修羅だって人間


櫻は極端に食事を嫌う。継母の香苗に対する嫌がらせだと、香苗本人も周りもそう思って居た。然し、良く良く考えて見れば、幼児期から旺盛に食べると云う事をしない。半分は必ず残すので、皿の大きさは変わらない。幼児の方が余程食べるので無いかと思う。
今日の昼食は、特に櫻は嫌った。
櫻は生野菜が大の苦手である。
テーブルに並ぶ生野菜のサラダに眉を顰め、席に着こうともせず馨に咎められ渋々座った。
嫌だな嫌だなと考え乍ら座り、馨の母親が膳に向かい頭を下げる。無言で四人は食事を進め、主食は櫻には良く判らない。伊太利亜のスパゲティらしいが、中々上手く食べれず、途中で、音を立てフォークを皿の上に落とした。高い音の様に馨の眉は片方吊り上がり、無作法です、と静かに云われた。
「済みません。」
「櫻は特に、西洋マナーを知りませんね。今度為さい。」
「はい。」
返事はするがフォークを持つ事はせず、黙って皿を眺め、馨の食事が済むのを待った。
「櫻ちゃん…、野菜だけでも…」
成長を考え云った香苗だが透かさず櫻に睨まれ、馨からは食事中に喋るなと咳払いの叱責を受けた。
香苗は、食事の時間が最も苦痛であった。無言で食事をする等何処の貴族だ、と思う程、苦痛である。実家では話し乍ら食事をして居た。其れを馨に「食事の時位、櫻ちゃんと会話をしたら如何ですか」「そうすると食べるかも」と云うと、「宴会でも在るまいに」「食事中に話す等野蛮な方ですね」と一言で終わった。馨の事は全く知らないが、前の婚姻時は母親と同居して居なかったと聞く。こんな狐面と二人切りで向かい無言で食べる等何の拷問だ、そら離婚もされる、と香苗は思った。
実際は違う。琥珀との時は加納家の仕来たり全てを破り馨は生活して居た。食事中に話す事は勿論、二人で晩酌しつつ肘を付いてだって食べた。加納家では食事中に酒を取る事は、食事に対して失礼だと云う事で、食前酒しか認められて居ない。飲む時は飲む、食べる時は食べると分けられて居る。代々白味噌の味噌汁を覆したのも、赤味噌が好きだと云った琥珀である。
寝る時もそうだ。一々琥珀が頭を下げ「御休み為さいまし」等云わず、「さあ寝るぞっ」「俺達は寝るぞっ」と布団に潜り込んだ。
出掛けのキスに、帰宅の抱擁。主人が帰宅しても気付かず、ぼぅと座った侭な時もあった。嫌な事があれば、大好きな父親の所に逃げ飛び、日中は時恵やらと遊び呆ける。琥珀の口癖が「すんません」に為り乍らも、惚れた馨の落ち度、完全に琥珀の遣りたい放題だった。最終的には、馨自体を捨てた。
香苗はそんな事知る由も無く、息の詰まる思いである。
皿の上を奇麗にした馨はナプキンで口元を拭い、水を飲むとサラダに手を伸ばした。
じんわりと、背中が湿った。
千切られたレタスの前に並ぶ、胡瓜とトマト、緑色の中で赤は主張される。
馨は、トマトが大嫌いなのである。
在の妙な酸っぱさと云い、舌触りと云い、種のぬったりとした部分や弾け方、ミニトマトに至っては此の世から消えたら良いとさえ思って居る。小さい故に弾け方が凄い。口の中で爆発をする。瞬間溢れる在の忌ま忌ましい味、種、怒りが湧く。一度「此れなら大丈夫でしょう」と食べさせた中将に「ほらほら、大丈夫なのでしょう」と無理矢理口一杯に詰め込んだ。中将は喉に詰まらせ呼吸困難に陥ったが、馨は素知らぬ顔で仕事を続けた。
馨の事を全く理解して居ない香苗は、馨が大のトマト嫌いとも思わず、何も考えずに出した。母親もまさか、そんな事を考えた事も無い。出された物を不満云わず全部食べる、其れが、母親の知る馨。
一人静かに冷や汗を流す馨の横で、櫻は無言だ。
「櫻…」
「はい…?」
「香苗の云う通り、野菜だけでも御食べ為さい。」
スパゲティは残して良い、代わりに野菜を“二人分”食べろ、と馨は皿を渡した。
加納馨は頭脳犯である。
唯でも嫌いな生野菜が倍に増え、櫻は吐きそうな顔で皿を見た。然し、馨の云う事が絶対な家で、拒否権は無い。
「判りました、」
渋々フォークを持ち、生野菜に喉を鳴らした。
赤、赤、赤いトマト―――。
櫻もトマトが大嫌いだった。
「然し父上、御願いがあります。」
「何でしょう。」
「此の赤い物体を、食べて頂けまいか…」
名を口するのも嫌だった。思惑の外れた馨は喉に声を詰まらせ「え…?」と返し、「此奴です、此の赤野郎」「赤は反国の色だ」とフォークに刺されたトマトに目眩がした。
食べろと云った本人が食べないのは筋が通らない。自分を見上げる娘と、トマトを口に入れ見る妻。馨は腹を括り、何、勢いで別の事考え食べ素早く飲み込めば問題無いでは無いか。父親の威厳たる物見せて遣ろうでは無いか。
「好き嫌いはいけませんよ、櫻。こんな物は直ぐ、口に入れて仕舞えば…」
自分に言い聞かせ、額に油汗滲ましトマトを口に入れた。息を止め、口を動かす馨を櫻は尊敬の目で見続けた。
「ほら、御覧為…………」
話したのが拙かったのか、鼻から入った空気は口の中で弾けた。トマトの味を知った馨は瞬間皿に吐き出し、舌を歯で擦り乍ら残った唾液も捨てた。奇妙な声で呻き散らし、スパゲティも出すのでは無いかと云う程、唸った。
威厳も糞も無く、トマトに悶絶する父親を眺めた。勇姿を見せる所か無様な様を見せた馨は、吐き出した事も忘れ蛇口に口を付けた。
三人はぽかんと、必死に口を洗う馨の背中を眺め、息子が何をしたかに気付いた母親は歪に変形したトマトにティッシュを被せた。
「櫻…」
「はい。」
タオルで口を拭い、皿を自分で流しに置いた。
「トマト等、食べずとも立派に為れます。」
「仰る通り、父上。」
トマト、と馨は云ったが、櫻のサラダは奇麗そっくり残った。
馨の食事が終わった事を知った櫻は、毅然とした態度で部屋に戻った。そうだ、トマト等食べずとも父上は偉大だ。父上、見事な吐き出しっぷりでありました。日記にそう書いた。
香苗は一つ、馨の事を知った。




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