嘘でもつかなきゃ口寂しい
「りんちゃんのばか!横ハゲ!」
「は、はぁぁあああ!?!?」
六本木を仕切るカリスマ兄弟の弟こと、灰谷竜胆に横ハゲなどと暴言を吐けるのはおそらく東京都内で探しても私一人だろう。
兄の灰谷蘭は至極楽しそうに笑って、横ハゲ呼ばわりされた弟を庇うでもなく、ギャアギャアと言い合う男女を微笑ましそうに眺めていた。
ことの発端は竜胆の告白現場を見てしまったことによる○○の嫉妬だった。
かわいい嫉妬ですめばよかった。
文化祭のノリ、というやつなのだろうか。兎にも角にも、タイミングもシチュエーションも登場人物も何もかもが絶妙なバランスで良くなかったのだ。
生涯で数年しかない学生生活で限られた回数しかない文化祭という行事、折角なら彼氏であるりんちゃんと周ろうとりんちゃんのクラスへと向かった。自分のクラスの出し物は一日目の舞台のみだったので、二日目である今日は完全にフリーとなっていた私は浮かれていた。
りんちゃんのクラスの出し物は喫茶店だって言ってたなぁと思い出しながら彼のクラスへ向かうと、その向かう先から喧騒が大きくなっている。男子の囃し立てるような声と、女子のきゃあきゃあとした黄色い声。共通しているのはどれも色めき立っていることだった。
嫌な予感がしたものの、人の間からチラリと教室内を覗けば、人集りの真ん中にぽっかりとした空間。そこに向かい合って立つ男女二名。女子の方は男子から学年で一番人気の子。男子の方はというと、嫌な予感が的中して灰谷竜胆。私の彼氏だった。
「灰谷くん、私と一緒に文化祭回ってください…!」
顔を真っ赤にして、いかにも精一杯ですといった感じで女の子が竜胆に手を差し出す。
これはかわいい。女の私からしてもかわいいのだから、男からしたらかわいいがすぎるんじゃなかろうか。
だけどここで一つ問題なのが、この学年で私と彼が付き合っていることを知らない人間はいないということだ。ということは、彼女はそれを知ってのこの所業であり、囃し立てる周りもそういうことである。
「あ、いや…」
竜胆も竜胆でハッキリと断ることもなく口をもごつかせている。この態度は私を苛立たせるのに十分だった。
断りきれない竜胆に勝ちを確信したのか、女は上目遣いで再度「だめかな…?」なんてだめ押しを仕掛ける。心なしか竜胆の鼻の下が伸びているような気がして、いよいよ留まっていることができなくなった。
生憎私はここでただ傷ついて走り去るほどか弱い女子ではない。
人並みを掻き分けてぽっかり空いた場所へ顔を出す。
「楽しそうだね。ところで彼女は私だってこと忘れてる?」
にっこりと笑顔を貼り付けて二人の前に立つと、周りで囃し立てていた男子も黄色い声を上げていた女子もヒュッと音がするほど息を呑んだのが聞こえた。
女の方も少しばかり顔を強張らせているが、悪びれる様子はなさそうなのでこれは確信犯だろう。竜胆はというと顔面にヤバいという文字が見える。
「かわいい顔してるんだから人の彼氏に手出さなくても選り取り見取りでしょ。今回は許してあげるからさっさと引っ込みなよ」
女の方を一瞥するとそそくさと逃げ出そうとする。最後に「次、人の男に手出そうとしたらどうなっても知らないから」と忠告をすると、顔面蒼白になりながら何度も頷く。
これくらいでそんなにビビるならやらなきゃいいのに。
ひとつ息をついて竜胆に向き直るとバツの悪そうな顔をしていた。
「あそこまで言わなくていいだろ…」
「は?なに、かわいい子に誘われたのに私に邪魔されたから不服だったの?鼻の下伸ばして断ろうとしてなかったもんねぇ」
「ちがっ…!あいつはお前と違ってちょっとしたことで傷つく普通の女子だろ!あそこまで強く言う必要なかったんじゃねぇかって…!」
パンッと乾いた音が教室に響いた。とは言っても竜胆の二の腕を私が平手打ちした音だ。さすがにここまで最低なことを言われても人前で顔面を叩くのは気が引けた。
「りんちゃんのばか!横ハゲ!」
こうして冒頭のやりとりに行きついたのだが、今回私は絶対に悪くない。全面的に竜胆が悪い。
初めとは違う意味で形成されている人集りを掻き分けて教室を飛び出た。
見られるわけにはいかない。"ちょっとしたことで傷つかない私"は、私が灰谷竜胆の横に立つために自ら作り上げて来たのだ。いつだって涙を見せず恐怖心も傷心も見せないで竜胆の前では当たり前のように笑って、時には悪態をついてきたんだ。
だからこそ今私の視界を歪ませる涙は、絶対に見せるわけにはいかなかった。
「……ばか竜胆……!」
バンッと大きな音を立てて屋上へと繋がる鉄扉を開くと、ぐわりと広がる青空が全身を包んだ。
周りに遮蔽物がない故に地上よりも少しだけ強めに吹く風にぶわっとスカートのプリーツが広がり靡く。目に溜めた涙は簡単に攫われてほぼ横に滑っていった。
「りんちゃんのばか……」
背後でキィッ…と微かな音を立てて扉が閉まり、私の小さな暴言は空気に溶けていった。
「あーあ、怒らせてやんの〜」
