好み


衝撃的な言葉を姉さんから聞いた。そんな事を真剣に聞かれても、俺は男で、教える事なんて出来ない。

「如何したら、御尻って大きくなるかな。」

困った。
此の姉さんからそんな事を聞かれる等、いや、抑女にそんな事を聞かれる等、初めてで、困った。
「さあ…沢山食べたら、大きくなるんじゃないですか…?」
「馬鹿っ」
馬鹿と云われた。そんな事を聞く姉さんの方こそ馬鹿だと云ってやりたいが、此の姉さんにそんな事は云えない。恐ろしくて云えやしない。
「余分な所に肉が付いちゃうでしょうっ」
「良いんじゃないですか…?別に…」
「馬鹿っ。此れだから龍太郎ちゃんはっ。女の気持が全く判ってないっ」
其処迄貶されて、判りたくも無い。
姉さんが多少太っても、…失礼。尻に肉が付く程ふくよかになっても、在の男は気にも止めないと思う。昔から、肉付きの良い女が好きだから。
「腰は細くないと駄目なのよおっ」
成程。
肉付きの良い女が好きなだけであって、太った女は嫌いなのか。
我侭な男だ。
そして。
其処迄して、在の男の好みの身体に近付こうとする姉さんは、いじらしさを感じる。其処迄する価値のある男なのだなと、俺は知る。
「一寸、立って貰えます?背を向けて。」
「こう?」
緩やかな曲線を描く背中から、細く締まる腰、そうして其処から又曲線を描く、其の身体のライン。
いや、待て。…大きくないか?尻。此れ以上大きくなったら、嫌だな、俺は。
「充分だと思いますよ。俺は。」
「そう、かなぁ…。あたし的にはもっと、こう、異国の人みたく。ないすなばでーを。」
「其れは無理じゃないですか?俺達は如何しても日本人なんですし。」
此れ以上、其の話に関わりたくない。
頬を膨らます姉さんは、正面を向いた。
嗚呼、そうか、判った。何故、尻も腰もバランスが良いのに、其れ以上を求めるのか。姉さんが云うないすなばでーで無いのは、尻の所為では無い。正面を向いて判った。
「胸が無いんですね。極端に……うわ、熱っ」
尻に対して、胸が無い。だからないすなばでーではいのだ。だからって、熱燗を掛ける事は無いんじゃないのか。姉さんの胸が無いのは、俺の所為では無いのに。
「人が気にしている事をっ。良くまあずけずけとっ」
酔ってる。此の人は完全に酔ってる。其れを知った。嗚呼、刺身が酒の味がする。
此の話題はもう止め様。俺の身が危険だ。
「然し、遅いですね、拓也…」
其の名前に姉さんは反応して、明後日の方向を向いた。
「龍太郎ちゃんが、今此処で、こうして魚を食べてるから、拓也の仕事が増えたのよ。」
何だ、其の棘は。話題を変えても攻撃を仕掛けてくるのか。
「嗚呼、可哀相な拓也。カアイソカアイソ。」
「誠に申し訳無い…」
親父の様に酒を飲む姉さん。尻の前に腹が出そうだ。然も其の天麩羅は、俺のです。海老。食べたかったな。
足音と話し声が近付く気配。其れが拓也だという事は、瞬時に判り、開くであろう障子に顔を向けた。
案の定、開かれた障子からは、少し機嫌の悪そうな拓也の顔が現れた。
「畜生てめぇ、此の野郎。殺してやる。」
第一声が其れか。親友に向かって。然し姉さんの顔を見たら、顔を綻ばせた。此の違いは一体なんだ。確かに仕事を頼んだ俺も悪いが、露骨過ぎるだろう。
「ああん、姉さん慰めてー。」
疲れ切った声で姉さんに抱き付き、鼻をする。御前、幾つだ。
「よーしよし、可哀相に拓也ぁ。馬鹿龍太郎の所為でねぇ。」
「くすんくすん。俺泣いちゃう。」
「甘やかすんじゃありませんっ」
…嗚呼っ怖い。其の目は怖い。姉の目というよりは、母親の目をしている。大事な我が子を苛める、俺は悪者。
