深刻且つ


龍太郎が云った。
「なあ、拓也。」
「ん?」
「此の歳で…オカシな事じゃないか?」
主語を云って欲しかった。
「寧ろ…哀れ。嗚呼そうだ。其の言葉が似合う。」
哀れでも可笑しな事でも何でも良い。主語を頼む。
「………髪の毛か?」
「違う!髪は未だ!ほら見ろ!見事だろうが!」
「嗚呼、見事に薄い。」
「何!?何処だ!」
「嘘だって。でも気ぃ使えよ。御前、其の遺伝子持ってんだから。」
云われ龍太郎は父親の見事な輝く頭を思い出した。
「云うな…」
「いや俺はさ、親父の事あんま覚えてねぇから判んねぇけど、此の髪質はやばいな…見事に抜けそうだ…」
記憶の父親は、未だあった。が、定かでは無い。何せ、不摂生の化身なのだから。
「しかもな、性欲強い奴は禿げるって云うし…」
其の言葉に龍太郎は黙り、井上の両肩を鷲掴んだ。
「其の話何だが…」
深刻な問題。
男としてとても。



「最近…立たないんだ…」



呟かれた言葉に井上は号泣した。
「可哀相に…」
「だろう!?え?三十八はもうするなって事か!?なあ!年って云いたいのか!?なあ!」
「涙で何も見えねぇ…」
「老体って云いたいのか!?死んだ方が良いか!?死ぬのか!?」
龍太郎の取り乱し様。其れは決して大袈裟等では無く、真摯に受け止められた。井上が同じ立場になったら、迷わず死ぬだろう。
龍太郎も可哀相だが、其の妻、時恵も可哀相だ。三十其処いらの女は、熟れ始め、良い案配だ。其の身体を持て余す等。
可哀相以外の何物でも無い。
「御前は良いとして御嬢さんが可哀相だ…っ」
井上は涙涙で崩れ落ちた。
「医者に診て貰え…」
「い…嫌だ!恥ずかしい!」
「不能の方が男として恥ずかしいだろうがよ!」
どっちもどっちである。医者に、立ちません、と云うのが恥か、夫としての勤めを放棄するのが恥か。此の国の存続より大事な話である。其れはもう。
男が立たなくなったら世の中は終わるのだから。
「待ってろ…今菅原の宗一さんを呼んでやるから…」
云って井上は電話を取って、医務所に掛けた。若い時一では駄目だ。同い年の、多分悩んだ事のありそうな宗一を選んだ。元帥様が大変だ、其れだけ云って、菅原の到着を待った。到着と云っても、基地に居るのだが。
本の数分で菅原は姿を現し、其の顔は血相を変えている。
「何や、どないしてん。」
「日本は負けるかも知れん…」
椅子に座り、頭を抱える龍太郎の姿に、菅原は更に血相を変えた。
「何で?何でそないな事云わはんの!?病気なんか?癌か?結核か?梅毒か!?」
其の梅毒にさえ俺は掛かれないんだ、と龍太郎は溜息を盛大に吐いた。
「井上はん…」
一人泣いている井上に菅原は聞いた。其処迄深刻なのか。
「龍太…不能になったんだって…」
云って井上は又泣いた。愕然とする菅原。
陸軍元帥が、性的不能。
嗚呼、日本は終わった。そう思った。
「不能って?え?つまり、立たへん、云う事やろ?」
「皆揃って云うな!何度も何度も!」
何だか菅原迄泣けてきた。男として此れ程辛い物は無い。
菅原は一息吐き、真向かいに座った。
「えーっと、全然立たへんの?」
「嗚呼…」
「全然?全く?反応無し?」
「時恵の裸を見ても、何故か立たない…」
井上は嗚咽を漏らした。あんな素晴らしい身体を見ても何も反応しないとは、全く以って情けない。
「朝は?立つ?」
「全然…」
「嗚呼、あかん。深刻や。朝立たへんよぅなったら終わりや。」
菅原に、原因は判っていた。判っているが、其の原因を取り除く事は出来ない。
原因を排除する、即ち、元帥を辞退させる事。
元帥としての重圧がストレスになり、其れを引き起こしているのは確かだった。其れにもう一つある。いや、未だあると云っても良いが、此れ等の影響は少ないだろう。
時一曰く、本郷元帥は双極性障害。つまり、躁鬱病だ。
元帥の重圧は、龍太郎に二つの病を齎した。しかし、其れを今此処で云うのは、酷な話ではないか。不能で、精神疾患がある等。
「煙草。止めはったら?」
咥えている煙草を指す。其の言葉に龍太郎は菅原を睨んだ。
「だったら死ぬ!死んだ方がマシだ!」
煙草を止めて迄立たせたいとは思わない。其れなら一生不能で良い。
「せやなぁ…煙草無いとか、考えられへんもん…酒は?」
「飲めない。」
「ぶは。情けないわ。」
菅原は笑い、頷いた。此れは、自分だけでは無理だろう。生憎精神学は学んでいない。
「時一と、相談してみるわ。」
「何故だ。」
何故と聞かれても、菅原には答えれない。云ってしまったら、本当に一生立たない気がした。
御国の為に、頑張って。そうとしか、云い様が無かった。貴方の守っている国民は、そうやって耐えているのだから。
「仏様も、大変やな。」
菅原はそう云って、席を立った。




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