公爵はサディスト?


机に置いた筈の本が見当たらない事に雄一は気付いた。自身の著者では無く、同じ作家で友人の本である。新刊では無い、随分と昔に発行された物だ。
其の作家の名は神藤有一、偶然にも漢字は違うが名前が一緒だった。なので友人に為ったのかも知れない。
雄一の師と神藤の師は此れ又偶然にも一致し、其の師が酒の席で「おいユウイチ」と呼んだ所、二人揃って顔を上げた。酒が入って居るとは云え、師の頭はしっかりして居る。又、双方を呼んだ事も、声掛けした時も今も把握して居る。然し、「ユウイチ」と呼び、揃って頭を上げた事で果たして自分が何方のユウイチを呼んだのか、横に居る作家に目を向けた。
「俺は今、どっちの話をしてた…?」
「あー、とな…んー…」
師の友人の作家は酩酊し、師との会話さえ覚えて居ない。
「いいや、悪い。何でも無い…」
ばつ悪そうに師は苦笑し、酒を口に付けた。
二人は、此れが初顔見せだった。
「先生、入られましたかな。」
薄い唇に焼酎の入るグラスを付けた神藤が笑う。
入られましたかな、とは痴呆である。酒では無い。
「まさか。」
熱燗を煽る雄一も笑った。
「神藤、有一です。」
「あ…」
名乗り返すのを忘れる程の衝撃だった。神藤は、加虐的な内容で有名な官能小説家だった。性的肉体描写がてんで駄目な雄一は、何か真似れる物が無いか一度読んだ事あるのだが、衝撃しか得られ無かった。
余程の変態爺に違いないと信じ、然し其れが、此の目の前に居る、憂い帯びた男の本性なのかと、又衝撃した。
雄一がそう思う様に、神藤も又、雄一の名を聞いた時、薄い口を開いた。
「嗚呼、心理描写の達人。」
神藤の本は、肉体的性的な描写が狂いも無く陳列する。詰まり、ポルノ映像を侭活字にしただけである。男の心理描写も女の心理描写も無く、行為と景色が流れて居た。
ポルノ映像が活字化しただけの物だから、売れはする。だが、雄一の様な小説を書けと為ると「うふふ」と笑って逃げて仕舞う。雄一が肉体的描写を書こうとすると思春期の妄想と同じに下劣な物に為る様に。
「教えて下さいよ。其の、心理描写を。」
少し頬を高陽させ、神藤は云う。
「いやいや私も…」
著者の欲望を活字にしただけで、何故こうも読む側の欲も爆発させれるのか。見習いたい程である。
反対に云えば、男は誰しも、少なくとも神藤愛読者には同じ欲望が存在すると云う事。現実では出来無い情事を、男達は神藤の本に重ねた。
其の酒の席で、互いの本を交換し、其れから交遊が始まった。
其の本が、見当たらないのだ。
朝読んだ後、原稿用紙の横に置いた。其の後日を過ごし、さあ続きを、とした矢先、無い事に気付いた。清人が一度覗きに来たが、然し清人は雄一の物には触らない。特に、机にあると為れば…
だったら折か、そう思うが在の活字の行進に蕁麻疹を覚える折が自ら進んで本を手にするとは思えない。
雪子の事は、頭には無かった。
「良いか。」
昨晩の夢に神藤が現れ、酒を飲んだ。一体何の話をしたかは覚えて居ないが、夢でだが五年以上振りの友人の姿に懐かしさ溢れさし、読み返してみるかと出した。今無いと困る、と云う代物では無いのだ。
無いと困るのは煙草、其れだけだ。
本と同じに、煙草も机から姿を消した。此れはきちんと、行く末把握して居る。朝くしゃくしゃに丸めた。散歩に出た時買うか、買い置きもあるし、と部屋を出た。
然し其の日、朝窓から見た空と昼間見た空は様変わりした。
雨が降って来たのだ。
何が何で散歩に出泣ければ死んで仕舞う、と云う作家とは違い(師だが)、出来無いなら出来無いで良いと部屋に戻った。