「良いじゃないのよっ。元はといえば龍太郎ちゃんが拓也に仕事を押し付けた所為でしょうっ。可哀相にねぇ拓也。おー、よしよし。」
姉さん、其の胸の中に居る拓也の顔を御覧下さい。悪どく笑っていますよ。全く可哀相ではない。寧ろ可哀相なのは俺。
「ばーかばーか。御前の所為で俺が木島から怒られたじゃねぇかよ。」
「え?何故だ。木島さんは今日居ない筈だろう。」
「阿呆っ、銃撃隊と抜刀隊が訓練する、其処に木島が来ない訳無いだろうっ?訓練場に軍馬と共に御来朝っ。ちったぁ考えろよっ。然も監視官は俺っ。阿呆っ。姉さあん…」
余程嫌味を云われたのだろう、捲くし立てる様に話す。
「其れは、済まなかった。」
「もう良いよ阿呆。姉さぁん大好きよぅ。」
「んー、あたしも大好きよぅ。何て可愛い子なのかしらっ」
いや、此の男の何処が。髪は長いし目は不気味だし、如何見ても可愛くない。俺の方が可愛い。いや、俺は格好良い。
「拓也、飲むか?飲むなら頼むが。」
「…いや、良い。」
何と。本当に疲れているのか。何時どんな時でも酒を手放さない拓也が、酒を飲まない。此れは…病気ではないか。
「拓也…本当に大丈夫?」
「医者を呼ぼうか。」
「拓也が御酒を飲まないなんて可笑しいわ。」
「一寸、俺を何だと思ってるのよ。飲まない日だってありますよ。」
深い溜息を吐き、拓也は姉さんから離れ畳の上に寝転がった。こうして俺達が飯を食っている時に、拓也は働いていた。其れも嫌味を云われ乍ら。拓也の心労が嫌という程判り、俺達は黙ってしまった。
目を閉じ呼吸を繰り返す拓也は、何処か痛そうな顔をしていた。
「やっぱ耳痛ぇな。」
耳を押さえ乍ら身体を起こし、痛くない方の耳を塞いだ。
「どんな威力なんだよ、在の銃。」
耳鳴りがするのか、呟いた。そうして、卓に肘を付き、漸く何時もの拓也に戻った。酒を少し飲んだ。
「在の銃なんだ?豪いでかかったけど。ま、あんだけでかけりゃ音も凄いわな。」
うんうんと頷き、酒を飲む。完全に自分の世界に入っている。
「如何かしたのか?」
聞いた俺に、拓也は自分の世界から戻り、顔を顰めた。
「暴発したんだよ、木島の銃が。俺の真横で。」
「暴発…?一寸大丈夫?拓也。」
心配する姉さんに拓也は笑った。
「真横って云っても少し離れてたし、木島の声の方がでかかったなありゃ。其れで俺耳鳴りしてんじゃねぇの?」
道理で付かれ切ってる顔だ。
暴発。素人が触った訳でもあるまいに、ましてや在の木島。相当本人は驚いたに違いない。此れは少し見てみたかった。
「豪いでっかい銃だなって思ったんだよ。全体的にでかいんじゃなくて、筒が長かったんだよ。」
余程興味を持ったのか、饒舌になる。
「音も重かったな。」
銃の話をする拓也は、子供みたく目を輝かせ、強く拳を作ると震え乍ら笑った。
「何だ在の銃、目茶苦茶撃ってみてえっ。我慢出来ねぇ。気持ち良いだろうなぁ…。嗚呼でも、暴発したからもう無理か。ざーんねん。…嗚呼、マジで残念だぜ…畜生…」
其処迄拓也を魅了する木島の銃。姉さんが良い思いをしない訳は無かった。見てみろ、此の膨れた顔を。
拓也の為に尻をでかくしようと涙ぐましい努力をしているというのに。…此の男と来たら。尻より銃の方が良い。
「馬鹿っ、馬鹿拓也っ」
ばしばしと叩く。良いぞ、もっとやれ。話に付き合わされた俺の身にもなれ。
「痛っ痛いって。何。」
「あたしより木島さんの方が良いのねっ」
いや、其れは違う。完全に違う。木島の銃の話をしているだけであって、持ち主に興味も何も示していない。
