焦燥はそれでも甘くて
するりと肌を撫でた滑りのいい布の感触に目を覚ました。
「ん、」
冬に近づいてきて気温もグッと下がってきた最近。早朝の外気は部屋といえどもやはり冷える。布団から出て外気に曝された肩まで掛け布団を掛け直した。
と、そこで違和感に気づく。
俺の布団はこんな肌触りではない。
背後からじんわりと感じる暖かさに嫌な予感がする。そろりと背後を伺うと、こちらに背を向けている滑らかな肌と、その肩にとろりと流れる艶を帯びた髪。
今の状況を把握した瞬間に、昨夜の情事を思い出した。フラッシュバックする光景に身体の中心がまた熱を帯び始めるのを、深呼吸して諌める。なるべく振動を与えないように、ゆっくりと体を起こして振り返ると、隣の女はまだすよすよと寝息を立てていた。見覚えがありすぎるその頭部に、また起こさないよう顔を覗き込むと、やはりよく知った人物。そもそも昨夜のことを思い出した時に相手が誰だったかなんて分かりきっていたのだが。
完全にやらかした、とパンツ一丁で頭を掻き項垂れる。
未だに寝息を立てる人物は、小中と同じ学校に通っていた、“好きなやつ”だった。高校で別になりそこからは疎遠になってしまったが、昨日開かれた同窓会で再会。二次会も終わって帰宅組と飲みに行く組で別れ始めたところで、ソウヤと帰宅しようとするとソウヤから待ったがかかった。
「兄ちゃん、いいの?」
なんのことかなんて聞かなくてもわかる眼差しで真っ直ぐに聞いてくる弟に、明日の仕込みあんだろ、と告げれば明日は休みにしたよ、と予想外の根回しがされていた。
「本当に次いつ会えるか分かんないよ」
珍しい脅し文句に息を飲めば、近づいて来たソウヤが横並びになりバシッと背中を叩かれた。
ほら早く、と促す先にはもう駅に向かおうとしているあいつの姿。ソウヤの珍しい押しの強さに負けた。と、言い訳をつけて駅に一人向かうナマエを引き止めた。
「ナホヤ。どうしたの?」
「あ、えと…もう一軒行かね?」
突然呼び止めたことに驚きはしてたものの、もう一軒行くことには快諾を示してくれて安堵した。ここ迄で十分に腹を満たしていたので、居酒屋ではなく適当なバーに入って二人で飲み直す。
学生時代の話をしたり、社会に出てからのお互いの話をしたりしながら飲むお酒は思ったよりも進んでしまって、気づいた時には傾れ込むようにホテルのベッドでひとつになっていた。
昨夜のことを思い出して、ちらりと再度ナマエの顔を伺うと、相変わらず穏やかな寝息を立てている。ひとまずシャワーを浴びようと、脱ぎ捨てられている服を拾って浴室に入った。浴室や部屋の感じからしてラブホではないだろうと思う。立派なホテルというわけではないが、特有の厭らしさもない。適当なビジホか何かだろう。
キュッと音を立てて蛇口が捻られると、勢いよく水が噴き出す。温度を確かめてシャワーヘッドを掴んで全身を濡らしていけば、ピリッと背中に痛みが走る。何かと思い鏡で背中を確認すれば、幾つかの赤い線が刻まれていた。おそらく引っ掻き傷だろう。
もう何をしても昨夜のことが脳裏で踊るこの状況に頭を抱えるしかなかった。
どうしようもない状況にかぶりを振って気持ちを切り替える。考えたって仕方ないのだ。
手早くシャワーを済ませて部屋に戻る。まだベッドにその肢体を横たえるナマエ。先ほどまで自分が寝ていたスペースに腰掛けてナマエの肩に布団をかけ直すと、ナマエが寝返りを打ってこちらを向く。情けなくもまだ心の準備ができておらず、こいつが身動ぎをするだけで全身の血があちこちに駆け巡ってしまう。穏やかな寝息が聞こえて、ほっと胸を撫で下ろした。