其れが、半日前、昼時の話である。
そう云えば、其の時本の事に気付かない所を見ると、昼迄は机にあったのだろう。
今は夜の九時だ、規則的な清人は一時間前に寝て居る。
買い置きの煙草は確かにあった、あったが雄一が次書斎に入り腰を落とした時、其れももう残り少なく為って居た。
作家の煙草消費量を、甘く見て貰っては困る。
三本で一晩、………持つ筈が無い。
此れが唯寝るだけなら何とか持たせられるが、原稿を進めなければ為らない。〆切りは、一ヶ月も無い。
渋々折の部屋に向かい、猫と遊ぶ背中に聞いた。
「煙草あるか?」
「棚にある。」
雄一を見もせず折は持って居た猫の遊具を棚に向ける。浮島より一回り小さい黒が、両手で追った。
十本入りの箱を二つ、ココア三杯で手を売った。
残って居た三本は一時間で消えた。日付が変わる少し前には、貰った箱の一箱半分が消えた。
三時間で二十枚、ハイスピードである。
続きは明日と万年筆の蓋を閉め、背凭れに頭を乗せ、天井に向かい紫煙を吐く。在の本は何処に行ったのか、余裕が出来ると又考えた。
大事な本ではあるが、無いなら無いで雄一の人生に支障は無い。神藤とて、友人だが、互いの本は交わした本一冊しか読んだ事が無い。
分野が違い過ぎるのだ。
雄一の文体が“純白”と色に例えられるのなら、神藤の文体は“暗黒”なのだ。
二人が合作で書けば、其れは凄い作品と為るだろう。昼は淑女、夜は娼婦―――二人の文体はそんな関係である。
互いの凄さは認める、然し、進んで読む事はしない。極端な話、推理作家が恋愛小説を読んで、話を進め様とするのに近い。
書斎の電気を消した雄一は寝室に向かい、少し開いたドアーから琥珀色の明かりを見た。
雪子は、未だ起きて居た。
静かに開くと、雪子は俯せで本を読んで居た。
「目、悪く為りますよ。」
「あら。」
もうそんな時間かと時計に目を遣る。日付が変わった事を知った雪子は少し移動し、雄一が寝そべれるだけの空間を提供した。
「何の本ですか?」
「何かしら。」
読んでは居たが、著者の名前を知らない雪子は表紙を見た。
あった。
雄一の探して居た神藤の本は、雪子の白い手に握られて居た。
「雪子さんでしたか…」
「御免為さい勝手に…、一寸惹かれて…」
インモラル―――一人の男が二人の女に翻弄される在り来りな設定の小説だ。男は既婚者、真面目だけが取り柄の様な詰まらない小学校教諭で生徒からも馬鹿にされ、妻は傲慢なサディスト。其れはベッドの中でも変わらず、男は真面目に取り組み、妻は時に男を虐めて愉しんで居る。其れが、教え子の母親と知り合い、男の内為る加虐性が噴いた―――とまあ此処から神藤の本領発揮の文面に為るのだが、妻の加虐性は一種の病気で残虐的、読んだ雄一は前妻を考えた。思わず「妻のモデルは、私の妻だろうか…」と、神藤に聞いて仕舞った程だ。
そんな、官能作家を代表する神藤の本を「一寸興味そそられたから」と手にした雪子、そして内容を知っても読み続けて居る度胸に、雄一は感服した。
云える事は一つ。
「神藤ワールドへようこそ…」
余り来ては貰いたく無いが。
雪子は本を閉じ、雄一を並んで枕に背中を預けた。
「シンドウって読むのね。」
「何だと思ったんですか…?」
「カミフジアリイチさんかな、と。」
「違います、シンドウユウイチです。」
「あら。」
同じね、と云いたげな雪子の目。
雄一は雪子の薄い、神藤の顔に似た繊細な手から本を取ると、ぱらぱらと捲った。
「あは、あはは…」