「マジ?俺何時からホモセクシャルになった訳?吃驚よ。」
「さっきから木島木島ってっ」
云ってない。会話の中では数回しか出ていない。何と嫉妬深い姉さんであろう。矛先は完全に違うが。
此れはいかん。火が点き始めている。拓也の髪がぐしゃぐしゃだ。何とか話題を逸らす事は出来ないか。
「た、拓也。暴発って、何故起きたんだ?」
「え?嗚呼、其れな…っ。痛い痛い痛い…毛が抜ける…。髪で首を絞めないで…」
「木島殺す…」
馬鹿、俺の馬鹿。銃の話題を何故した。でも気になるんだよ、在の木島が銃を暴発させたのが。
「何か、其の銃な。安全装置が無いらしくて、ホルダーに仕舞おうとした木島がぁあ。首が…絞まる…」
「其の名を出すな、拓也…」
「ホルダーに…うぐ…ほ…る、ほるだっ…苦し…」
ホルダーしか判らない。其の前に、ホルダーって何だ。
「死む…。死むでしまうかもしれない…。助けてくれ、龍太…」
拓也の生死より、木島の暴発の方に関心がある俺は、結構酷い男かもしれない。
「其のホルダーから如何したんだ。」
「無視か…。俺が実姉に絞殺されそうなのに、無視か…」
「話を聞いたら助けてやる。」
「其の前に俺が死ぬ…」
自分の髪で実姉に絞殺されるとは、何とも可哀相な男である。尻の恨みは怖いぞ、拓也。
「も…良い…帰ろう、姉さん…。俺が死ぬ前に…」
「……そうね、帰りましょう。」
何とも切り替えの早い姉さんだ。嗚呼、何と顔色の悪い。此れが浮気の代償だぞ、拓也。尻より銃に心奪われた御前が悪い。
立ち上がった姉さんは、酒を飲み興奮した所為で一気に酔いが回ったらしく、拓也の背中に圧し掛かった。
「一寸、姉さんっ?」
「大丈夫ですか?」
嗚呼、此れも全て木島の所為だ。
「立てなぁい…」
「しょーがねぇなぁ…。龍太、濡れタオルと水貰って来てくれるか?」
抱え、姉さんの頬を撫でる拓也の顔は、娘を心配する父親の顔に見えたが、姉さんが笑うと笑うので、矢張り恋人同士にしか見えない。其の光景が、俺は何よりも好きである。
「そんなに興奮するからだよ。」
「だって拓也があたしを無視するから…。馬鹿ぁ…」
そして此の声。姉さんだけが聞ける甘い声。
「馬鹿は姉さんだよ。ないすなばでーが無くても、俺は姉さんが好きだよ。」
「聞いてたの…?」
「在れだけ喚いてたら、聞こえちゃうよ。」
鳥達みたく笑い、そっと唇を重ねる。俺は此の時程、此の恋人達が美しく見えた時は無い。
「ないすなばでーになるから待っててね、拓也。」
「今でも充分俺好みだよ。」
そうして、姉さん、とでは無く名前を呼んだ。世界で一番好きな言葉を、拓也は云った。姉さんの名前が、拓也は一番好きなのだ。其の言葉を云う声が顔が、俺は好きだ。
「負ぶって帰るわ。」
拓也の背中に姉さんを乗せ、二人は又唇を重ねた。
「帰ったら、其のないすなばでーを拝ませて貰うよ。朝迄ね。」
「ふふ、駄目よ、未だ発展中なんだから。」
「靴は履かないだろう。持って行くよ。」
そうして、立ち上がった拓也の身体に悲劇が起こった。
腰から嫌な音が鳴り、二人揃って畳に伸びた。
「何…してるんだ…」
「腰…」
「腰?」
其の腰に乗る姉さんを退かせ、聞いた。
「おい…」
「拓也…?」
「姉さん…御願いがあるんだけど…」
次に出た言葉に、拓也は馬鹿だと確信した。


「少し、痩せて…。腰が抜けた…。重い…」


一体誰の為にそうなったと思っているんだ、馬鹿拓也。
姉さんは当然、暴発した。




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