美少年と馬鹿女


「俺みたいな人間を、世間一般には、美青年と云うんだよ。判るか?馬鹿女。」
馬鹿女、そう云われた琥珀は、時一を睨んだ。
時一は、何故か琥珀の名前を呼ばない。何時も、馬鹿女、そう呼んでいる。最近其れに琥珀は不満を知る。誰が周りに居ても、夫である加納が横に居様が、処構わず、馬鹿女、そう云う。其れに対して、加納は何も云わない。加納からも、馬鹿と思われているのである。
全く全く。御可哀相に。
「でもさぁ、時一。」
時一の目に、琥珀は俯いた。時一に睨まれると、時恵に睨まれている様感ずるのだ。顔が似ているから仕様が無いが。
「大体御前、馬鹿女。何故、俺達を呼び捨てにする。」
達、というのは時恵の事である。龍太郎も含まれるのだろうが、時一には知った事ではない。龍太郎が此の馬鹿女に、呼び捨てにされ様が、罵られ様が、如何でも良いのだ。
「年上に対する口の利き方も知らないのか。嗚呼、やっぱり御前は馬鹿女だな。」
鼻で笑い、首を振った。
「じゃあ何て呼ぶのさ。」
琥珀とて、性格は良くない。宜しい性格をしているのだ。反論の口だけは、達者だ。
「年上には、さんと付けるのが正しいんだ。判るか?馬鹿女。」
「そんなの、知らない…」
「…はっ!本当に馬鹿だな。」
養父である井上。仮にも中尉の立場だった。礼儀位は知っている。
「一体学校で何を教わったんだ。御前みたいな馬鹿女が居ると、学校自体の品格が問われるな。」
「ねえ!其の馬鹿女って止めてよ!」
ばん、とテーブルを叩き、時一に詰め寄った。きちんと名前があるのに、何故呼んでくれないのか。不満である。
「馬鹿を馬鹿って呼んで何が悪い。」
「私には、琥珀って名前があるの!」
云われ時一は鼻を鳴らした。
「琥珀、ね。大層な名前じゃないか、ヴィクトリア。」
「ヴィクトリアって呼ばないで!」
正直、琥珀は、此のヴィクトリアという名前が嫌いだった。第一、何故時一が知っているのだろう。琥珀は怪訝な顔をした。
「兎も角呼ばないで!木島さん!」
そっちがヴィクトリアと呼ぶなら、こっちも其の嫌いな木島の名前を呼んでやる迄だ。
「俺は菅原です!」
「私は琥珀です!」
火花を散らし、二人は鼻息を荒く鳴らし、顔を逸らした。
「如何したの、時一。そんなに興奮して。血圧上がるわよ。」
珈琲を持って来た時恵が、うんざりとした顔を見せた。騒ぐのは構わないが、出来れば他の場所でして欲しい。今日は龍太郎も居るのだから。
「静かにして頂戴。龍太郎様は御疲れなのよ。」
窘める時恵に二人は縋り付き、其々の主張を始めた。
「時一が苛めるの。」
「馬鹿女が苛めるんです。」
さあ、困った。時恵はどちらも可愛い。どちらの味方をしようか、考える。
「時一が、私の名前を呼ばないの。」
「呼んでるだろう、ヴィクトリア。」
「琥珀なのぉ…」
琥珀だろうがヴィクトリアだろうが、どちらでも良い。今は加納琥珀となっているが、前は、井上・ヴィクトリア・琥珀だったのだから、ヴィクトリアと呼んでも問題は無い。
矢張り時一の味方になろう。其の方が良さそうだ。
「其れで時一は?」
「こいつ、年上に対する口の利き方もなっていないんですよ!呼び捨てにするは、木島って云うは、最悪な女ですよ!」
「其れは駄目よ、琥珀。年上を呼び捨てにしてはいけないわ。私は良いのよ、気にしていないから。けれどね、龍太郎様や時一は、貴女とは友達ではないのよ。」
時恵の言葉に、勝ち誇った顔を示す時一。ざまあ見ろだ、馬鹿女。そう云っていそうな顔である。
「其れにですよ姉上。」
未だある。
「此の馬鹿女、俺の事不細工って云ったんです。」
固まる琥珀。そんな事云った覚えは無い。言い掛かりも大概にしろ。何と性格のひん曲がった男だろう。
慌てて無言で首を振るが、時恵の顔が怖い。瓜二つの愛弟を不細工と云われた怒りは、無言でもはっきりと顔に表れている。
「待って?そんな事あたし云ってないでしょう?」
「いいや、云ったね。」
「何時よ。」
はっきりとは云っていないが、自分は美青年だと云った時、でも、と否定形を使った。其れを時一は云っている。
「違う、其れはね。」
「確かに御前は可愛いよ。けどな、姉上に比べたら、不細工だ!何て可哀相な顔だ!」
「聞いてよ!」
究極のナルシズム菅原時一。救い様が無い。其の時一に不細工と云った罪と傷は大きい。死刑に値する。
「時一が美青年なのは、判ってる。だったら、龍太郎は何て云うの?って聞きたかったの!」
大きな目に涙を浮かべ訴える琥珀。時恵は呆れ、時一は又鼻で笑った。
「本当に、馬鹿女だな。」
「ええ、そうね。」
何故だ。二人揃って龍太郎を不細工というのだろうか。そんな筈は無い。
時恵は溜息を吐き、虚ろ目をした。
「あのね、琥珀。龍太郎様は確かに素敵な顔をしていらっしゃるわ。」
「あんな良い男他に居ない。多分日本で一番恰好良い。其の次が加納さん。」
そう揃って褒めるのだが。
「青年では、無いわ…」
美男子ではあるが、美青年ではない。何せ龍太郎は、四十手前なのだから。三十八の男を、如何青年と云え様。
琥珀は泣いた。
どんなに男前だろうが、美男だろうが、眉目秀麗だろうが、青年には勝てないのだ。
年には勝てないのである。
「可哀相…」
「嗚呼、本当にな…」
其の声に三人は強張り、白目向いた。寝ていた筈の龍太郎が、ドアーに寄り掛かり、三人を見ていた。
「りゅ、龍太郎様…」
「悪かったな、青年じゃなくて。」
怒りを孕んだ声。紫煙を上げる姿が怖い。
「嗚呼、そうだよな。時一君も、加納さんも、美青年だ。何せ、二十代前半なんだからな。若いからな。」
冷たく笑う狼に、美青年は云った。
「大丈夫です!見た目は十若く見えます!」
しかし、其れでも青年ではないなと、龍太郎は泣いた。




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