夫人


私の母は、第二夫人曰く“菩薩様”らしい。何時も柔らかい笑みを蓄え、妾のあたしに意地悪もしない、あたしが時子さんなら苛め抜くね、と。一方第三夫人は“人形”らしい。奇麗なべべ着て笑って座って、何もしはらん、心無いんやわ、と。
私は何方の見解も正しいと思う。実際母は、奇麗な姿で座って居るだけで、誰が何を云っても笑い、何もして居ないのだ。
母の事は大好き。だけれど、第二夫人も第三夫人も大好きだった。第二夫人のサバサバした性格も第三夫人の陰湿な性格も、全て大好きだった。
第二夫人で一番好きなのは、笑い声だった。あひゃひゃひゃひゃ、と不気味な物なのだが、其の声を聞くと面白く無い物迄面白くする。父は気違いみたいだと余り良くは思って居ない。けれど私は大好き。声を出して笑う大人が此の家には居ないから。
母は口を緩めるだけ、父は鼻で数回笑う、第三夫人は笑いもしない。大人は声を出して笑わないと思って居た為、第二夫人の笑い声は、かなり衝撃があった。
第三夫人で一番好きなのは、三味線の音色だった。踊りも歌も着物も話し方も全て、違う世界の物だった。衿を深く、其処から伸びる白粉塗った真白い首に私は憧れた物だ。
中庭で遊んで居ると大抵三味線と歌声が通る。其れを聞きたいが為に中庭に居たと云っても良い。聞こえると暫くして私は第三夫人の邸に行く。料亭の様な家は、私を楽しませてくれる。
庭先から少し顔を出し、見ていた。縁側に座り、三味線を弾く第三夫人は砂糖細工の様に繊細だった。皺一つ無い真白い足袋に真黒の着物、結い上げられた髪、其処は京都だった。中庭から数歩くだけで京都に旅行出来た。
「いらっしゃいなぁ、時恵ちゃん。」
無表情だが、母には無い優しさが顔にはあった。言葉の所為だろうと父は云うが、私は違う様感ずる。
そう思うのは、私は何時も琴を教えて貰って居た。優しくなければ、心底嫌う正妻の娘に琴等教えない気がする。寡黙な第三夫人は教える時もそうで、けれど厳しかった。
私は彼女達が大好きだった。
一人消え、又一人消え、私迄、此の家から消えてしまった。
何時か、此の奇妙な女達が完全に忘れ去られる時が来る。彼女達の子供迄死に、全て消える。其れは悲しい事かも知れ無いが、私は其れで良いと思う。




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