強烈な描写に笑って仕舞った。
雪子には些か刺激が強いのでは、と思うが、雪子は此の本の主人公より十ばかし歳が上。かなり人生の経験をして居る。然も前夫が在の木島。暗黒の神藤ワールドも、生温い餓鬼の御遊びと思われて居るかも知れない。
「私ね。」
「はい…?」
噴いた男の加虐性描写に雄一は気分悪くして仕舞った。
此の本を手にして八年余り、今頃気付いたが、雄一は其の類をはっきり見せ付けられるのが苦手なのだと知った。自身の文面に其れが無いのが何よりの証拠だが、描写が苦手なだけだと信じて居た。
「おかしいのかしら。」
「神藤愛読者には為らないで下さいね…?」
「違うのよ。」
「違う?」
此の本は、序盤から生々しい性描写がある。雪子は何とも思わず読み続けたのだが、ふっと手水に行った際、気付いて仕舞ったのだ。
雪子は其の事を恥ずかしそうに、小さく云った。
「その…吃驚したの…」
「私も最初読んだ時は。」
「違うの、その…」
話に驚いた訳では無い。読み、確かに反応した肉体に、雪子は驚いた。
濡れて居たのだ。
用を足し、塵紙で拭いた矢先、ずるんと滑らかに手が動いた。何時もなら紙の不愉快な感触を知る筈なのに、落とした卵を塵紙で掬う感触を覚えた。
え?、と、月物が来たにしては違う、はて何だろうと見ると、塵紙にへばり付いて居たのは紛れも無く愛液だった。透明な粘着性の液体が、ぬらぬらと塵紙の上で光って居たのだ。
其処で雪子は、恐る恐る秘部に指を伸ばすと、其処はじっとりと濡れ、指を飲み込もうとした。恐怖に駆られた雪子は慌てて指を引き、丹念に手を洗ったが、見た光景は洗い流せ無かった。
身体が熱いや秘部が反応する、等は全く無かった。在れば興奮もするのだが、普通に読み続けただけに、しっかりと反応した己の欲深さに恐怖した。
聞いた雄一は唸った。
「ええと…」
神藤の本を読み、勃起した事無い雄一は何と返して良いか迷った。
「素直で、宜しいんじゃ、無いでしょうか…」
「本当?普通?大丈夫?私、変じゃない?」
官能小説読み秘部濡らす女等、変態か淫乱に違いないと自身を恥じた雪子は、何も考えて居ない雄一の言葉に表情を明るくした。
良かった、と枕から背を離そうとした雪子の手を、雄一は握った。
「濡れたんですか?」
「もう、止めましょう…?」
「悔しいですね。」
自分の愛撫で濡れるなら未だしも、活字だけで雪子の性を刺激し、反応させた神藤に嫉妬した。男としても、同じ物書きとしても。
「先程迄。」
掴んだ手を引き、雪子をすとんとベッドに寝かせた。
「読んでらっしゃった。」
掴んで居た手を離し、片方の腕で肩を抱くと、其の侭手をネグリジェの下に忍ばせた。雄一が何をするか知った雪子は両手で雄一の手を阻止したが、力は強い。
「駄目、触らないで。」
腕の中で抵抗見せるが虚しい物で、両手に力が入る程雄一の加虐性を刺激した。
「私は如何やら、作中の男と、同じな様です。」
秘部に滑った雄一の指に、雪子の肩は強張った。
驚いたのは雄一だ。何時も以上に濡れ湿り、其の愛液は尻に迄流れて居た。体勢を何度も変えたのか、秘部の頂に佇む陰核迄濡れて居る。
雪子は、元から被虐体質の女だ。で無ければ、木島の妻等に為ったりしない。
支配され、貪る様に肉体を愛でられる事が雪子は好きなのだ。
「はしたないな、雪子。」
耳元で囁くと、雪子の鎖骨から顔はばっと朱肉色に染まった。
―――はしたないね、ユキコ。
作中の台詞にあった。
神藤は人物名を片仮名で表記する。“ユキコ”とは、主人公の性奴隷…生徒の母親の名である。
