パズルピースの行方


人は、初恋をした人間と似た様な人間に生涯惚れて行くと云う。男が皆母親が好きで、母親の様な女を求めるのは、男の初恋は皆母親であるからである。女の場合は所謂早熟で、父親に惚れる前に違う男を好きに為ってしまう為、父親とは似ても似つかない場合が多い。
私の場合は…?
父では無い。此れも、父とは正反対の人間だった。
美しい漆黒の長い髪、厚い唇、細い身体、切れ長な目、地面に伸びる細長い足。
此れだけ聞けば女だが、正真正銘男である。
然し私は、女を好きに為る変態倒錯、所謂同性愛者。
全てを捨てて良い。
そう思ったたった一人の女は、皮肉な事に其の男に似て居た。
其の男の性格は知らない。だが見た目は良く似て居た。
糸の様に細い漆黒の髪、世間を馬鹿にし乍らも何処か調和したいと願う目、煙草を咥える厚い唇に其れ持つ細い指。全くに伸びる細長い足は不安定に、細い身体を支えて居た。

「如何したら良いの…。こんなに人を好きに為った事は無いのに、其れでも貴女は私を捨てるのか…?」
「ええ、そうよ…。本当に愛して居るの。だから此れ以上は、一緒に居られないの。」
「如何して?愛してるなら傍に居て。」
「私には、此の人生を捨てる事は出来無いの。」

