夢は夢でもナイトメア


二人っきりに為るのは、何年振りだろうか。第一、此の男が生きて居た事に驚いた。
薬物の不正横行、禁固二年だったらしい。良く其れで又軍に戻れたなと感心する。とは云っても、薬物前科を持つ俺が元帥等して居るのだから、人の事は云えないが。
最後に彼を見たのは、十九歳の冬、クリスマス・イヴの前日だった。
彼は二年の禁固刑、俺も二年、リハビリ施設に居た。同じ長さだが、其の間俺は無理矢理彼を忘れた。然し、俺から彼の存在が消える事は一生無い。無理矢理忘れた所で、完全に消えた訳では無いのだから。
俺に薬物前科があるのは、紛れも無い事実だから。
其れがある限り、俺は彼を忘れる事は無い。
忘れる事は無い――が、二度と会う事は無いと信じた。信じ切って居た。
再び出会ったのは三十六の時、約、二十年振りだ。ちっとも変わらない姿、赤味の強い栗毛、眠そうな目、俺を呼ぶ声で愛し合った記憶が、鮮明に思い出された。薄い唇から紫煙を吐き、何が面白いのか聞きたい程の笑顔で俺を見る。
ちっとも変わって居なかった。
「…奥さん、元気?」
彼は少し驚きで見開き、けれど一瞬で、背凭れに乗せた腕に顎を乗せた。
「知ってたんだ。」
俺に向ける事はせず、開いて居るのかも判らない目を床に流す。
「子供とか…」
「何でも知ってんのね。」
リハブに細君が来たのは伏せて居た。
彼は煙草を揉み消すと背凭れを持ち直し、俺に向いた。
「そっちは?」
「え?」
「息子が居るって、坊やが云ってた。」
「嗚呼。」
坊や、とは和蘭の陸軍元帥マウリッツ・ファン・オールドの事。人様ん家の第二王子を“坊や”と呼ぶ事に些か抵抗覚えるが、彼には当然、俺からも二十歳其処いらのマウリッツは“坊や”に見える。呼ばれる本人が拒否をすれば呼ばないが、気にする素振りも見せないので彼は坊やと呼ぶ。
「坊やってさ、俺の息子より年下なの。吃驚じゃない?」
マウリッツの年にも驚くが、彼の息子がそんな年齢に為って居る事に驚いた。写真しか見て居ないので正確な年齢は判らないが、六歳位だった。聞くと現在二十五歳らしく、本当に、マウリッツの方が年下だった。
「なのに、子供が三人居る坊やって凄いよね。俺、孫一人しか居ないのに。」
「孫っ?君、孫が居るのかい?」
「そうよ。娘が産んでる。年は坊やの一番上と一緒。」
「うわあ…」
「本当、うわあ、だよ。」
年は取りたく無いねえ、何て彼は云う。
年月は勝手に過ぎる、待てと幾ら云っても待っては呉れない。
「あっという間だった、此の二十年。」
「俺もだよ。」
「今朝の事みたいだよ。」
雪の降る在の日は、未だ俺の中では鮮明だ。動乱の結末の如く、俺達は繋がりを絶った。混沌とした世界に放り出され、創造された世界とは遮断された。
比喩通り、世界は爆発して仕舞った。
「二年、何してたの?」
俺は聞いた。
俺の二年と彼の二年は、余りにも似て居たから。
「禁固じゃない?だから、凄く暇だった。誰も居ないし、何も出来無いし、終いには発狂した。在れは駄目だよ、頭やられる。」
本当に、俺と変わりない二年だった。
「仕方無いけどね。」
彼は苦笑った。なので俺も笑い返して遣った。
「俺の人生目茶苦茶にした報い。」
「そうそう、ベイリーちゃんの人生目茶苦茶にした報いだって、大人しくしてた。」
「わあお、健気だねぇ。」
「…………本心よ…?」
昔とちっとも変わらない目。
そんな目で見られると、錯覚して仕舞う。
若しかしたらと、錯覚する。期待と云っても良い。
「…………そう。」
馬鹿な考えを切る様に言葉を吐いた。
彼が今更俺を愛してると云っても、素直に為れる筈が無い。俺はキースを愛してるから。愛してる…筈何だ。
彼の事は、本当に愛して居た。だからこそ、無理矢理にでも忘れ様とした。彼が俺にした行為は、誰からも許されない、自分自身が一番許せない。
一番ショックだったのは、許せないのは、彼が既婚者だった事。本当に愛してたから、母国に妻子が居るのが許せなかった。俺が其処迄、彼を理解して居なかった事を意味する。浅はかで愚かだった十代の俺、彼には一時の暇潰しにしか過ぎなかったのに、如何してこんなにも惚れて仕舞ったのだろう。
彼が俺の全てと、錯覚して居たのだろう。
背凭れから片腕伸び、俺に触れ様としたので思わず肩が強張った。そんな俺の姿に彼の手も又びくりと一動し、触れ様とした侭の形で宙に浮いた。
「触らないで…」
宙で止まる彼の手が二重に見える。俺は乱視だから、眼鏡を外すと物が二重に見える。キースが二人居るって倖せ、なんて時偶夜遊ぶ。
だけどおかしい、眼鏡を外した記憶は無い。
「Ne touche pas... S'il vous plat...」
レンズの下に彼の屈折した指が入り、二重に見える理由を教えて呉れた。
「俺、本当に、倖せだった…」
「うん。」
「嘘でも良かった…」
「うん…」
「悪夢で良かった…、悪夢でも良いから、ずっと夢見てたかった……っ」
「Henri...!」
抱き締められた瞬間、俺は咆哮した。
「御免、御免アンリ…っ」
「謝るなよっ、虚しく為るだけだ…っ」
「愛してた、本当に、本当に好きだった…っ」
「何で、何で…」
何で過去系で云うんだ………!
嫌でも俺達の関係が終わった様に思って仕舞う。
本当は、現在進行形で云って欲しい。今でも「Je t'aime,mon cheri」って云って欲しい。
「やっと…やっと忘れられそうだったのに…」
君が居なく為っても、身体はきちんと君を覚えてる。細胞一つ一つに君が染み込んでる。心が漸くキース一色に為りそうだったのに、君はこうして俺の心を、昔と同じに染め上げる。
君の存在はナイトメア、俺も又、そんな悪夢を夢見てる。
薔薇は朽ちても、存在が無かった事には出来無い。俺達の関係は、そんな感じに蓄積する。




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