雪子は若しかすると、ユキコと自分を重ねた。故に尋常で無い濡れ方を見せる。
濡れは見せるが、陰核の反応は無い。
然し。
指先に知る水気に、雄一は息を吐いた。
「此の濡れ方、男には堪らない物があるな…」
雄一が触れ始めた矢先、愛液は溢れ出した。音を出し、蜜壺から液を出した、
陰核に指先が触れると、雪子の足が跳ねた。其の足が雄一の下腹部に辺り、轟々と猛る其れを知った雪子は顔を塞いだ。
「恥ずかしい…」
「今更何を。」
顔を塞ぐ雪子の手を勃起する陰部に宛がった。白い肌は益々高陽し、然し、雪子の口からは全く別の言葉が出た。
「私ね、思ったの…」
「何を?」
熱持つ其れには、雪子の手の冷たさは気持良い程だった。
「在の本を読んで、濡れて仕舞ったでしょう…?不思議だったの。」
「不思議?自然じゃないか。」
女に全く性欲が無い訳では無い。云うなら女は、男よりも深い場所で濃厚な性欲を持って居る。
「処女なら判るの…、悶々とした何かで…想像して…」
雪子が不思議に思ったのは、実際の性交を知るのに、活字で濡れた事だった。処女なら活字に、そうなのかしら、と思い巡らすだろう。然し雪子は男女の交わりを知り、尚且子供迄居る。活字よりも淫靡な事を知って居るのに、濡れた事が恥ずかしかった。
「知ってるから、尚、だろう。」
男が女の秘部を愛撫する場面で、処女は当然想像しか出来無い。けれど、実際愛撫された事のある女は、男の舌の柔らかさと熱さ、動きを知って居る。
陰核を舐める舌先は強く、舌全体では柔らかく、唇で挟まれると違った柔らかさで、蜜壺に侵入する指と舌の違いも歴然とする。
はっきりと頭に映像を流せるのだ。
男の匂い、興奮した息遣い、筋肉の弛緩、身体の重さ、声、そして強さ。
処女は所詮想像でしか無い。経験した女は、はっきりと其れを身体に染み込ませて居る。
こう考えると官能小説は、女が好む物かも知れない。
陰部から手を離させた雄一は一度ベッドに膝を付き、屈折する雪子の膝にキスをした。
「咽が渇いたから、此処で潤す事にし様。」
太股に走った雄一の髪に雪子の爪先はシーツに埋もれた。鼠蹊部を撫でる毛先の動きも、秘部をなぞる舌も、下からがっちりと胸を掴み頂を撫でる指先も、一つ一つに雪子は反応した。
「駄目、駄目よ…」
「こんなに濡らして於いて、良く云うな。」
秘部に篭った息に、息が漏れた。
「此処が好きか?其れとも、中が好きか?」
「判らない、判らないわよ…」
「云わないなら好きにするぞ。」
「好きにして…。貴方の好きにして、雄一さん…」
胸から手を離し、足を開いた。下からぞろりと舐め上げ、尖らせた舌先で陰核を揺らした。
陰核が揺れる度雪子の口からは短い喘ぎが聞こえ、蜜壺から液は溢れた。尻を伝い、シーツを濡らす程垂れる。短い喘ぎが一定の間隔で吐かれ続ける中で、開いて居た足が硬直し始めたのを雄一は手先に感じた。爪先に目を向けるとぎゅぅ…っと先に力を入れ、S字を描いて居るのを見た。
「イって良いぞ。」
「嫌よ、嫌…」
「そう云われたらイかせたく為る。」
「違うのよ…」
貴方と一緒が良い。
喘ぎに混ぜられた言葉に雄一の動きが止まった。
足と秘部から雄一が離れた事を知った雪子は余韻を散らそうと呼吸を繰り返した。
片方だけ上に向いた足、雄一の肩に掛かったのが判った雪子は息を止めた。
シーツに伸びる琥珀色の明かりが、二人の時間を照らした。




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