ふぅ、と一息つくと、心臓を縮める声が鼓膜を震わせる。
「…なんで抱いたの?」
心臓がぎゅうっと引き絞られる感覚と、全身の血が下へ落ちる感覚がした。反射的にナマエの方を見ると、まだその肢体を気怠げに横たえたまま、視線だけをこちらによこしている。
「…っ」
久しぶりに再会して、感情が爆発して抱いた。そんなこと言えるわけもなく、ナマエがそんな男を許すとも思えず、言葉が出ないまま固まる。正直に話せばいいものを、嫌われたくない心が勝ってしまうんだからどうしようもない。
すぅ、とナマエの鼻から息が吐かれる音がした。
「もういい」
最適解が分からず黙る俺に、ナマエは全てを投げるてるように言い放ち、細い両腕でその体重を支えて起き上がった。ベッドから抜け出ようとするナマエの腕を慌てて掴む。何も言えなかったのは自分なのに、このままナマエがベッドから抜けるのを見過ごすのは良くないと思った。
掴まれた腕を一瞥して、なに?と、一言落としたナマエの表情は苦しげに歪んでいた。
「…なんも言わないなら手、話してよ」
次の言葉が出ない俺に痺れを切らしたナマエが、俺に掴まれている腕に力を込めた。それに反抗するように自分も力を込める。
「い、たい…!」
「あ、わりぃ!」
咄嗟に手を離してしまったが、ナマエはもうベッドから出る様子はなかった。
シーツでその身体をすっぽりと包み込み、こちらに向き直る。俺もなんとなく姿勢を正して向き直る。
「で?なんで抱いたの?」
先程と変わらず直球の質問に、ぐっとまた気圧されそうになる。だけど、ここで黙ったら今度こそ終わりだ。
「…好きだったから」
「私一回もちゃんと告白されてないけど」
俺の言葉を聞いた瞬間、答えなんて分かりきっていたように、悪戯っ子のような笑みを浮かべるナマエ。まるで俺の反応を楽しんでるように口角を上げたままこちらを見ている。
「……順番、間違ったけど…ガキん時からお前のことがずっと好きだった。付き合ってください」
こうなったらと腹を決めて手を出し告白をすれば、そこまでされるのは予想外だったのか目を見開き頬をほんのりと赤らめて固まるナマエに、今度は俺が口角を上げる番だった。
「なに?照れてんの?」
「…バァカ!」
ぼすん!と勢いよく投げられた真っ白な枕は見事俺の顔面に命中した。
「あ゛?」
「どうせ覚えてないと思ったけどね!」
「なんのことだよ!」
「…っ、ナホヤ昨日私に好きだって言ってから抱いたもん!」
「……はぁぁあああ!?」
そんな記憶俺には……あった。確かに思い出してみれば言った。ような気がする。
「ずっと、ずっと好きだった…抱いていいか?抱きたい、お前のこと」
そう問うた俺の首に腕を回してぎゅっと力を込めたあと、首筋で鼓膜に届くか届かないかの小さな声で、「抱いて。私も好きだった、大好きだった」とナマエが言ったのを皮切りにベッドに身を落としたのだ。
どうして抱くことになったのか。思い出した瞬間に人生で一番の羞恥に駆られた。手で顔面を覆い俯くと、その腕を今度はナマエが掴んだ。
「後悔、してる?」
「…もっと大事にしたかったとは思うけど、抱いたことは後悔してねぇ」
本音を溢せば、嬉しそうに眉を下げるナマエ。
「じゃあ、今日はデートしてよ」
付き合った記念。
俺の両腕を掴んで開くようにしたナマエは満足そうに笑ってそう言った。
「先に服着替えに帰んぞ」
タバコやら焼き物の煙の匂いが染み付いている服を着て初デートは躊躇われる。
今の俺は、このあと一時帰宅してソウヤに「兄ちゃん、朝帰りはどうかと思うよ」、などと揶揄われるなんて知る由もない。
magazzino