僅かに間伸びした調子でうっすら笑いながら茶化す兄、灰谷蘭をじとりと睨む。
「兄ちゃん…ウッセ、」
幸か不幸か空気を読まないような言葉を放った蘭のお陰で、張り詰めていた周りの空気が幾分か和らいだ。
「見せもんじゃねぇぞ、散れ」
冗談半分本気半分で手をシッシッと振れば各々散り始めるギャラリー。
「ナマエだって普通のオンナノコだぞ〜?」
「……なに。何が言いてェの?」
兄との間に流れる空気にピリッとしたものが混じる。
「お前が考えな」
いつも兄の口許に湛えられている笑みを貼り付けたままするりと横を抜けられる。
すり足気味の兄の足音が廊下の奥へと消えていくのを聞きながらその場に蹲る。
「……クッソ!」
ガンッと手近にあった机の脚を殴っても、兄の言ったことはちっとも分からなかった。
ひとしきり涙を出し切りフェンスにもたれ掛かってぼんやり空を眺めていると、背後で扉の開く音がした。
「ナマエ〜」
「り……蘭、」
「竜胆じゃなくてごめんな〜?」
一瞬期待してしまった自分を心の中で殴った。
冗談めかして笑う蘭にふるふると首を横に振ると、蘭はそのまま私の方へと歩みを進めた。
「これやる。喉乾いただろ」
いつもよりも伸びない語尾と一緒に渡されたのは、ミルクティーの紙パックと細いストローだった。
「私が好きなやつ…ありがとう」
素直に差し出されたミルクティーを受け取ってストローで吸い上げると、スッと喉元を通り過ぎる冷たさが心地よく、涙で出てしまった水分くらいは潤してくれる感じがした。
「ナマエは竜胆のどこが好き?」
蘭の口から突如出た質問に、私の口からはミルクティーが出るかと思った。
「どこって……どこだろう?」
正直竜胆のことを好きなんていうのは当たり前すぎて、どこが好きかなんて今更分からないのだ。
「傷ついても気づかないような男なのに?」
「……そうだねぇ」
「俺なら気づいてやれるけど?」
「そうかもしれないね」
「俺にしとく?」
「ん〜」
やめとく。そう言おうとした瞬間、扉から飛び出してきた人影に思い切り引っ張られる。
あまりの勢いに手に持っていた青いパッケージのミルクティーは、ぼこんっとまだ中身の入った重い音をたててコンクリートに落ちた。ストローが刺さる空いた口からはミルクティーが音もなく流れ出す。
あぁ、勿体ない。まだ一口しか飲んでないのに。
そんなことを呑気に考えていると、自分が何者かに抱き締められていることに気づく。なんの違和感もなかったのは嗅ぎ慣れた匂いで、私がこの世で一番落ち着く匂いだからだろう。
「いくら兄貴でも許さねぇぞ」
怒気を孕んだその声に心臓が音を立てる。
竜胆のこんなに怒った声を聞いたのはいつぶりだろうか。それがあの兄に対してなら尚珍しい。
「こわい、こわい」
相変わらず巫山戯た調子で思ってなさそうに言葉を吐く蘭は、結局どれが本心かわからない。
蘭が去り際に何かを言ったが私には聞き取れなかった。しかし、竜胆の抱き締める強さが僅かに強まったからきっとまた余計なことを言ったのだろう。キィっと蘭が屋上から出て行く音がした。
少し長い沈黙。体感にして2分程のそれは、恐らく30秒程度のものだったろう。
「……お前も迷ってんじゃねぇよ」
「かわい子ちゃんの誘いを断らなかったりんちゃんに言われたくない」
理不尽な嫉妬に、少し食い気味で反論すればグッと押し黙る竜胆。
こういう馬鹿なところすら愛おしいのだから手遅れだ。
「なんて言ったらいいか分かんなかったんだよ」
少しの間の後、竜胆がぽつりと吐いた。
「お前と回りたかったけど約束もしてなかったし…友だちと回るかなとか、そしたら俺はまた兄貴とだなとか……色々考えて、た」
「じゃあ、あの時吃ってたのって」
「お前と回るからって言うか兄貴と回るからって言うか迷ってた」
なんだそれ。
「傷つけないように断るなら単に無理って言うより理由がある方がいいだろ……」
バツの悪そうな顔で不貞腐れる竜胆に、その不貞腐れボーイの腕の中で呆れる私。
「他所の女の子は傷つけない方法を考えるのに彼女は平気で傷つけるんだ」
甘い展開になる筈のシチュエーションで恐ろしく不穏な空気へと流れていく。
「それは、悪かった……お前が嫉妬してんのが嬉しかった」
でも傷つけたり泣かすのは違った、ごめん。
今までで一番素直な言葉が竜胆の口から流れ出てくるのをただ呆然と見ていた。
なんだそれ。あまりにも利己的すぎるじゃないか。あまりにもわがままじゃないか。あまりにも一方的じゃないか。あまりにも、愛されているじゃないか。
「……次したら本当に蘭に乗り換えてやる」
照れ隠しにそう言って竜胆の胸に顔を押し付けると、これでもかとキツく抱きしめられる。
「それだけはマジで勘弁しろ」
竜胆の本気の声音がおもしろかった。
横ハゲって言ってごめんね。あとでちゃんと謝るね。
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