




*prev|1/1|next#
T-ss