愛した女は、人の妻だった。私と対して年齢の変わらない子供も居た。
海軍中将の妻で、気品も教養も誰よりも秀でて居た。
初めて彼女と関係を持ったのは十六歳の時。兄が海軍元帥と為った年で、父の葬儀の日だった。此の時から私の道は決まっており、数年すれば私も兄と同じに、正式に海軍の人間と為る。兄は十九歳と云う驚異の速さで海軍元帥に踊り出たが、勿論此れは、兄の力では無い。十六歳の時から、如何せ海軍学校に入っても行かないのだからと兄は父の傍で海軍が何たるかを学んだ。そして父は周りの反対を押し切り、兄を自分の後任と強制した。
面白く無いのは、中将だ。大将であり元帥である父が退くと為れば、大将の位置に来るのは自動的に中将と為る。其れを断固として拒絶し、抑、此の中将と父は仲が悪かった。絶対に兄を後任にすると、海軍史上最悪の派閥争いが起きた。
其の時、父の派閥に居た男が、私の愛した女の夫であり現海軍中将、兄の右腕だ。
此の男は、父の同郷の親友。幼い頃から連れ立ち、父が東京の海軍学校に行くと云った時、だったら自分も海軍に為ると付いて来た。そして二人で此処迄力合わせ上り詰めた。
彼には息子が居り、此れ又其の息子同士が親友と云う。
詰まり私は、昔から付き合いのある、母親同然な人に惚れた事に為る。
たった半年の関係だった。
けれど私には本物だった。
私達は、周りの人間を全て裏切って居た。
駄目だと云われても、彼女を愛した。そして其れが一番最初に知れたのは、彼女の息子にだった。
此れ以上は無理だと別れ話の最中、体調が悪いからと帰宅した息子に見られた。実の妹の様に思って居た親友の妹が、自分の母親を泣かして居る光景は、息子としては快くは無いだろう。何をして居るんだと聞かれ、何も云う事の出来無い私達に、息子は関係を悟った。
兄に殴られる以上に殴られ、然し此れは完全に私が悪いので甘んじた。殴られ乍ら謝罪を繰り返し、けれど、殴る事でも私が謝罪する事でも息子の気が収まる筈は無かった。
息子自身も、此の複雑な感情を何処に向けて良いのか判らないのだ。私は其れを充分理解し、少しでも晴れるならと受け止めた。
彼女を愛した罰なのだと、受け止めた。
止めてくれと腕を掴む彼女を、軽蔑孕んだ目で息子は睨み付けた。気持悪いと、たった一言残し、息子は家を出てしまった。
其れからだ。両家交えての修羅場は。
行き成り息子が家を出たと知った彼は、彼女に理由を問い質した。然し彼女は何も云えず、云える筈は無く、兄が理由を聞いた。そして私は、真実を知った彼にも当然殴られた。不思議と在の折檻しか能の無い兄からは殴られず、何故かと思ったが、兄は呆れ果て又私達の関係を上手く理解出来ず、おやまあ全く全く、そうとしか云え無かった。母は母で、私の相手が彼女だと知り、謝罪も忘れ呆然として居た。
「馨なら未だしも、雅…。女やないか…」
親友の子供と妻が関係したと云うよりは、妻の浮気相手が女であると云う事に彼は衝撃を受けて居た。親友の子で同じ不貞を働くのなら何故兄では無いのか、何故女の私なのかと、彼は頭を抱えた。
此れは息子も思って居た様だった。
「相手が女とか、そげん事はこん際如何でも良いったい…?何で雅なん…?」
息子の言葉に彼女は押し黙った。
私にも、何故彼女で無ければ為らないのか判らない。
判らない、判らない…。
何故彼女で無ければ為らないのか等、私には判らない。
在る日突然、気持が爆発した。其の揺れる漆黒の髪に、何かを思い出した私は、其れに動かされる様に彼女を求めた。
そして、愛してしまった。
パズルピースが埋まる様に、彼女と居る時は幸せだった。そして其のパズルは完成し、完成したパズルは、此れだった。殴られる度パズルは崩れ、完全に崩れた時、何もかも消えた。落ちた筈のピースは、何処にも無かった。
「申し訳無い…っ」
落胆する息子に、彼に、頭を下げたのは、母でも無く私でも無く、信じられ無い事に兄だった。在の兄が他人に、然も私の所為で土下座をして居た。
「兄上…?」
「申し訳無い…、本当に、本当に申し訳ありません…。佐々木様…」
私以上に彼等は驚愕し、母は信じられない物を見たと云う目で蒼白した。
「父の居ない今、責任を持つべき人間はワタクシだけ…。母に頭は下げさせません…。雅の不祥はワタクシの不祥…。申し訳ありません…」
長男であり兄である自分が気付かず此の様な結果を招き申し訳無いと、息子に無理矢理身体を畳から剥がされ様とも、兄は彼に土下座を続けた。
「馨…、馨なあ…、止めてくれんか…」
「止め無いで下さい…、此れは、雅の為ではありません…」
兄の言葉に、自分の浅はかさを痛感した。
何故彼女に惚れてしまったのか、何故彼女で無ければいけなかったのか、私は自分に聞いた。
「加納の人間として、父の顔に泥を塗る事は許されません。其れが誰であろうと、加納家の不祥事は全て、家長であるワタクシの責任です。申し訳、御座居ませんでした…」
そして兄は額を畳に擦り付けた侭、絞り出した声で、父に謝罪をした。
「申し訳無い…申し訳無い父上…。裏切って申し訳無い…」
腫れ上がった頬に、涙が流れた。
全身が悲鳴を上げ、痛みで朦朧とする中、私は頭を下げた。
「申し訳御座居ません…」
「貴女は引っ込んで居為さい…。貴女の様な人間に、頭等下げて貰いたくは御座居ません…」
兄は、加納の人間として家の不祥事に、父に頭を下げたに過ぎず、此の関係に謝罪した訳では無かった。私は其れを理解した為、謝罪した。
彼女に。
「御許しを…、貴女を愛した、其れが間違いだった…。私が貴女を愛したばかりに、貴女を傷付けた…。もう二度と、貴女に関わる事は致しません…御許しを…閣下…」
彼女を責める事だけは如何かしないで欲しいと懇願した。
全ては私が悪い。
彼女を愛したのは私。
全てを無くして良いと思って居たのは私だけ。
彼女の愛して居たものを壊したのは私。
だから絶対に、彼女に頭は下げさせはしなかった。彼に謝罪し様とした彼女に、貴女が謝罪する必要は何処にも無いと、事実そうなのだから、必死に止めた。
「…雅。」
「はい。」
「妻は許す。最も俺は、此奴が浮気したと云う事より、御前の…其の響譲りの無節操さに怒りが湧いてる。響ですら、俺の妻には手を出しはしなかった。してやられたよ…。二度と、俺達には関わらんでくれ。」
「仰せの侭に…」
「面を見せるな、と云いたい所だが、同じ海軍。来るなと云っても、御前は海軍に来る運命だ、無理に近いだろう。だが極力俺には近付けんでくれ、…加納元帥。」
「承知致しました、佐々木中将。」
「其れと…暫く此の現実と向き合う時間が欲しい…。一ヶ月程、休みが欲しい…」
「中将の、御気の済む迄。」
「いや、待て。下手すれば二三日で来るかも知れん。俺の席を虎視眈々と狙う奴が居るからな。」
「おやまあ。」
兄の言葉に彼は少し、一気に老けた顔で笑った。
「全くね…」
そして彼は額を押さえ、何でこんな事に為ったんだと、歎いた。
何故。
答えは一つ。
私が彼女を愛したから。唯、其れだけ。
彼の意向で、けじめを付ける為に、兄と同じ軍服を着る様云われた。兄は不服そうであったが、彼が云う様に私には安定感と責任感が無いと云う理由で、しっかり固める様に色違いの軍服を貰った。そう、海軍と云う首輪を付けられた。
然し、殴られた身体の傷は完全に癒えても、幾ら首輪を付けられて居ても、彼女を失った心は砕け散って居た。云う為れば此の軍服は、額だった。
其の額の中に、彼女と居た時の様に、四方に散らばるパズルピースを一つづつ、嵌めて行った。
一晩、一晩、ピースを集めて行った。

「本気には、為らないでね。」
「判ってる。雅は皆の物だから…」
「そう、皆の物だよ。」

此れで、在の時みたく傷を知る事は無い。遊びだと、口に出して仕舞えば、周りも自分も本気に為らない。
ピースが一つ一つ嵌まり、けれど不思議な事に、一つだけ見つから無かった。完全に一致するピース、此れは彼女では無いのかと、私は思った。
だから、完成させる事はし無かった。

「愛してるぜ、雅…」

何故だ。
何故何だ。
何故最後のピースは、彼女じゃないんだ…。
最後の一ピース、其れは、初恋の人だった。
完成したパズルは、軍服を着た“男装の麗人”では無く、自分の花嫁姿だった。




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